どうしても、また君に歌を届けたかった。

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「憐は何が食べたい?」 「食べるのは何でもいい。ただあまり人目が気にならない場所がいい……かな」  そう言うと、湊人が唐突に足を止めた。 「もしかしてさ……憐て既婚者?」  想像の斜め上を行った湊人からの問いかけに焦る。 「いや、何でそうなったんだ⁉︎」 「え、だって家の場所秘密だったりするし、連絡来ない日もあるし、何かオレいけない恋してる気分になっちゃった」  言われてから気がついた。  そう捉えられてもおかしくないかもしれない。  傷付けてしまうのは嫌だった。きちんと説明したくて口を開いた。 「違う。顔見知りに知られたくないだけだ。俺、誰とも交流してないから、見られて陰口叩かれたり、あとは目立つのが嫌なだけだよ」  周りから湊人と同じ様に誘われて、今まで良い返事をした事がない。  それどころかバイト先の仲間とも極力関わらないようにしている。 「良かったー! 自分で質問したのは良いけどドキドキしちゃったよオレ。ん、了解。それじゃあ行こうか」 「……バカ」 「憐といられるならバカでいいよ、オレは」  それからは、週に二回は湊人と食事をするのが当たり前の生活になった。    ***  動画の撮影をする為に憐は電車に揺られていた。  何となく吊り下がっている広告に目を向ける。そこには最近良く見る湊人の顔が載っていたので思わず顔を背けた。  再会してからやたら目に付くようになったのは、湊人の存在を探しているからだろうか。  二人で会う時とは違った表情を向ける湊人は煌びやか過ぎて、まるで別人の様で落ち着かない。  普段の砕けた表情や話し方しか知らないだけに、どことなくソワソワしてしまう。  ——イイ男の色気って狡いよな。  悔しいから本人には言わないが。  最寄駅を降りて廃工場まで歩いて行くと、そこにはもう湊人の車が停まっていた。 「湊人早いな」  思わずニヤけてしまい、憐は頬に両手を当てて表情を引き締める。  中に入ると湊人は俯けていた顔を上げて憐を確認するなり、嬉しそうに笑んで小走りに駆けてきた。 「憐、今日遅かったね!」  さっき広告で見た人物と同じ筈なのに、やたら大人びた熱と憂いに満ちた表情なんて何処にもない。  背景に華が散っていそうなのは同じなのだが、今の湊人から散っているのはメルヘンチックな花の方だ。 「い……っ、い……ぬ」  湊人が大型犬にしか見えなくて、憐は左手の甲を押し当てて笑いを堪える。 「え、何。どうしたの? 今のどこにツボ突かれる要素あったの?」  湊人は心底不思議そうな顔をしていた。 「ん゛ん゛……ごめん、何でもないんだ」  可愛かったなんて言うと怒ってしまうだろうか。  憐の頬と腹の筋肉が引き攣った。  *** 『最近会えないね。憐に会いたい』  湊人から入ってきたメッセージを見て、そういえばそうだなと思考を巡らせた。  お互い仕事のスケジュールを忙しく組んでいたのもあって、湊人との休みのタイミングが合わなくなっている。 『そうだな』  簡潔なメッセージを返す。  毎日お互い手が空いた時にこうしてメッセージアプリで他愛ない会話のやり取りをしたりはするが、会う時間は作れないでいる。 『差し入れに貰っちゃった!』  洋菓子の詰め合わせセットの写真が送られてきた。  昔っから甘いものには目がなかったが今もそうらしい。微笑ましくて笑みを浮かべる。  湊人からはよくこうして写真が送られてきたりするけれど、憐の方から写真を送った事はなかった。  たまにそれとなく催促されるが、その前に送る写真自体がなかった。 『今も甘い物好きなんだな。俺も写真とか送れたらいいんだけど何もない』  メッセージを送るとすぐに返信が来た。 『自撮りちょうだい』 『それ以外で』  さすがに自撮りは恥ずかしい。  その前に今まで撮影でも顔出ししていないし、自撮りをした事がない憐にはハードルが高過ぎた。 『じゃ、憐の一生分の時間ちょうだい』 『重過ぎだ』  間髪入れずに送り返すと、泣きながら去っていくスタンプが返ってきて、憐は思わず笑いを吹き出した。  ご飯くらいはまた一緒に行きたいね、と話しをして一週間後に予定を組んだ。  スマホの照明を落として目を瞑る。  ——俺、最近良く笑ってる気がする。  湊人とまた再会してから、また笑えるようになっている自分がいる事に安心した。  もうそんな感情は消えているんじゃないかと思っていたからだ。  湊人が引っ越しでいなくなって、すぐに両親も亡くなり、それ以降は心の底から笑った記憶が憐にはない。  他人に好かれやすいタイプじゃないのは自分が一番よく分かっていた。  せめて動物には優しくしてあげたくて、何度も怪我をしていた動物の世話をした事があった。  しかし、憐が関わった動物は何故か元気になった後で、直ぐに変わり果てた姿となり近所で発見された。  何度も何度も同じ事が続くと、原因は自分と関わったせいなのではないかと疑うようになった。  ——俺が関わらなければ死ななかったのかもしれない。  まるで自分が疫病神や死神に思えてくる。  耐えきれなくなった憐は、動物にも他人にも距離を置くようになってしまった。 『疫病神』  また義兄の声がした。  ——湊人は大丈夫なのだろうか?  ある日突然居なくなってしまわないか不安になってくる。  今のまま湊人と一緒に居てもいいのかまた迷いが生じた。  怖い……と思ってしまった直後、息が浅くなり始めて上手く吐き出せなくなる。 『ほら見ろ、可哀想に。疫病神のお前と関わったからだ』  脳裏に焼き付いている声がまた再生された。  ——マズイ、発作が出る。  そう思った時にはもう遅かった。  胸が苦しくなってきて、喉に手を当てた。  落ち着けと自分に言い聞かせる。ハッハッと短い呼吸を吐き出しながら、意識が朦朧としてきた。  暫くすると徐々に収まってきて、憐は大きく息を吐き出す。  この場に義兄が居なくても、記憶だけで支配されているという錯覚に陥った。  いつまで続くのだろう。  逃げても逃げても、例えこの場に居なくても捉えられている。記憶は消せはしないし、どこまでもついて回ってきて戒めた。 「もう……嫌だ。居なく、なりたい」  蹲って両手で頭を抱える。  逃亡生活にはもう疲れてきていた。
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