12 ぶぉん、風圧をまき散らし

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12 ぶぉん、風圧をまき散らし

 ぶぉん、風圧をまき散らし、歩道をかすめるように大型トラックがのぼっていく。ガードレールごしに、土煙が舞い上がる。アスファルトの端はひび割れ、隙間に伸びた雑草は枯れている。  翔太が自分の彼女、円藤詩織に、携帯を持っていないことを連絡して欲しい、といい出した。朝のおはようメッセージが来ないと、心配してるに違いないと。 「付き合い始めてから毎朝、おはよう送りあってんだ」 「あ、そう」と草。 「一回、野球部の合宿で連絡し忘れたときは大変だったんだから。うわき疑われてさ」 「ああ、そう」こっちはハル。  草は円藤の携帯番号もアカウントも知らない。翔太もどちらもそらでいえず、どうにか連絡をあきらめてくれたけれど、草は圧倒されていた。  おはようを送りあうって、なんだ、と。  円藤の連絡先を知っていそうな女子なら、何人かはわかる。誰かに連絡先を尋ねるとか、円藤に翔太の今の状態を伝言してもらうとか、その程度ならできないこともない。  ただ、卒業式の朝に深読みされそうなことはしたくなかった。特に、そういった手間を嫌がらずに喜んでやってくれそうな、柿崎もえには。今日、柿崎もえには隙を見せられなかった。なんの拍子で、今後の約束に結びつくかわからない。 「てわけで、大げんかして、おたがいどこにいるかいつも探せる、GPS機能のついたアプリふたりして入れてんけど、おれたちこんなの必要なほど信頼が薄いのかって、おれ、いってさ」  それにしても。翔太の円藤詩織に関する行動は、草の想像を超える。よくあれだけ思いつくものだ。草は自分でも気配りは細やかな方だと自負がある。けれど翔太の彼女への気のまわしようには、ついていけない。姉がいるせいだろうか。 「で、アプリ削除して、一件落着」 「アアソウデスカ」ハルがロボットのような声を出す。「ニンゲンノシンリ、トテモキョウミブカイデース」 「おう、早く人間になれるといいですね」 「ア、誤作動ガ」 「ぐえ、ギブギブ」  坂を上るうちに汗ばんできて、草はコートを脱ごうか迷う。  自分も、柿崎もえにはそのくらい気を使うべきなのだろうか。  柿崎もえが自分に好意を持っていることは、一年生のときから感じていた。廊下で教室で、待ち伏せしては話しかけ、視線をよこし、草に近づく女子は裏で牽制した。そのくせ、バレンタインの凝ったチョコレートは義理だといいはり、はっきりと告白しようとはしなかった。  一番、やりづらいタイプだった。 「ここ、チョロ水湧いているぞ。気つけて」  うしろでまだじゃれ合っているふたりに、草は声をかける。 「はーい」 「あー、それ、この前詩織ちゃんに似たようなこといわれた。最近、詩織ちゃん、草ちゃんみたいになってきたんだよ」 「ええ、似てるようには見えない」 「だから、外見じゃなくて、こう、いい方っていうか、あれこれしてくれる感じっていうか」 「翔太といると、みんな口うるさくなるのかもね」 「おうおう、どういう意味だ」  ハルと翔太は低レベルの口争いを続けている。今日、卒業式だというのに。それでもなんだかうらやましい気もして、草はすこし早足になる。  かのこが柿崎もえに目をつけられないよう、かのこの入学以来、草は立ち居振る舞いをばかばかしいほど意識した。無防備に寄ってくるかのこが、草はもちろん、翔太やハルなどにとっても、妹のように大切な幼なじみだと柿崎もえが納得するまで、会話や仕草に、神経をすり減らした。柿崎もえはおとなしそうな外見に反し、過激なこともできるタイプだった。  もっとも、そういうえぐみ自体を草は嫌いなわけではない。闇は誰のものも同じ色なのだろうか、他人の闇を見ると安心する。柿崎もえがほかの女子にいったという「泥棒猫」だの「私が先なのよ」なんていう、泥くさいセリフを人伝えに聞くと、にやにやするほどに。  ただ、草は女子には一歩身をひく。どうしても。三年間、草を追いかけ続けた柿崎もえに対しても、思う。ユキトがいたら、どうせユキトの方が好きだったんだろう、と。  自分よりも。  どんな女子に対してもそう思う。病的だな、と自覚はある。けれど山水がふもとへ流れゆくように、草のこころは必ずそこに落ちていく。どうしようもない。  そんな屈折を抱かないですむ女の子は、世界中でただひとり。ユキトの妹、かのこ、だけ。  けれど、ユキトがいなくなって、すべてが変わった。  自分は、ユキトがいなくなれと、願ったことがなかったか、そしてユキトが望みどおりいなくなり、そんな自分に、かのこに恋情を抱く資格があろうか。  罪が生まれ、かのこは、ユキトのぶんも大切にし、守り、甘えてなどいけないもの、引きずり下ろしてはいけないもの、となった。  草は昔、遠足で通りかかった、よその村の廃校舎を思い出す。生徒や歓声や光であふれていた美しい木造の学校だったのに、見捨てられて以降、壁ははがれ落ち、人影はなく、雑草だけが生い茂り、動くものは風に吹かれた扉だけ。  同じだ。かのこは失われ、草は未来に見捨てられた。草は自分をさらけ出せるパートナーを持つ機会を失ってしまった。十八歳の草は、自分はおそらくつまらない疑いを残したまま、いつか適当な女性と適当につき合って、あきらめながら生きていくのだろう、そう知っていた。  ふと仰向く。頬に、かすかな感触を感じた。 「雨だー!」翔太が叫ぶ。  そんな天気予報はなかった。折りたたみ傘を持ってきていないことに舌打ちしそうになる。
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