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【その他大勢の一人に過ぎなかった】
悲しすぎる現実に、エステルは嫌だ嫌だと子供みたいに泣きじゃくりたい。しかし、既に成人した身。19歳という年齢がエステルの感情に重い蓋を乗せる。
「さて、と。まずお話を聞く前にお茶でも飲ましょう」
「いや、君の手を煩わせるつもりは」
「お茶を飲むのもお嫌なのかしら?」
「……いや、いただこう」
聞きたくない話を少しでも先延ばしにしたくて、エステルは呼び鈴を鳴らしてメイドにお茶を用意させる。
既に用意されていたのだろう。気まずい空気を感じる前に、別のメイドがワゴンを引いてサロンに入室した。
「あとはわたくしがします。あなた達は下がりなさい」
貴族令嬢が婚約者の為に自らお茶を淹れるのは良くあること。
メイド達は己の役割を主張するより、恋人達の時間を邪魔するべきではないと判断し、にこやかな笑みを浮かべて去っていった。
大きなポットを手に取ったエステルは、ティーカップにお茶を注ぎ入れる。いつもよりゆっくりと。
普段の何倍も時間をかけているのに、アイザックは何も言わない。湯気の向こうにいる彼は、ただただ硬い表情でいるだけ。
「お待たせしましたわ。さあ、どうぞ」
「手を煩わせてすまなかった。いただこう」
「……いえ、わたくしが飲みたかっただけですわ」
好きな人の為にお茶を淹れることが、どうして煩わしいことになるのだろうか。
無意識なのか、気遣いなのか。それとも意図して自分を傷付けたいのかわからないアイザックの言葉に、エステルは強がりを言ってお茶を啜る。
とても、苦い。
「ごめんなさい。失敗してしまったようね……すぐに淹れ直しますわ」
「いや、私はこのままで十分だ」
「……そう」
自分だけでも淹れ直そうか。そうすれば、彼の話を聞かなくて済む。
そんな狡い考えが頭をよぎる。しかし、往生際が悪すぎるその選択は、どうしてもできなかった。
苦いお茶をもう一口飲む。アイザックもお茶を啜っているが、一欠けらも不味い素振りは見せてくれない。
「先ほどの話……本気なんですの?」
「ああ」
少し悩んで率直に尋ねたエステルに、アイザックは静かに頷いた。
前のめりになることも、動揺することも、だからどうしたと開き直ることもしない。きちんと自分の話に耳を傾け、誠実に言葉を選んだと思えるタイミングで返事をした。
それがどれだけ自分を傷付けているのか、彼は理解しているのだろうか。
「そんなこと、許されると思っているのですか?あなたのその選択が、あなたの家門を傷付けることを理解されているのですか?」
嫌よ、やめて。わたくしを捨てないで。
そう言えないエステルは、精一杯彼を引き留める言葉を紡ぐ。ここには自分たちだけしかいない。今、思い留まってくれたなら、全て忘れる自信がある。
けれどもアイザックは、反論することなく黙って頭を下げた。
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