日本での出会い

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「何なんだよ、お前……。せっかく連れて来てやったのに。意味が分からない」 「俺の意見も聞かずに勝手に交番とやらに連れてきたお前が悪いと思うぞ? ちょっとした意趣返しだ」  フンと鼻を鳴らして、ゼリゼは先に歩きだす。  ——客間にでも寝て貰おうかな。  ゼリゼの寝る場所を考えながら歩いている内に家に辿り着く。鍵を開けて入ると、躊躇なく土足で上がろうとしたゼリゼを慌てて止めた。 「家の中では靴は脱げよ!」  その言葉にゼリゼが目を見開く。 「ここが家……、だとっ⁉︎」  信じられない。掘立て小屋じゃないのか、とゼリゼの目が物語っていた。 「い・え・だ! そんな事言うんなら二度と入れてやらないからな」  有無を言わさずゼリゼからブーツを脱がせると、家の中の電気を点ける為に手を伸ばしてある事に気がつく。  ——あれ? さっき電気ついてたよな?  消した覚えがなくて首を傾げる。  今日は訳の分からない事ばかりが続いていて、玲喜の疲れ果てている脳には優しくなかった。  とりあえず座卓の前に座布団を敷いて、座るように合図する。  茶を淹れる為に台所に向かって湯を沸かす。尻目にゼリゼを見やると、嫌そうな表情で座布団の上に胡座をかいていた。  手早く茶を入れ、ゼリゼの前に出す。それからテーブルを挟んだ反対側に玲喜は腰を下ろした。 「それで、その皇子様は何でオレの家に居るんだ? て、何だよその設定……本当はコスプレか何かじゃないのか?」  玲喜から質問を受けて、ゼリゼが玲喜に視線を向ける。 「コスプレとは何だ?」 「何かのキャラクターを真似て、それっぽく見せる為に扮装(ふんそう)する事だよ」  持ち上げた湯呑みに口をつけてから言うと、ゼリゼはムッとした表情を作った。  もし仮にマーレゼレゴス帝国という国があったとしてゼリゼが本物の皇子だとしても、日本語が通じるのはおかしい。玲喜の胸中には不信感しかなかった。 「第一、見るからに外国人なのに、そんな流暢な日本語を喋っている時点でおかしいと思うのが普通だろ。お前の存在自体が胡散臭い」 「日本語? ああ。言葉は単に俺が魔法で分かるようにしているだけだ。お互い話しているのは其々別の言語だぞ。試しに解いてやろうか」 「へ?」  驚いた顔をした玲喜の目の前で、ゼリゼが何かの言葉を紡ぐ。 ‎「ובכן, עכשיו אתה יודע יותר טוב?(少しは理解出来たか?)」  急にゼリゼの言葉が理解出来なくなった。全く聞き取れない単語が音として耳に入ってくるだけで、意味を無さない言葉へとなったのだ。  ——嘘だろ。マジで言ってるのか⁉︎  扉を開いたらそこは異世界でした、という設定の物語は読んだ事はあったが、扉を開けたら異世界人がいましたというのも有りなのか? いや、ゼリゼからすれば正に扉の向こうは異世界でしたとなる。実際玲喜の目の前でも非現実的な事が起こっていて、流石に動揺を隠しきれずにゼリゼを凝視した。  しかしこれもどこか聞き覚えのある言語だったのもあって、玲喜はまたしても首を傾げる。  ——さっきから何なんだこの既視感は……。しかもゼリゼってあの人に似ている。  優雅な立ち振る舞いや、煌びやかな所も、玲喜の記憶の中にいるある人物と被るのだ。  ——そんなわけあるか。こんな横暴な話し方じゃなかった。  即座に否定して、目頭を揉んだ。  玲喜が一人で唸っていると、ゼリゼは満足したのかまた呪文を口にした。 「理解して貰えたようで何よりだ。さて本題に入ろうか。ここは日本でマーレゼレゴス帝国という国すら無いと言ったな? という事は異世界か何かか。俺と似たような話は聞いた事はないか?」  瞬きもせずにゼリゼを見つめたまま固まり、玲喜は一人の世界へと旅立っている。 「おい……まさかとは思うがまだ信用していないのか?」  じっとりと非難めいた視線でゼリゼに見られた後でため息をつかれた。 「悪い。いや……そうじゃなくて。信用出来ないんじゃなくて、余りにも現実離れしていて信じきれないんだよ。それに少なくともゼリゼと同じ事例は聞いた事がない。オレでは何の役にも立たないと思うぞ」 「俺はお前の所に来たのは、何か意味があるのではないかと思っている。そうでなければ大掛かりな呪文も使わずに、世界を渡れる筈がないからな」  ご尤もである。  聞かれても玲喜にはお手上げ状態で、何を手掛かりにしてもいいのかさえも分からない。座卓の上に両腕をあげて頭を抱えた。 「もしかしたらさ、違うかも知れないから聞き流してくれ。さっきは聞いた事ないって思わず言っちゃったけど、オレ……その国名どっかで聞いたような気がしたんだ。でも何処で聞いたのはサッパリ思い出せないから期待持たせるのも嫌だから無いって言った。頭のどこかで引っかかってはいるんだけど……。悪い。思い出せない」  頭が回っていないせいもある。気を抜けば上瞼が落ちてきそうだ。 「じっくり考えて思い出してくれ。俺はこのまま掘立て小屋で暮らすのは辛い。戻れるのならばすぐにでも戻りたい」 「だから、悪かったな掘立て小屋で! そりゃ皇子様には古臭くて汚い所かも知れないけど、オレにとっては喜一郎やセレナと一緒に暮らしていた大切な場所なんだよ!」  勢いよく立ち上がって声を荒げる。  それに掘立て小屋と馬鹿にされる程粗末な作りでは無い。きちんとした平屋の日本家屋だ。  確かに周りは畑か田んぼ、山くらいしかないが、駅のある街へ出るのは自転車で僅か十分くらいだ。そこまで酷くはない。 「ふん。本当の事を言って何が悪い」 「ああ、そう…………」  玲喜は一度言葉を切って、持っていた湯呑みを勢いよくテーブルの上に置いた。そして大きく息を吸う。 「それならオレもお前なんか知らんわ! 今すぐ出てけ!」  不服そうにしているゼリゼを外に追いやりブーツも投げつける。怒りで頭に上った血を落ち着かせるように深く息を吐き出した。  自分自身の事を言われるのならまだ我慢が出来た。  しかし祖父の喜一郎や祖母のセレナと暮らしたこの家の事を悪く言われるのは我慢ならなかった。  二人を否定された気がした。 『玲喜、お前の手に余るようになったらこの土地はすぐに手放せ。無理をしてまで残すような真似だけは絶対にするな』  喜一郎は玲喜にそう言った次の日に息を引き取った。  玲喜を育てていた実父は、玲喜が二歳の時に病気で他界していて母親は消息不明と聞かされている。随分と劣悪な環境下にいたらしい。発見された玲喜は言葉さえも話せない状態だった。  そんな玲喜を引き取ったのが喜一郎とセレナだ。 『玲喜、貴方のおじいちゃんとおばあちゃんよ。これからは三人で家族になるの。仲良くしてね』  玲喜は今まで誰とも会話をした事がなく、言葉を扱えなかった。  おじいちゃん、おばあちゃんという濁音のついた言葉は発声し難い。いつまでも口を開いたり閉じたりを繰り返す玲喜を見て、セレナが名案を思いついたとばかりに言った。 『ねぇ! 呼び方変えましょうよ! 私はセレナよ。セレナ。この人は喜一郎。キイチロウ。こっちの方が呼びやすい?』  華が咲いたように笑ったセレナを見て、玲喜は顔を赤らめた。 『セレ……ナ、きいち、ろ』  つっかかりながらも、名を呼んだ玲喜の頭を二人はたくさん撫でた。 『ちゃんと言えて偉いわ、玲喜』  玲喜はそれ以来二人を名前で呼ぶようになった。  褒めて貰えたのが嬉しくて、玲喜は更に頬を赤らめて目を細める。セレナと喜一郎は、玲喜をとても大切に育てた。  だが、玲喜が十一歳になるのを待たずにセレナが急に病気で他界し、喜一郎もその数年後に他界してしまった。  玲喜は喜一郎の遺したこの家で、二十一歳になった今も一人で住んでいる。  しかし、その家さえももうすぐ無くなってしまう。  元々バイト代を貯めて土地にかかる税金等を玲喜が支払っていたが、ある日見た事もない親戚という中年男性と弁護士が現れて、土地が売れたから立ち退くように言われたのだ。  喜一郎から見せられた登記識別情報には、確かに玲喜の名前になっていたはずなのに、いつの間にか知らない名前に書き変わっていた。  それでも食い下がって指摘はしなかった。玲喜は社会人としての自分の立ち位置を知っていたし、生活も豊かではなかったからだ。  その猶予まで二ヶ月を切っている。  今は引っ越しの為にバイト代を貯めている所だ。  明日からの連休は出ていく為の荷物整理をしなくてはならない。その連休を確保する為に連勤していたのだが、最後の最後で酷い心労が重なった。 「疲れた……」  心身共に疲れがピークに達していた。  少しでも不快感を拭いたくて風呂に直行してシャワーを浴び、布団の上に身を横たえる。昔から寝れば回復するタイプだった。  玲喜の意識はすぐに睡魔に負けて落ちていく。枕の上に玲喜の黒髪が広がった。
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