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口々に説明された現実を受け入れたわけでもなければ、理解したわけでもない。
それでも一人だけ此処にいてこの国や日本が壊れて行くのを見るのは、考えるだけで嫌な気持ちになった。
助けてくれた人がいた。こんな己でも必要だと言って、愛してくれた人がいた。家族になってくれた。一緒に食を共にして笑ってくれた人がいた。気にかけてくれた人がいた。
玲喜にもそれだけで充分だった。
淀み切った心がフワリと持ち上げられて、浄化された気になる。刀が刺さった喉元が、とても温かく感じた。
例え何もかもが上手く行かずに滅んでしまうとしても、最後までゼリゼの隣に居たかった。
——オレの全てはゼリゼにあげた。
「オレも行きたい。頼む、連れて行ってくれ」
小さく、しかし言葉はハッキリと玲喜から紡がれた。
真っ直ぐに顔を上げた玲喜が少女を正面から見据える。
曇りの無い瞳は憂いは帯びているが先程のような弱々しさはなく、迷いも見えなかった。そんな玲喜を見て、初めて少女が目を細めて優しく微笑んだ。
「改めて、初めまして玲喜。アタシは猫又。リンと呼んで。セレナの残した希望はアタシが守りたい。これは役割とは別にあるアタシの意思。最後まで貫き通させて」
「ありがとう、リン」
もう誰も失いたくない。
城の中の人たちも、ラルもアーミナも、マギルもジリルも、料理人たちも、セレナが親友と呼んだこの人も……。誰かが傷付くのは見たくない。
守るなんて強い言葉は言えない。大層な大義名分も掲げていない。
だけど、先程見た惨劇のような光景を見ているだけなのはごめんだった。
せめて、手の届く範囲の人くらいはどうにかしてやりたいと思った。
直接何かが出来なくても、手助けの補助くらいならやれるかもしれない。
「リン、急ごう」
「偉いね玲喜。セレナの孫だけある。強い子だ」
「なあ、なんでセレナは負のエネルギーを生み出したんだ? オレにはそれだけがどうしても分からないんだ」
記憶の中のセレナも、周りから話を聞かされるセレナも、いつも穏やかで優しくて笑っている。玲喜からの問いに、リンが口を閉ざす。固い表情をしながら、再度口を開いた。
「詳しい答えは聞かない方がいい。あの時のセレナの悲しみは、例え貴方でも理解出来ないと思うから。それくらい当時のセレナは、王と教会からの裏切りと絶望と痛みと耐え難い屈辱の中にずっといた。それでも一人で耐えて、その後ふらりと訪れた日本で喜一郎と出会った」
「……」
リンの言葉から何があったのか何となく想像がついた。
出しゃばりたくない。日本であんなに明るく笑えるようになったのは、きっと喜一郎のお陰だ。
それならもう何も聞かない。玲喜にとっての真実はそれだけで充分だ。
玲喜は自覚こそしていないが、セレナと似ていた。どうしようもないくらいに、人を尊び思いやれる心を持っている。だからこそ周りに人が集まり、手を差し伸べてくれる。リンは懐かしむように目を細めた。
「いいや、やっぱり聞かない。先を急ごう」
そうは言ったものの困った事にどう体を動かしていいのか分からず、玲喜はその場で派手に転げてしまった。
「これどうやって体を動かしたらいいんだ?」
立つのも難しく、普段のように動こうとすると上手くバランスが取れない。上体を起こして座っているだけで精一杯だ。
「地を滑るようなイメージをしてみて。地を蹴って障害物を飛び越えるイメージでもいい」
リンに言われた通りにすると案外簡単に動けるようになり、字の如く地を滑るように距離を進んでいく。
リンは、城の近くに来ると一匹の黒猫に姿を変えた。
普通の猫ではない。尻尾が二本生えている。猫又だと言っていたのはこう言う事か、と納得した。
玲喜は妖を詳しく知らないが、本で見た事はあった。年を取って妖に変わるという猫のバケモノ。リンからは邪悪な気配は伝わって来ない。それどころか手を差し伸べて玲喜を導いた。
リンは簡単に壁や屋根を飛び越えていって、おいでと言うように玲喜を振り返る。
玲喜も飛び上がるイメージを頭に浮かべて、リンの動きをなぞった。その後ろ姿に続いて移動して行く。
真横から警備隊が二人やってきて思わず身構えたが、玲喜が男たちの隣を通っても誰も見向きもしない。本当に誰にも見えていない証だった。
城に意識を戻す。入ってからは、玲喜が道案内をする番になった。
「リン、こっちだ!」
ゼリゼの部屋への道は玲喜が先に進んだ。
角を曲がって三十メートル進んだ先にゼリゼの部屋はあるというのに、タイミング悪く警備隊が数人歩いてきた。
侵入者の件があって、警備が強化されているのかも知れない。それは良いのだが、今までなかった所にまで色んな機能を兼ね備えた防御壁が重ねて張られていた。
——通れるのか、これ。
息を呑んだ。
「何だこの猫。何処から入った?」
警備隊がリンに気が付いて近付いていく。
リンは何事もないかのように、緩く尻尾を振るった。すると全員膝から崩れ落ちてそのまま眠ってしまい、玲喜は感嘆の声を漏らした。
「凄いなリン」
「ふふ~ん、もっと褒めて良いわよ?」
意外と調子乗りなタイプらしい。
嬉しそうに耳が動いている。その様子が可愛らしくて、玲喜は笑みを溢した。
魔法壁に向けて恐る恐る手を伸ばす。
「大丈夫。魔法は霊体にも妖にも対応されていないわ。これまでに存在すら確認されていないのだから、対処しようがないもの」
通れないと思っていた対人と魔物用に造られた魔法壁は、リンの言う通り霊体である玲喜と妖のリンには効果がなく、素通り出来てしまった。
「本当だ。ゼリゼのとこまでもう少しだ!」
廊下を駆け抜けて、部屋の手前に差し掛かった時だった。
突然、ゼリゼの部屋の扉が砕け散り、一緒に誰かが吹き飛ばされて壁にぶつかったのだ。
衝撃音と共に壁にめり込んだ体が地に落ちる。そこには良く見知った男が、壁を背に座り込んでいた。
「マギル!」
急いで駆け寄る。
「くそ……、て、は? 玲喜ぃ?」
「へ?」
見つめ合ったまま、時間が停止した気がした。
「マギル、オレが見えてるのか⁉︎」
「まあ……普通に。ていうか、は? 何でお前二人いるんだよ! じゃあ中に居るお前は誰だ⁉︎」
「ちぃっ、遅かったか……」
リンが人の姿に戻り、部屋の中に先に足を踏み入る。
「え……何で猫が女になった? 幻覚か?」
マギルが目を丸くしていた。
「誰かと思えば猫又か。今更何をしにきた?」
「ゼリゼ! ジリル!」
少し前まで己の体だったものが勝手に動いて喋っているのを見て、玲喜は奇妙な感覚に襲われた。
しかもその己の手がゼリゼとジリルの首元を掴んで握りしめている。
「何しに? そんなのレジェお前を封印して玲喜に吸収させる為に決まってるでしょ! その体は玲喜のよ! 返して貰うわ!」
リンの動きに合わせて玲喜も飛んだ。
だが、玲喜の体は何にも触れる事が出来ずに通り抜ける。
「これはワタシの体だ。それよりもまだ死んでいなかったのかレキ。兄に逆らうな。大人しくそのまま死ね。そしてワタシの力の糧となれ」
「玲、喜……だと?」
「ゼリゼ! 大丈夫なのか?」
玲喜は声を掛けたがどうやらゼリゼには姿は見えてはいないらしく、視線が室内を彷徨っていた。
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