桜が咲いたら

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桜が咲いたら

 桜が好きだけれど嫌いになった。  中三の三月、桜が咲いたときに初めて瑞穂(みずほ)と関係を持った。瑞穂に誘われてふたりで桜を見に行ったときに桜の下で言われた。 「ねえ(きょう)、抱かせて」  ずっと瑞穂が好きだった俺は混乱した。理由を聞くと、「そうしたいから」と返ってきた。そんな答えで納得などできないが、今を逃したら一生こんなチャンスはやってこないだろうと思ったら頷いていた。  ぎこちないふたりが身体を繋げ、他人の肌の温もりを知った。俺にとってはただの他人ではなくて、ずっと好きだった男の温もり。心が蕩けるほど嬉しかった。  中学は瑞穂と違う学校だった。瑞穂は私立の頭がいい人ばかりが集まる進学校に通っていた。小学校中学年のときには別の中学に行くらしいとわかっていたが、中学に入学してそこに瑞穂がいないことにひどくつらくなった。瑞穂が恋しくてその姿ばかりを探していて気づいた。瑞穂が好きなのだと。幼馴染としてではなく、恋愛的な意味で好きだ。ときには瑞穂とキスをする想像までした。とても悪いことをしているようで苦しくて、でも同時にとても興奮した。 『今から遊びに行っていい?』 『うん。大丈夫だよ』  メッセージのやりとりを終えてスマホを置く。  別の学校に通っていても瑞穂は俺の家によく遊びに来てくれた。他の男子にどきどきなどしないのに瑞穂にはいつもどきどきする。塾や勉強で忙しい中で瑞穂が俺のところに頻繁に来てくれたので学校での寂しさは紛れていった。  それでもわかるのは、俺の気持ちを瑞穂に伝えたらもう会いに来てくれなくなること。男同士なんて気持ち悪いと拒絶されるだろう。もしかしたら受け入れてくれるかもしれないとも考えるけれど、そう簡単にいかないことはわかっていた。小学校の頃から男子からも女子からも人気があった瑞穂が俺のような地味な男を選んでくれるはずがない。だからただ想い続ける。  中三のとき、瑞穂が俺と同じ公立高校を受けると聞いて驚いた。瑞穂の通う中学からならばもっとレベルの高い高校に行ける。瑞穂の成績は知らないけれど、昔から頭がよかった。  中学でなにかうまくいかないことがあるのだろうか、頭のいい瑞穂でも勉強についていけていないのだろうか、心配になったが本人は「そういうんじゃない」と笑う。俺はまた瑞穂と同じ学校に通えることが嬉しいけれど、単純に喜んでいいのかと悩んだ。  それでも瑞穂は俺と同じ高校を受けて推薦で合格した。俺も一般入試で合格した。これで俺が落ちたら笑えると思ったがそうはならなかった。  春休みのある日、「桜が綺麗だから見に行こう」と誘われてふたりで見に行った。そこから始まった関係に俺は歓喜と悲哀を感じずにはいられない。一体どういう意味があって関係を持ったのだろうかと思うけれど、それ以降また瑞穂はいつもどおりになった。あの行為はなかったように、儚い桜の花が見せた幻のように。  ただの気まぐれだったのかとせつなくなり、それでも大好きな瑞穂に抱かれた喜びを捨てられず日々をすごした。  高校で瑞穂はあっという間に人気者になった。いつでも人に囲まれている瑞穂を眩しい思いで見つめていた。どこか誇らしいような気持ちになりながら、これではもう近づけないと嘆息する俺に瑞穂は変わらず笑いかけてくれた。  変わらない距離感の中に小さな違和感がある。それは肌の温もりを知ってしまったから。  でも瑞穂が変わらない態度ならばと俺も合わせる。  そして高一の三月、また瑞穂から桜を見に行こうと誘われた。一年前のことを思い出して胸が苦しくなったが、一緒にあの日と同じ桜を見に行った。  桜の美しさよりも瑞穂を見ていたい。隣の瑞穂を見ると、瑞穂は俺を見ていた。どきりと心臓が跳ねて目を逸らすと笑われた気配を感じる。もう一度視線を戻して瑞穂をまっすぐ見る。 「ねえ、抱かせて」  桜の下の瑞穂は美しく儚く見えて、桜の精に魅入られたように頷いてしまった。  こんな関係はいけない。つき合っているわけでもないのに身体だけ繋がるなんて……そう思うのに一年ぶりに感じる瑞穂の肌の感覚に心が躍る。瑞穂に組み敷かれながら、もしかしたら瑞穂は俺の気持ちに気づいていて同情しているのかもしれないと考えた。それならばまた来年同じように肌を重ねている可能性がある。その想像は心を昂ぶらせて、同時に萎ませる。  もし瑞穂がそのつもりならば、こんな関係は今年で終わりにしなければいけない。次の桜のつぼみが膨らみ始めたら瑞穂と距離をとり、俺の考えたとおりに誘われたなら断ろう。そしてこれまでの感謝を伝えて離れよう。瑞穂の優しさを利用してはいけない。  固く決心したにもかかわらず、またも身体を重ねてしまった。せつなく顔を歪める瑞穂が愛おしくて、その髪を何度も撫でた。あんなに終わりにすると思っていたのに、桜の下の瑞穂と「抱かせて」の言葉に決心はぐらりと簡単に揺れて崩れた。  瑞穂の腕の中から出たくない。同情でもいい、そう思って抱かれた。それが俺をさらに苦しめることはわかっていた。 「送ってくよ」 「ううん、大丈夫。ひとりで帰れる」  瑞穂の家から自宅へと帰宅しながら考える。次こそは、と手をぎゅっと握り込む。必ず終わらせる。そう考えて瑞穂と俺が現在高校二年生であることを思い出す。来年の今頃はもう卒業している。瑞穂の成績ならレベルの高い大学に行くだろう。どうやっても俺とは離れる。本当に最後になるのだ。そう思うと決心がゆらぐ。最後ならばもう一度くらい抱かれてもいいではないか。もうひととき、夢を見ることは許されないだろうか。  最後。自分でそうしなければと思ったはずなのに、いざそれしか選択肢がなくなると急に焦る。それでも拳に力をこめてぐっと奥歯を噛みしめる。  来年の桜は、ひとりで見る。  瑞穂はいつでも優しく俺に微笑みかける。それが嬉しくて苦しくて、複雑な思いが心に絡みつく。  毎日瑞穂のことを考えてしまう。小さい頃、汗だくになってふたりで走りまわった。逆あがりができるようになるまでつき合ってくれた。勉強を教えてもらった。学校が離れて寂しかった。気がついたら好きだった――すべてが尊い思い出。  最後にせめて俺の気持ちだけは伝えてもいいだろうか。気づかれているとしても、自分の口からきちんと伝えたい。
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