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救命のことは、初めて聞いた。
宏明さんらしい、と思った。
私には気を遣うなと言いながら、誰よりも周りに気を配っているのは宏明さんだ。
『隠すんですよ、繊細なのも、優しいのも』
トミさんの声が聞こえた。
「紅ちゃんは、いつから宏明を?」
視線を私に戻して、おじいちゃんが尋ねる。
ワイシャツの袖のカフスボタンがキラッと光った。
「……わからないんです。多分、ずっと前からだと思います。苦しい時、いつも宏明さんが助けてくれて、それがなかったら私、とっくに潰れてたと思います」
「そうか、そうか……」
おじいちゃんは感慨深そうにつぶやいた。
2人でうな重を食べる。
普段は絶対食べない、高級なうな重。
そうか、最初から、病院をやめる覚悟で、私に気持ちを伝えてくれたんだ。
私と付き合ったら色々あると思ったって言ってたけど、病院をやめることも覚悟してくれてたんだ。
トミさんに言われる前から、そう思ってくれてたんだ。
救命を諦めてまで跡継ぎになるって決めた病院なのに、それを捨てる覚悟をしてくれてたんだ。
私は誰よりも宏明さんが大事だけど、宏明さんも私を大事に思ってくれてるんだ。
うな重の味は、もうわからなかった。
胸がいっぱいで。
「戸籍は変えられないと思うけど」
食事を終えたおじいちゃんが口を開く。
「2人が望むなら、できる限りのことをする。
病院の顧問弁護士もいることだし、何か方法がないか相談してみるよ。
周りは色々うるさいかもしれないけど、すぐに飽きて何も言わなくなる。そういうもんだよ」
おじいちゃんは温かい笑顔でそう言った。
私はさっきから泣くのを我慢するので精一杯で、頷くしかできなかった。
「成子のことはおじいちゃんに任せて、宏明と幸せにな」
「……はい」
にっこりしたら、一粒涙がこぼれた。
窓からまぶしいほどに日が差し込む午後のことだった。
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