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どうしても、また君に歌を届けたかった。
1
『ねえ歌ってよ、憐。オレ憐の歌好き』
小学生の頃に突然引っ越してしまった友人の声が脳裏に響いた。
今でも鮮明に覚えている。
二階堂憐は、着ていた黒いパーカーのフードを被り、その上に黒い狐の半面を被った。
三脚にセットしたスマホを動画撮影に切り替える。
友人の声に応えるように、五、四、三……と心の中でカウントダウンしていく。マイク付きのベッドホンから聞こえてくるメロディーに合わせて口を開いた。
男にしては少し高めの声が音となって、憐の口から紡がれる。それは、有名な歌手の失恋をテーマにした曲だった。
音源や歌詞表記は著作権の問題で動画には載せられないので、いつもアカペラで歌っていた。
音信不通の友人には、もう届く筈のない歌を贈る。宛先のないメッセージを、音に乗せて言葉に変えた。
歌い終えると、撮影していた動画を止めて確認する。調子が悪いというわけではなく、普段通りに撮れていた。
「これでいいかな」
ボソリと呟く。
憐は黒い狐の半面を外すなり動画編集アプリを使って編集し、動画をアップロードした。
——そろそろ帰ろう。
そう思った矢先だった。
「あー良かった! やっぱりここだった!」
「——っ⁉︎」
背後から突如上がった歓喜の声に、ビクリと身を竦ませる。
他には誰も居ないものとばかり思っていただけに心底驚いた。
驚き過ぎてまだ忙しく鼓動する心臓を抑え、目を見開いたままの憐とは対照的に、突如現れた男は嬉しそうに駆けてくる。
その姿は大型犬を彷彿とさせた。
犬耳と尻尾が幻覚で見えてきそうなくらいだった。
——こいつ、誰だ?
片側だけ短くカットしたミルクティー色の髪を揺らして男が微笑んでいる。
どこかで見た気がしてジッと男を見つめ続けた。
百九十センチを超える高身長に長い手足、ハッキリとした目鼻立ちは深すぎもせず薄すぎもせず丁度良い彫りの深さだ。
遠目でも睫毛の長さが分かる。
こんな華やかな知り合いは憐にはいない。
そう逡巡した後に「あ」と声を漏らす。コンビニに売っている雑誌の表紙で、よく見かける顔だった。
「月城、南人……?」
でもあの有名なモデルがこんな所にいる理由が分からない。思わず指をさすと、男は座り込んでガックリと項垂れた。
「あーー、そっちかー。確かに合ってるんだけどさー! オレは久しぶりに憐と会えて嬉しかったのになぁ。ま、あの頃よりだいぶ背も伸びたし、変声期でかなり声も変わったし、今はカラコンだし、髪の色も違うから分からないかな」
砕けた喋り方をした男が、独り言のように呟いている。
どうして自分の名前を知っているんだろう。
状況が把握できない。一時も視線を逸らさずに見つめ合う。
揶揄っているような素振りは見えずに真剣そのものだ。
男の顔を注視していると、右目の下に二連になった小さなホクロがあるのに気が付く。
『ねぇ歌ってよ、憐。オレ憐の歌好き』
また過去の友人が脳裏を過ぎった。
——嘘……だろ。
「え、もしかしてお前……、三神湊人?」
驚きすぎて、大きく瞬きした。
「うっそ、覚えてた! そうだよ、久しぶりだね憐! この工場も懐かしいし、また憐と会えて嬉しい!」
月城南人改め三神湊人が憐の両手を握って喜びを表す。
本当に驚いた。湊人と会うのは小学生の時に別れたっきりで、十一年ぶりだったからだ。
勢いのままにハグされそうになってすかさず避ける。
「再会のハグくらい良くない⁉︎」
「無理だ」
即答した。
「無理って言わないで! せめて嫌にして⁉︎」
何が違うのかよくわからない。
「じゃあ……嫌だ」
ハッキリと断ると面白いくらいに湊人がいじけて見せた。
「ヤダ……バグくらいしたかった。て、冗談はおいといて。ここ残ってたんだね。何か嬉しい! 小学生の頃ここでよく一緒に遊んだもんね」
「ああ。そうだな」
湊人と共に今いる所は、閉鎖されて十年は経っている廃工場だった。
元々は憐の両親が経営していた工場で、従業員として働いていたのが湊人の母親だった。
『ねえ、憐は? 今日も憐いる?』
『湊人こっちだよ』
『憐今日も可愛いね。学校で会えなくて寂しかった!』
姿を見せた瞬間飛びついてきた湊人に抱きしめられて、憐はそのまま尻餅をついた。
母親にくっ付いて学校帰りに遊びに来ていた湊人は人懐っこい性格で、内気な憐でもすぐに仲良くなれた。
工場内で遊ぶ事も多かったけれど、外で話したりサッカーしたり、湊人のリクエストで歌をうたうのが好きだった。
「おばちゃん達元気?」
何気ない湊人の一言で、憐の表情が曇る。
「二人とも随分前に……他界したんだ」
それだけを口にする。
詳細は言いたくなかった。
話せば必然的にその〝続き〟も話さなければいけなくなるかも知れないと思ったからだ。
両親の話も含め、誰にも知られたくない事がある。
「そう……。それじゃ大変だったね、憐」
はにかんで左右に首を振った。
「それにしてもどうして湊人はここにいるんだ?」
触れられたくない話題だっただけに、少しトーンを上げた口調で別の話をふる。
「じゃーん! これ!」
「う……」
差し出されたスマホ画面を覗いた瞬間、低く唸って閉口した。
湊人に見せられたのは今し方アップしたばかりの、憐の動画チャンネルだったからだ。
『オレ、憐の歌好き。ねぇ、歌ってよ憐』
小さい頃、湊人はそう言って満面な笑顔をくれた。
それがとても嬉しくて、望まれるままに歌った。すると湊人はもっと喜ぶから、調子に乗って促されるままに歌っていた。
湊人との時間は、憐にとっての優しい記憶だった。
歌の動画を撮るようになったのも、湊人のその言葉が起因している。歌う前には必ず思い出して歌う。
もう一度湊人に歌を届けたかった。
そう願っていたのは本当の気持ちだったけれど、実際に見つけられるとは露ほども思っていなかったので、気恥ずかしさの方が勝る。
どうしていいのか分からなくなってしまった。
「巷で噂になってるREの動画を後輩に無理やり一緒に見せられたんだよね。そしたらここのバックに額縁に入った絵が飾られてるでしょ? 右端が破れている」
停止画面を指さされ、覗き込んだ。
動画は毎回チェックしているから覚えている。画面の左端に一瞬だけ半分映った程度のものだったから、さして気にもしていなかった。
——よく見てるんだな。
思わず感心してしまう。
「これに気がついてさ。オレ、昔これ落として割った時に破っちゃって、怒られた事あったから印象深くて覚えてた。そう思ったら歌ってる子が憐にしか見えなくなってきて、もしかしたらREてホントに憐かもって思ったら、居ても立っても居られなくなっちゃった。今日収録してそうだったし、仕事帰りに時間帯合わせて寄ったの。ビンゴ!」
成る程、と納得する。
次回から絵は外そうと心に誓う。
湊人みたいに聡くて良く気がつく人が現れても困る。
「もし別人だったらどうするつもりだったんだよ?」
名推理を披露した湊人に驚かせられたのと、迂闊だった自分を隠したくて憐は少しだけ視線を伏せた。
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