3 もうこんなに近づいていた

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3 もうこんなに近づいていた

 もうこんなに近づいていた。光は大きさを増しながら自分たちに向かってくる。村で一番台数の多い、白い軽トラだ。  ぷすぷすと音をたて、軽トラは三人の前に止まった。運転席の窓がぎこちなくおりていく。 「おう、おまえら、こんな早くなんしとん?」  開いた窓から、もわん、と、たばこ臭い空気がもれてくる。ひび割れたようなだみ声は、口橋のじいちゃんだ。  草は一歩進み出る。「今日は卒業式なんですよ。で、最後の思い出に、歩いて登校しようって話になったんです」 「高校まで、な。このクソ寒いにんな。何キロあると思ってん」  じいちゃんは怒鳴るようにしゃべりながら、三人の分厚いコートを見比べた。どっどっどっ、軽トラは小刻みに動いている。エンジンを切るつもりはないらしい。 「今日は、三年生は登校時間、遅くていいんだよー」  舌足らずな翔太を、草がフォローする。 「卒業式は十時半から始まるので、間に合います」  草たちの村からだと、高校までバスで三十分かかる。歩けば、ふつうのスピードで四時間前後。余裕をもって集まった。  今日は、三人で歩こうと決めた。  じいちゃんはへにゃりと笑う。 「もう高校出るんかあ。ついこの前まで、沖辺んとこん犬に追いかけられて泣いとったもんがなあ。草な、泳げるようになったんかいや。おまえな、でかちっこから落ちて、救急車呼んだんなかったかいや」 「もう犬も海も、だいじょうぶですよ」  海岸の堤防から落ちて溺れたのは、幼稚園のころの話だ。なかなかのいわれようだが、草は微笑む。  目を細めるじいちゃんの表情は、暗がりでもわかった。最近、しょっちゅう出会うものだ。四日前におつかいに行かされた母の実家でも、草の頭を撫でようと手をのばした伯父は、その手が届かないことに気がつくと、てれて笑った。  遠い親戚の沖辺のおじさんおばさん、近所の子をまとめて幼稚園に送り迎えしてくれた赤松さん、昨年店じまいしたよろず屋の豊子さん、名をあげるときりがない。そんな人たちがみんな、こんな顔をする季節。  よく知らないひとなどいない村なのだ。顔なじみなんてレベルではなく、ハルが未熟児で生まれたことや、家出をした小学生の翔太が貨物トラックに忍びこんで九州まで行ってしまったこと、草のセンター試験の結果、村中なんでも知っている。  そんな村で、十八年、生きてきた。 「おまえら三人ちゅうたら、」  じいちゃんがいいかけ、草は続くことばを一瞬で察知した。じいちゃんは視線を夜空に向けた。いわれたくなかった。  じいちゃん、止めろ、止めろ、止めろ。  胸の中で叫んでいた。  いうな、その名をいうな。  じいちゃんはがっと大きな音をたてて鼻を鳴らすと、「おれな、もう行かなならん。ひとを乗せてから、病院の順番ふたつ取らんならんげ」といった。気つけろ、そっちもといった注意を互いにかわすと、軽トラはのんびり出発した。  ほっとした。  それから、さっき自分の胸で巻き起こった、激しい拒絶に驚いた。  あれは、なんだ。ほんとうに自分の感情なのか。今さらなんだ、あれから何度も何度も繰り返し、いわれたことなのに。だいたい、卒業、三年間、このキーワードで「ユキト」を思い出さない方が非情でないか。  草は急に、じいちゃんが続きをいうのを止めた理由が気になり始めた。まさか自分の動揺が顔に出たのだろうか。それで、じいちゃん、びっくりしたのかもしれない。まずい。どうしたらごまかせるだろうか。  草がついつい、トラックの消えた方に足を向けたとき、うしろから声をかけられた。 「草、鼻紙持ってね?」  ハルがじゅん、と鼻をすすった。  草はこの場に引き戻される。ハルと翔太が自分を見ていた。 「サンキュ」  ハルがポケットティッシュを受け取ると、翔太がおれもおれもといいだす。ふたりは揃って大きな音をたてながら鼻をかんだ。  草は思った。このふたりは、これからのことで頭をいっぱいにして、未来に手を伸ばして、卒業式に向かうんだろう。今日は前に進むためのもの。一歩はどこまでも続くもの。日が昇る方に向かって、ふたりは歩くのだ。  たぶん、自分だけだ。足に影をひきずり、過去にとらわれたまま、この道を歩くのは。この計画を立てたときにはもう、草は決めていた。この時間を、過去に捧げようと。
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