正気で狂気の恋

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 恋とは一種の狂気である。  そう言ったのは、一体どこの誰だっただろうか。まあ、そんなことはどうだっていいのだけれど。それにしたって、いやに的を射た表現だと、私は思うの。  だって、だって、酷く熱い燃え盛る炎に灼かれるかのような恐ろしいまでの激情は、正しく狂気的であると言えるのでしょうから!  そう、そうよ。私はずっと、この苛烈な炎の上で踊っているの。素敵なドレスで着飾って、とびきりかわいく見えるようにメイクをして。理由なんて、あなたに世界で一番だって言ってもらいたい、それだけで十分でしょう?  あなたに聞こえるように、まるで子猫のように愛らしい声で愛を謳う。あなたの根底に潜む欲を誘い出すように、妖艶に美しく微笑みを浮かべてみせる。ああ、それでもあなたは私を見てはくれないのね。  あなたはいつも変わらず、私の作ったお菓子を食べて美味しいと言ってくれる。それだってとても嬉しいのだけれど、私が望んでいるのはそれだけじゃあない。でもあなたは、優しい微笑みだけを見せて、明確な答えを渡してくれない。  あなたはいつも、私の狂気を見て見ぬふりをしている。  ああ、どうして? 私の魅力が足りないから? それもきっとあるのでしょうね。ああ、それともあなたは他に好きな人でもいるのかしら! でも、それならどうして私に思わせぶりな態度をとるの? ああ、本当になんて酷い人なのかしら!  それでも、それでも私はあなたを諦めるなんて、もうできやしないのよ。あなただってわかっているのでしょう? 私はもう引き返せやしないところまで来てしまっているの。いいえ、来ざる負えなかったのだわ。そうでしょう? 私をここまで連れてきたのはあなたなんですもの。  いつのころだったか、あなたは言ったわ。恋だとか愛だとかは、正気の皮を被った狂気でしかないのだと。大きな想いが歪なお呪いになることはよくあるのだと、そうとても楽しそうに語っていたのを覚えているわ。あなたが語る話は難しいことばかりでよくわからなかったけれど、こればかりは本当にその通りだと思ったの。  だって、私はそれをよおく理解している。それがどれだけ歪で、けれどまっすぐなものであることを。あなたにたくさんの愛を、狂気を捧げたと思っているの?  そう、私が一番わかっているわ。これが世間一般ではよくないことだとされていることだって。でも、恋や愛というものは倫理だ道徳だのと、そんなもの全部、全部どうだってよくなってしまう力を持っているのよ。みんな知らないだけ。それでも、よく言うでしょう? 恋は盲目だって。全くもってその通りよね。そして周りは、その当人がおかしくなってしまっていることに全く気が付かない。ふふ、人間って本当におかしな生き物。あなたの言う通りだわ。私もそんなおかしな生き物。その中でも一等おかしくて、狂っていたから、あなたは気に入ったのかしら。だとするなら、それってとっても幸運なのだと思うわ! 私は気が狂っていた。だからあなたという素晴らしい存在と出会えた! これが幸運でないと言うのなら、一体何が幸運だと言うの? 私の人生でこれ以上に素晴らしい出会いはなかったわ!  だから、私はあなたに全てを捧げた。あなたにとって私は、数多に存在する人間のうちの一人。でも私にとってのあなたは、この世の全て。少しでもあなたの記憶の中に残っていたい。知っていたのよ? あなたが私に対して興味なんてなかったことに。それでも、私はあなたを心の底から愛したの。受け取ってなんて言わないわ。けれど、せめて私の最期を、私の愛の行き着く先を見届けていて。私のささやかな我儘をどうか聞き届けてちょうだい。  そうして私は、手に持ったカッターナイフを思い切り首に突き立てたの。  あなたは私の最期をどんな顔で見ていたのかしら。それだけが心残りだわ。
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