どうしても、また君に歌を届けたかった。

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 ◇◇◇  仕事前に受けた湊人からの電話を、憐は仕事が終わってから改めて思い出していた。  湊人が一緒に行きたいと言っていたし、懇意にしているマネージャーならいいかと、誘いを受けてしまったのはいいが、今更ながら緊張してきた。  ——う、どうしよう。  後になって断るのは失礼にあたるかもしれないと思い、心を強く持とうと決める為に大きく深呼吸する。  湊人のイメージを悪くする事はしたくない。すると、スマホが着信を示して震えた。 「もしもし」 『憐? バイト終わった?』 「終わったよ。湊人も?」 『そ。今日はもう上がり。予定通りだと明日って憐休みだよね?』  ああ、とうとう来たか。随分早かったなと考える。 「うん」 『オレも入ってた撮影が急遽なくなってさ、休みになったんだよね。昼間話してたカラオケこれから行かない?』 「これから? 明日じゃなくて?」  驚きで瞬きする。てっきり早くても明日だとばかり思っていた。 『うん。もしかして都合悪かった?』 「いや、そういう訳じゃない。大丈夫だ」  最寄り駅前で待ち合わせをする事に決定して通話を終了させる。慌てて自分の格好を確認した。  いつもわざとワンサイズ大きめに買っているフード付きパーカー、あと下は細めの黒ジーンズ。こんな格好で出掛けても大丈夫だったのだろうか、と憐は頭を悩ませた。  でも、家に帰って着替えている時間的余裕はなかった。それに着替えた所で今の格好と大差ないなと考え直す。  憐は足早に駅に向かうと、ロータリーで足を止めた。  控え目なクラクションを鳴らされて視線を向ける。そこには車の助手席から手を振る湊人がいるのが分かって、小走りに駆け寄った。  助手席のウィンドウが開いていく。 「初めまして、二階堂憐です。今日はお誘いいただきありがとうございました」 「初めまして。湊人の専属マネージャーの新田友也よ。こちらこそ突然ごめんなさいね」 「いえ、お気になさらないでください。誘って頂けて嬉しいです」  促されて憐も車に乗り込む。  滑らかに走行し出した車は、三十分くらいで都内から少し離れたカラオケ店に停まった。  車の中から新田が電話をかけて確認している。すると店の中からやたら貫禄のある男が出て来た。 「急にごめんなさいね」 「ちょうど暇してたとこなんだよ。気にしないでいいよ」  店のオーナーらしい。  視線が動いて不意に目が合ったので、軽く会釈する。  ——誰……?  驚いたような表情をされた気がしたけれど、すぐに目を逸らされた。男の顔にも見覚えがなかったので、後部席に座っていたのに気が付かれなくて驚かせてしまっただけだろうと考える。 「こっちに回ってくれる?」  案内されるままに店の裏側にあるオーナー専用の部屋に皆んなでついて行く。中には更に下に降りれる階段があった。  そこは誰にも会わずに貸切で利用出来る知る人ぞ知るカラオケルームらしい。  主に常連客や友人関係にしか貸出していないみたいで、憐としても都合の良い場所だった。 「こういう所もあるんですね」 「公にしてない所だから秘密にしといてね」  新田の言葉に頷く。 「お酒と料理も美味しいの。憐君どれにする? ここのオーナー、元々バーテンダーなのよ。このお忍びルームは仲間内でカンパして我儘言って作って貰ったの」 「え。そうなんですか⁉︎ あ、あのすみません。俺はアルコールが苦手でして……。料理だけいただきます」 「オレも下戸」 「やーね、湊人が下戸なのは知ってるわよ」  ケラケラ笑いながら、新田がオーナーに料理をお任せで注文している。  メニュー表がないので、その時の材料次第で出てくるものが都度変わるみたいだ。  カラオケルームと繋がっている奥にあるキッチンルームに入っていったオーナーを見送り、早速三人で歌う事にした。 「憐また一緒に歌おう?」 「いいよ」  湊人から声を掛けられ、二人で選曲した後で新田が曲を選んだ。  湊人と歌い出すと、突然新田の顔が輝きだす。余りにも楽しそうだったので、憐と湊人は笑った。  憐のパートの所で新田は特に騒いでいて、褒めちぎる言葉の羅列にどう反応していいのか迷ってしまい、照れくさすぎて困った。  新田の番になり曲が流れる。  歌うと普通に男性の声に変わったのもあって思わず二度見してしまう。意外と音域も広くて改めて虚を突かれた。  その次に憐の持ち歌が始まり、キッチンルームからちょうどオーナーが出てくる。  手には皆んなの飲み物や幾つかのツマミになりそうな料理を乗せたトレイがあり、それぞれの前に並べていた。  だがその手が途中で不自然に止まる。 「この声……もしかしてRE? 君やっぱりREなのか⁉︎」  ——やっぱり?  当てられるとは思わずドキリとする。 「どうして……」  まさか声で指摘されるとは思ってもみなかったから動揺してしまう。 「こんな職業してるからね。声には敏感なんだよ」  成る程、と納得する。  ゆったりとした口調で返された。 「すまない。先に歌ってくれるかい? それから説明したいからね」  どこか興奮気味のオーナーの言葉に甘えて歌の続きを口にした。  曲に合わせて全身で音を乗せる。言葉一つ一つをメロディーに込めていく。喋り上手な新田さえ静まり返り、誰も口を開かなかった。  若干歌いにくさはあるものの、涙ぐんでいる新田を見て心が綻んだ気がした。  だがそれも束の間で、次の曲が始まっても誰も口を開かないので、憐は焦った。 「あの……次始まってますよ?」  ハッと我に返ったかのように一斉に注目される。 「やっぱりREだよね! ファンなんだよ僕。最近知人に勧められて見始めたばかりだけど、過去の動画全部見返したよ。いつも楽しみにしてるんだ。こんな近くに住んでいたなんて思わなかったから驚いたな」  目を輝かせたオーナーにガッシリと腕を掴まれて揺すられる。  唇を引き結んで身を強張らせたのが湊人にも伝わったのか、湊人が慌ててオーナーと憐の間に身を割り入れた。 「憐は腕を掴んだりされるの苦手なんで、そういうのはやめて欲しいです」 「そうなのかい? 突然すまかったね。つい感極まってしまって。知らなかったとはいえ本当に申し訳ない」  瞬時に手を離したオーナーが申し訳なさそうにはにかんだ。 「いえ、大丈夫……です。あの、ファンだと言ってくれたの嬉しかったです。ありがとうございます」  それを聞いた後で、オーナーはまたキッチンルームへと消えて行った。 「憐、おいで」  ドクドクと嫌な音を立てている心音を宥めるように胸に手を当てる。  ——態とじゃない。落ち着け。大丈夫だ。  いつものように自分に言い聞かせる。  動悸や息切れ目眩などの症状を和らげるように、憐は目を閉じた。
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