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「花鈴」
そろそろ解散するか、というような雰囲気で廊下を歩いていたときだった。
歩く速度を緩めてわたしの隣に並んだ朝陽くんに呼ばれた。
「一緒に帰ろ」
春の日差しみたいに優しい声だ。
たったそれだけで、きゅっと胸が締めつけられる。
前を歩いているほかのみんなが、無関心を装いながらもわたしたちに意識を向けているのが何となく分かった。
途端に照れくさくなってくる。
「う、うん」
「……あのさ、俺────」
頷いたわたしを見やった彼は、何かを言いかけて一度言葉を切った。
つい見上げると、真剣な瞳に捕まる。
「ずっと伝えたかったことがある」
朝陽くんから目を逸らせないまま、速いリズムを刻む自分の鼓動を聞いた。
そう前置きした意図。
熱っぽくて揺るぎない眼差し。頬の色。
それらの意味に、そして待っているであろう話の内容に、まったく見当がつかないほど、わたしは鈍感じゃなかった。
「……うん」
小さな声で答える。
わたしも、と言いかけて慌てて飲み込んだ。
正直、今この瞬間も想いがあふれて止まらない。伝えてしまいたい。
わたしの淡い初恋は、散りもせずにただ思い出の中で埋もれていくはずだった。
切なくても、不甲斐なくても、思い出の一部になってくれたならまだよかったと思う。
でもわたしは、脳裏をよぎった残酷な可能性を無視できないでいた。
(……本物なのかな)
彼との過去は。そのとき抱いていた気持ちは。今、わたしの心に宿っている想いは。
そして何より、朝陽くんがわたしに向ける感情も。
作られたものなのかもしれない。
“裏切り者”のわたしを苦しめるために。
今ある心が本物だという保証はどこにもない。確かめる方法もない。
だけど、ちゃんと存在している。重みを感じる。
(もし……)
朝陽くんの“伝えたいこと”が、勘違いじゃなく思った通りのものだったら。
どうしたらいいのだろう……?
わたしには、彼を傷つけることしかできない。
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