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18 やると思った
やると思った、翔太は新しい靴で雪だまりにハマった。お約束すぎる。
草は履いていた自分の靴を、大騒ぎしている翔太に渡し、自分は式典用の靴をバックから出した。
翔太は草より背が低いのに、足は草よりでかい。かかと踏んでいいぞ、と草はいう。それじゃスリッパじゃんかと翔太が文句をいい、いえる立場かとハルがつっこむ。
「思い出した、今日の干支占い、最悪だったわ。当たったわ」翔太がいい出した。
草はハルとアイコンタクトを取る。
草(干支なら、おれら卒業生全員同じですけど)
ハル(翔太の運が最悪じゃなかったことなんか、あいつの人生で一度でもあったか?)
いや、問題はそれ以前、干支占いとか見てんのか。もうだめだ。
笑い疲れてもう、笑えなかった。腹が痛くて、草は細い道をよたよたとのぼることになった。笑った後、すべてがどうでもよくなった。どうでもいい、というのは、草にとってはめったにない感覚だ。
ハルと草、ふたりはユキトに糾弾されている気がして、ずっとうしろめたかったのに、どこか思い出に距離を作ってたのに、翔太はいまでも、ユキトと対等な友だちなのだ。それがあまりにやさしくおかしくて、自分たちがおろかでわかってなくて、笑ってしまった。
坂を上りきると、翔太は川をふりかえった。
「ユキトがさ、毎日通る道を歩いてみようっていってたって、聞いたときはなんだそれって思ったけど、こうして歩いてみたら、なんかこう、こういうことかなってわかんなくもないね」
ハルも、自分のせいでユキトが死んだと思っていた。世界中の罪を背負った気になっていたのは、自分だけだと思っていた、三年間、ずっと。でもそれは、翔太にはどうでもいい話で。
草の、やわらかくなったところに、ぽつんとしずくが落ちて、その思いはさっとにじんだ。
ユキトに、生きてて欲しかった。
ずっと隠されていた、思いだった。
かたく握りしめていた両手を開いたら、こわばりがとけて、手のひらにそんな気持ちが灯っていた。この気持ち以外はどうでもいいことなのだと、やっとわかった。
いなくなれと願ったことはあった。それを自分は許せなかった。でも、いつまでもいっしょだと信じていたから、願ったことだった。
その奥でずっと思っていた。ここに、ユキトがいてほしい。
県道に戻ると、車の往来が激しくなっていた。同級生が窓から手を振って通りすぎる。草とハルは振りかえしたが、翔太は汚れた靴を手にした姿を目撃されたのが恥ずかしかったらしく、むくれて、その様子がまた笑えてくる。腹筋が疲れて、草は痛がりながらひゅうひゅういって笑った。
中の一台、白い車がスピードを緩めた。三人揃って気をとられる。運転席の後ろの窓ガラスがおりて、
「おはよう!」
柿崎もえが手を振っていた。草を、草だけを見ている。他のふたりは無視に近い。こんなにあからさまな態度はさすがに初めてで、これはたぶん、卒業式効果だ。後続車がいるせいか、車はそこからスピードを速め、柿崎もえは草の返事も聞かずに遠ざかる。
「柿崎、今日も大胆だね」
翔太がひょー、みたいな変な息を吐いた。へたくそな口笛だった。
土ぼこりが落ち着くと、梅の香りがした。道路の向こう側で、紅梅が満開だ。
そういえば、草は思い出す、去年もおととしもこの美しい梅の花をバスの窓から見たんだった、いい枝ぶりの、大きい木だとそのたび感心したんだった。こんなに甘く、すぎるほど甘ったるい香りなのか。
草は眼鏡の奥の目をすがめた。一本ではなかった。近くでしっかり見て、初めて気がつく。そう太くない二本が寄りそい重なって、一本の大きな木に見えていた。二本分ゆえの、濃厚な香りと色合いだ。すごいと草は思った。
この発見を伝えようと、前を向く。ふたりは思ったより先に行っていた。ハルが翔太の靴のにおいをかぐジェスチャーをし、げええと舌を出した。翔太がハルを蹴ろうとし、履いていた草のシューズを片方ぽおんと飛ばした。草はため息をついた。猿以下の奴らに花の話など無駄だ。
翔太が振り向いて、声を張り上げた。
「ねえ草ちゃん、柿崎になんも答えないの」
「答えるも何も」決定的なことはされていない、と口にしそうになり、さっきの柿崎もえが頭をよぎった。悪かったな、とそんな感情が自然にわいてきた。草が柿崎もえに隙を与えなかったから、柿崎もえは何もできなかったのかもしれない。
初めてだった。
柿崎もえは、草なら自分に許さないような悪事を、平気でする。隠れてやっているつもりだろうが、草には伝わっていた。このまま近くにいれば、いつか、草は必要以上に激しい怒りを感じるだろう。似たもの同士、同族嫌悪というやつだ。
「記念にさ、写真くらい撮ってやんなよ。けなげじゃん」
草が追いつくと、翔太は無神経にいい続ける。否定しようとして口を開き、
「そうだな」
ぽろりと、ことばがこぼれた。
草をいさめたのが、翔太だったせいかもしれない。自分が柿崎もえを選ぶことはない。好きになることはない。
それでも。それでも、感謝すべきだった。自分のような未熟な人間に好意を持ってくれて、ありがとうと。なぜ見下したりしたんだろう。なぜ自分は彼女に、これほど傲慢だったのだろう。それは無自覚より、あさましい。
ありがとうごめんと、今日、直接いえるだろうか。
ありがとう。そういえば、ユキトはすぐに「ありがとう」と礼をいってくれた。何の邪気もない笑顔をつけて。だから、草にはどんな面倒も手間も嫌ではなかった。
自分もユキトにいえばよかった。何度も何度も。おもしろい話を聞かせてくれて、きれいな絵を描いてくれて、ありがとうと。何度も何度もいえばよかった。
「ユキトの話してたら、詩織ちゃんに会いたくなったな」
翔太がいい出した。
「なにその思考回路、一回、異世界に飛んでんな」
「はっ、ハルちゃんにはまだ恋愛はわかんないか」
「ハル落ち着け、手を下ろせ」
「決めたわ。おれ、学校に着いたら、詩織ちゃんと手をつなぐわ。チャンスがあったら、抱きしめるわ。ハイタッチじゃ、足りない」
「円藤、迷惑だと思う」草が真顔でいう。
「自分にとってどれほど詩織ちゃんが大切か、ぎゅっとハグして伝えるんだ。思い出になんかしないって伝えるんだ。決めたぞ」
「盛り上がってるとこ悪いけど、異世界から帰ってこーい」
「ハルちゃん、頭撫でんなよ」
ハルと翔太が小競り合いを始める。
もしかしたら、自分のこの醜さがずるさがあばかれ、さらされるときがくるかもしれない、草はふたりを見ながら、嫌な想像をした。そのときは、うまくかわしたいものだけれど。でもそんなときを、こころのどこかで待っている気もする。
後悔ばかりだ、草は思う。自分はこうして、ずっと何かを後悔しながら生きるのだろう。それでいいと思えた。もうしばらくすればそう思ったことすらも、後悔するんだろう。それも、自分だった。
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