15 あの日

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15 あの日

 あの日。草は、そのことばがつぶてになって、自分の胸をうち抜いた気がした。放ったのは自分の口だというのに。ろくろーがフードに執着した意味をいい当て、一瞬いい気になったぶん、反動がどんときた。  あの日。桜のつぼみはまだかたく、あの日、前日の大雨で、山はまだ濡れていた。今でも、村内放送のサイレンを耳にすると、全身がこわばり息がしづらくなる。  深呼吸をし、気がついた。声が聞こえない。いけない、と思う。後ろを歩くハルも翔太も、たぶん、とらわれた。  誰もが黙っている。こういうのは苦手だ。気がつかれてはならないことに気がつかれそうな気がする。何か違う話をしなければ。おれのせいだ。  歩道のある、大きなトンネルにさしかかる。トンネルはゆるくカーブし、先は見えない。オレンジ色のあかりが両側に灯り、右も左も一個ずつ、どこか切れてる。一歩踏み出したとたん、ぶおおおおと、風が渡る音が響いた。こんな中を陰気に歩き続けるなんて、ごめんだ。  思い出した、ちょうどいい話がある。トンネルに住む、不思議な生き物の話だ。昔、聞いたっけ。この話をしよう。ちょっとホラーふうに話そう、翔太なら大げさに怯えてくれて、気がそれて、少しは盛り上がるだろう。  待て。  昔、聞いた?  草はさっきより、さらに大きな衝撃を受けた気がした。  新月の海の話も、そうだった。自分のもののようにして、偉そうに語ったけれど、あれは。  立ち止まった草の背中に、翔太がぶつかった。 「草ちゃん、どしたんさー」 「ああ、ごめん」 「トンネル怖いんだろー」  翔太のことばじりが通りかかった車にかき消される。バスに乗っているとあっという間に着く出口が、まだ遠い。そしてうすら寒かった。  草はどうにか歩き出した。足が重いのは、疲れたせいだけじゃない。  あの話もこの話も、おりおりにユキトが話してくれたものだった。それを自分はおのれの手柄のようにぺらぺらと語っていたのだ。  痛みがキシキシと胸を貫く。  最初に、痛みを感じたのは、図画の時間だった。小学校近くの公園で、同級生たちはそれぞれ、絵の題材を見つけてスケッチに取りかかっていた。草が選んだのは大きな日本武尊の像だ。由来は知らないが、昔から公園の真ん中にあった。  草は誉められて育った。勉強も体育も得意で、友だちはすごいを連発したし、大人は頭を撫でてくれた。今度も誰より巧く描きたくて、描いては消し、描いては消しをくり返した。先生が教壇から草の絵をみんなに見せ、感心するシーンを想像した。  難しいのは、日本武尊の顔だった。はれぼったいまぶた、細長い目、つるんとした頬。顔というのは絶妙なバランスでできあがっていて、少しでもずれるとまったく別の人物になる。草が書きあぐねていると、ユキトが通りかかった。ユキトはすでに自分の絵を描き終えていて、ふらふらしているところだった。  何を描いたのか尋ねると、木だという。そりゃあすぐ描き終わるよな、小学生の草はそう思って、自分は像の顔に苦労していると、どこか自慢げにユキトにいった。ユキトは鉛筆をとると、横から紙にさらさら描いた。そっくりだった。ユキトの残した絵を、草は消せなかった。そしてそのまま、線と色をつぎ足した。  翌日、草の絵は先生に誉められた。とっさに草は後ろの席のユキトを見た。ユキトは聞いているのかいないのか、いつものように窓の外を見ていた。  ユキトの絵も誉められた、というより、たいへんよく描けていると絶賛されたが、ユキトは振り向きもしなかった。  草は下書きはユキトだが、色をぬったのは自分だと、自分にいいきかせた。しかし、それは欺瞞だとわかっていた。  それが敗北のはじまりだった。  以来、草は気がついてしまった。ユキトは自分より簡単に、問題を解き、人を引きつけ、ボールを早く投げた。自分は偽物だ、子どもの草は思った。今の草なら、それは極端な考えだと理性で判断できるけれど、当時のこころの痛みはあまりに深く、からだの芯に突き刺さり、傷はいまでも癒えないままだ。  しかも、ユキトは自分の万能を何とも思っていなかった。  草は自分の中に沈んだまま、黙々と足を進めた。  トンネルの先の光は、まったく近づいてこない。
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