笑ってはいけない最恐心霊ホテル

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「じゃあ撮影始めるから。なんか見えたら教えて」 「了解。では、行きますか」 林テツヤはスマホの録画ボタンを押すと、同行者の藍原の半歩後ろから、暗闇へと足を踏み入れた。 都心から車で二時間半かけてたどり着く、山奥の湖のほとり。 道は細く、街灯も少なく、周辺にコンビニはおろか建物もない。 そこに突如現れる、よく言えば隠れ家、悪く言えば孤立している七階建ての廃ホテル。 昔はその立地を生かした景観の良さで人気があったらしいが、現在は倒産して所有者は不明。 カメラを回せば確実に心霊現象が撮れるという噂があり、心霊写真の画像がSNSに溢れている。 テツヤがそこで動画撮影をしようと思ったのは、とにかく、何かをしなければという焦りからだ。 就職が決まらないまま大学を卒業して、バイト先で知り合った人とお笑い芸人を目指してコンビを組むも芽が出ないうちに解散。 芸人を辞めるとも続けるとも決めかねたままバイトに明け暮れているうちに、同じ時期に活動していたコンビがいくつか売れ始めた。 このまま、取り残されて終わりたくない。 そう思っていたある日、芸人時代に知り合った動画制作スタッフの道川に紹介されたのが藍原だった。 四十過ぎの男性で、ふくよかな体型に丸メガネをかけている。 ザ・お堅いサラリーマンという感じだが、意外にも霊感が強い家系で、いわゆる見える人だという。 「失業中でして、以前心霊企画でお世話になった道川さんに、何かお手伝いでもいいから仕事を紹介してもらえないかと思ってまして」 「こんなにサラリーマンの見た目なのにサラリーマンじゃないんですか」 「はい、恥ずかしながら時間だけは有り余っております」 それはテツヤも同じ。 その日から、時間が有り余っているもの同士、よく飲みに行くようになった。 年上のはずなのに気安く話せるところも、他業種だから自分と比べて引け目を感じなくて済むところも、今のテツヤにはありがたかった。 ある夜、いつものように激安居酒屋でモツ煮とハイボールを摘んでいた藍原が、テツヤの肩あたりを見つめて言った。 「前から思ってたけど、林って強めの守護霊つけてるよね」 「えっ、そんな大事なこと前から思ってて黙ってた?」 「だって守護霊とか興味なさそうだから」 確かに、テツヤは神様とか心霊とかスピリチュアルを信じていない。 見えたことも御利益を感じたこともないからだ。 「見える?って聞かれたら答えるけど、聞かれてないのにそんなこと言って怖がられても嫌だし」 藍原はそう言ってハイボールを飲み干した。 「嫌がる人はいそうだけど、聞かれるってことは知りたい人もいるってことだよな」 「そうだね。安すぎるアパートに住んでる人に、何かいるか見てくれって頼まれることもあるよ」 「そんな能力あるなら、それ使って小銭稼げそうだけど…あ。なぁ、ものは相談なんだけど」 何杯目かわからないハイボールを片手に、顔を突き合わせる。 時間は有り余っている二人、霊感の強い藍原、何か行動したいテツヤ。 話はとんとん拍子に進み、その日のうちに、二人で心霊スポット巡りの動画配信チャンネルを開設しようという話になった。 テツヤとしては、どうせ自分には見えないし祟りなんてものもないだろうしそういうのは全部任せてしまおう、とずるい思惑もあった。 最初の動画撮影場所にこの廃墟ホテルを選んだのも、運転さえ頑張れば大したコストがかからないという理由だった。 時間が有り余っているから、平日の深夜に行動できる。 藍原からは、初っ端からハードなとこだなぁ、などと言われたが、見えない人間に場所を選ぶ基準などわからない。 「こういうのは最初から飛ばした方がバズるんだよ、初速は大事だろ」 などど適当に言いくるめた。 スタッフなどいない。 藍原を撮影しながらテツヤが喋り、あとで道川にテロップを入れてもらうつもりだ。 藍原が持つランタンの灯りと、テツヤが持つスマホのライトだけが周辺を照らす。 充電がもったいないからノンストップで動画を撮ってすぐに帰る計画でいる。 電波は圏外。 暗闇に響く、パキパキカサカサと小枝や枯れ葉を踏む音。 壊れた自動ドアを無理やり開けて、隙間からエントランスに入る。 藍原の体型がギリギリ通れてよかった。 吹き抜けの天井にはホコリを被ったシャンデリアがぶら下がっている。 これが落ちてきたらおしまいだなとゾッとした。 「林、あの奥。わかる?」 藍原が指差した方向にスマホを向ける。 「カーテンが揺れてる」 「いや普通に風だろ、こんだけガラス割れてたら」 ロビーの自動ドアはヒビが入っていながらも割れてないが、窓はいくつか割れて床にガラスが散らばっている。 「僕たちが入ってくるとき、風なんて吹いてなかったよ」 確かに、車から降りて歩いている間、風が吹いているとは感じなかった。 意識していなかったから仕方ない。 「一応撮るけど、ちょっと弱いなぁ…」 そう口にした瞬間、カーテンが大きく空気を含んで膨らんだ。 「弱いなんて言うから」 「いや風だって」 「じゃあ確かめて来るから、そこで撮ってて」 藍原が窓に近づこうと一歩踏み出した時。 バコン!! 藍原が穴に落ちた。 「だ、大丈夫か!?」 慌てて駆け寄って、藍原の足元にスマホを向ける。 腐って穴が空いていることに気が付かなかったようだ。 ぴちょん、と水滴が落ちる音。 床下に雨水が溜まっているのだろう。 藍原は床にはまったまま、真顔でカーテンの方を見ている。 「近寄るなって言ってる」 「そうか!?そんな場合か!?」 物は言いようだと思う。 膝上まで床にはまっている状況でよくそんなシリアスな顔ができるものだ。 「それ、足抜ける?怪我ない?」 「うん。大丈夫」 澄ました顔のまま、藍原は穴から足を引き抜いた。 どう見ても重そうな体型なのに軽やかに動く。 ぱたぱたとホコリや木屑を払った。 「じゃあ次行こうか」 「あ、行くんだ?」 足取りもしっかりしているし、怪我もなさそうだ。 本人が行くと言うのだからとテツヤも後を追う。 あとで編集しやすいように、場所を変えるタイミングで一度保存する。 「ここは、食堂かな?」  「たぶん。朝食バイキングとかやってたんだろうな」 「ああ、いいよねバイキングのオムレツ、その場で焼いてくれるところとかあるし」 「俺は朝からそんなに食えないけどな。藍原は?」 「実は、僕もそんなに量は食べないんだよね。ただただ、カロリーの高いものが好きでこうなってる」 こんな廃墟でする話ではない気がする。 エントランスを進んで、階段を二段降りた広いスペースに、テーブルと椅子が乱雑に、しかし絶妙なバランスで積み上げられていた。 手前の方は広々としている。 小学生の時、掃除の時間になると椅子とテーブルを重ねて教室の後ろに移動させていたことを思い出した。 「奥で音がする」 「そうか?何も聞こえないけど」 「いや、する。行こう」 藍原が椅子やテーブルの合間を縫って奥へ歩みを進めた。 テツヤは藍原の背中を追う。 藍原の体型がギリギリ通れそうな隙間をやっと抜けて厨房に入る。 厨房の中は、調理器具や割れた食器が散乱していた。 「あのあたり、いい感じにいるよ」 指示されたのは中央にある作業台付近。 「何にも見えん」 「こんなにいるのになぁ。撮れてるといいけど」 意味深なことを言われたが、見えないものは見えない。 藍原の後ろで、からん、からん、と金属がぶつかる音がした。 棚につり下げられたレードルが揺れてぶつかり、楽器のように音を立てている。 「はは、こちらは歓迎してくれてる」 いや、藍原の背中が当たっただけだと思う。 自分の身体のサイズを実感していなくて、ぶつかったことに気がついていない。 あまり動くとまた床が抜けるのではと心配になった。 「じゃあ、次行くか」 テツヤが先に厨房を出る。 テーブルの合間を歩きながら食堂の中をぐるりと一回り撮影した。 入り口の階段まで戻ったが、藍原が出てこない。 カン、と遠くで何かを蹴ったような音がした。 コロコロコロコロ、とコップが一つ転がっていくのがスマホの隅に映る。 積み上がったテーブルの脚にぶつかって止まった。 そのすぐそばで藍原が、狭いテーブルの隙間をよいしょよいしょと抜けてくるところだった。 ミシッ、と何かが軋む音。 コップが当たった衝撃なのか、テーブルがぐらりと傾いた。 積み上げられたテーブルが崩れる。 「危ない!」 テツヤは思わず声を上げた。 テーブルがガラガラと倒れて、そのうちの一つが別のテーブルにぶつかってまたそのテーブルの山が崩れて、隣に積み上げられていた椅子の上に落ちて椅子の山が倒れる。 「うわぁーーーっ」 その中を、藍原が転がるように走り抜けて来た。 テツヤがいる入り口付近まで来て、やっと足を止める。 「はぁ、はぁ…危なかった。出て行けって怒られてる感じがした」 藍原が肩で息をしながら神妙な顔で言った。 さっきは歓迎されてるって笑ってたのに、と思いながらテツヤはその真剣な顔をアップで写した。 汗が浮く額に髪が張り付いている。 こう言っては悪いが、ものすごく滑稽だ。 本人が真剣そのものだからこそ尚更。 「なんか飲み物って持って来た?」 「うん、持ってる」 藍原が肩掛けのバッグからペットボトルの水を取り出した。 一気に飲み干すと、呼吸を整える。 ハンカチで額の汗を拭った。 それから、ランタンを掲げてあたりを見回す。 「あ、あそこに地図ある」 エレベーターのすぐそばの壁に、フロアマップが残されている。 「ちょっと見てみようか」 「えっ、ああ」 さっきから、来るなとか出て行けとか言われている、という割に帰る気がない。 テツヤとしても、目的の心霊映像が撮れている手応えがないから、帰ると言い出されても困るが。 「二階が大広間、三階から上が客室。最上階は大浴場…じゃ、順番に撮りながら上ろうか」 「一応聞くけど…階段?」 「そりゃそうだよ、さすがにエレベーターはたとえ動いてても乗りたくないし。タワー・オブ・テラーって乗ったことある?」 「乗ったことない、エレベーター?」 「が、落ちるアトラクション」 「うわ怖」 藍原はエレベーターのそばにある階段を見つけてさっさと上っていく。 その体型で階段を最上階まで登れるのだろうか。 テツヤは一度録画を保存すると、すぐに再開して続きを撮り始めた。 「大丈夫か?さっき落ちた時の膝とか」 「膝は元々大丈夫じゃないんだけど、でも行くよ。ここまで来たんだから、最上階まで」 「途中で歩けなくなるのが一番やばいけど」 「背負って、とはさすがに言えないしなぁ」 「そうなったら置いて帰る」 「ひどいなぁ、がんばるよ」 はぁ、ふぅ、と息をつきながら上る背中をスマホ越しに見ながら足を進める。 手すりを使いたいが、あまりにも錆びていて、触るのを躊躇した。
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