11 翔太、返事来た

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11 翔太、返事来た

「翔太、返事来た」  草が歩きながら携帯を差し出し、かのこのメッセージを見せてくれた。しょうちゃん、だいじょぶだよー。そつぎょうしきまでにたぶん、わたせるとおもう。ひらがなばっかりの、ちょっとおバカなメッセージ。  かのこはかわいい。兄のユキトがあんまり顔が整っていたので、そばにいたかのこの印象は薄くなりがちだったけれど、高校生になると、つぼみが花開いたように華やかになった。  翔太には、詩織が一番だけれど、ハルや草にとって、かのこは、どう、なんだろう? 「草ちゃんもハルちゃんも、かのこに告らないの?」  翔太はいった。  いつからか、翔太の、かのこにそういった気持ちを抱くルートはとぎれた気がする。シャッターを下ろされたみたいに、ぽすっと。かのこは他の女の子とはちょっと違う場所にいるようになってしまった。兄の死、友の死という、ややこしい事情に身がすくむのも本音だ。  ハルは「はあ?」という顔をしてみせる。本心を隠すときの、ハルの常套手段だ。  ハルは、かのこを、好きなんじゃないかな。  翔太の知る限り、ハルが自分から声をかける女の子は、かのこだけだ。というか、他の女子の影はない。  ハルに彼女がいたことはない、と思う。トレーニング漬けのスケジュールの中、彼女がいたら驚きだ。女の子がどれほど時間と手間を必要とする生き物か、翔太は毎日、心底思い知らされている。  草はよくわからない。そぶりには出ないし、うわさになったこともない。草に思いを抱く女子は何人か、こころあたりはあるけれど、草本人の気持ちは見当がつかない。  草は「やれやれ」という顔をしてみせる。ハルよりは本心っぽい。  草は、かのこを、好きなんじゃないかな。  誰に対しても面倒見のいい草だけれど、かのこは特別だ。  高校の旧校舎東側に、らせんの非常階段がある。体育館から旧校舎の一年生の教室に行くとき、階段を使えば校内を通るより近道なので、一年生は天気がいいとそこを利用する。  その階段を一部の男子は「天国の架け橋」と呼んでいた。一階の踊り場に、上階の隙間を下から見上げられるポイントがあるのだ。何も知らない女子が通れば、そこはそれ、下にいた男子的に眼福が訪れる、というわけで。  もちろん、女の子にも先生にも、絶対の秘密だ。  男子も全員が知っているわけじゃない。運動部の、先輩から代々密かに伝えられる、おごそかな秘宝スポット。翔太も野球部の先輩に教えられ、いつか、もしも、なんてチャンスは期待していた。  実行したことがある馬鹿者によると、実際には、スカートの濃茶の裾と、肌らしき白色(おそらくせいぜい太もも)がちらりとするだけらしい。それでも、なんだかそういう秘密の場所があるというだけでも、心ときめくではないか。  しかしある日、草がその隙間をふさいでしまった。当時生徒会長だった草は、自分に心酔し、大工仕事が巧い生徒会メンバーに命じたのだ。運動部でない草が誰から聞いたのか、いつから知ってたのか、わからない。  たまたまその場に遭遇した翔太は、詰め寄るようないきおいで理由を尋ねた。草は宿題の答えを説明するように、穏やかにいった。 「かのこが入学するから」  ああそうか、いつものように草の答えで翔太は納得した。たしかに、そりゃあ、ちらりとでも見せるわけにはいかない。隙間は間近で確かめてもわからないくらい、巧妙にふさがれ、秘密を知る男子たちも気がつかなかったようだ。  そして草は、冬が訪れ、一年生が通らなくなると、ふさいでいた薄く小さな板をまたひっそりと外させた。二年生になると、教室は新校舎になるので、もうそこは通らない。  あれ、草ってけっこう自分勝手かもしれない。ひどいな。  今の翔太も、詩織に何か狼藉を働こうとする輩はぜったい許さない。だから思う。草は、かのこを、好きなんじゃないかな。  翔太の問いかけに、ふたりはすぐに答えなかった。 「いや、かのこ、そんなんじゃないし」  ハルが怒ったようにいう。 「翔太、デリカシーないぞ」  草もいう。 「かのこかわいいのに、ふたりが、あっはん像みたいに近寄る男を威嚇するから、彼氏できないでいるやん」 「あっはん像じゃなくて、あうん像な」 「草、いまの翔太のマジボケ、よくわかったな……」 「秀才ですから」  でも。ユキトの妹なら。ユキトの妹なら、そういうのなしで、それでも恋人くらい恋人以上に大切にして当然、とも思う。  死んだ親友の妹は、命がけで守らなくてはならない。今の、彼女より。未来の、恋人より。  草もハルも、そう思っている気がする。  翔太はだんだん、頭が痛くなってきた。歩き続けたから、身体が熱くなってきて、もやもやがたまってきたのだ。考えすぎた。だいたい、どんな物事に対しても、こんなに頭を使う必要はない。人生はもっと単純だ。  道は急な上り坂にさしかかる。コートのボタンを全部外して、前を開ける。  ここには歩道が片側にしかなく、その途中で足場が組まれていた。  端に寄せられた小型ユンボは、うち捨てられたように山陰に沈んでいる。工事は何年も前から続いていて、バスの窓から三年間毎日、それこそが完成風景のように眺め続けた。灰色の土壁が山肌に塗られ、それが何の役に立つのか、翔太にはわからない。 「この工事さ、結局終わらんかったのー」  いって、息を止めた。  鼻先をひねられるようだ。暴力的な機械油のにおい。バスで毎日見ているときはわからなかったにおい。空気に色がついたように生々しい。  そっとさわってみる。 「うっわ、手けずられそう」  土壁は目の粗い紙やすりのようにざらざらだ。道もガードレールも、夜空も静けさすらも、一歩こっちに踏み入るようにぐっと近づいてきた気がした。景色は絵じゃない、ふれたらそこにある、そんなことに気がつく。バスの窓ごしのそれは、ベニヤに描かれた舞台の背景じゃなくて、ぶ厚く存在するのだ。  もしかして、ユキトは。  草が、いや、もうすぐだよ、と答えた。  工事の終了の話だった。下半分がなぜかひしゃげた工事中の立て看には、「完成 令和5年3月31日」とあった。  ハルは明日、草も3月中に引っ越す。翔太だって実家から専門学校に通うわけじゃない。4月初めに家を出る。  見られない。完成したこの道を、おれたちは見られない。三年間、クレーン車や番号のついた砂袋やヘルメットのオジサンを、バスの窓から眺めてきた、だのに、完成は見られないのか。  翔太はそれが今までの人生で、このことが一、二を争う理不尽なできごとのように感じた。
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