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「藍原!動画見たよ、バズったね〜」
「道川さん、お久しぶりです」
激安居酒屋で、藍原と道川はモツ煮とハイボールをつまんでいる。
藍原は最近、個人で動画配信チャンネルをスタートした。
「あの廃墟ホテルを最上階まで撮ったのは初めてみたよ、勇気あるもんだ」
「いえいえ。僕は見えるほうなので、そこが危険かどうかがわかっただけです」
藍原は謙遜したが、あの動画がきっかけで違う心霊スポットの撮影や怪談イベントなどいくつか仕事の声がかかった。
「本当はテロップいれたりしたかったんですけど、技術がなくて」
「俺に声かけてくれれば手伝ったのに。次あるなら言ってよ」
「ありがとうございます、お願いするかもしれません」
「でも、あの無修正の感じが逆に怖くて良かったかもしれない」
「なるほど、難しいところですね。ちなみに、道川さんはどこが一番怖かったですか?」
「え〜、どこって言われると…最初に藍原が部屋に吸い込まれるみたいに消えた時は声が出たなあ」
「あはは、あれは僕が勢いよく開けすぎたからそう見えたんですよ」
「いや上手く撮れたね。あと、窓の手型もはっきり写ってたし。でもホテルやってる時は、あそこに寝泊まりしてた人がいたんだよな?よく当時話題にならなかったな」
「夜にレースのカーテンをわざわざ開ける人いなかったんじゃないですかね?景色をみるのは大体日中でしょうし」
「あとスイートルームの寝室にロープがぶら下がってたところな。よくあんなところに入っていけるな?」
「実害がなさそうだったので。入った時はびっくりしましたよそりゃあ」
「でも、なんで不自然にロープが下がってたんだろうな」
「あれ実際は、たまたま天井が剥がれてるところから垂れた電気の配線なんですよ」
「なんだ、でもびっくりはしたよな」
「それはもちろん」
二人が同時にハイボールを飲み干してグラスが空になった。
店員を呼んでおかわりを頼む。
「そういえば藍原、テツヤと連絡取ってる?」
「林ですか?最近はあまり」
「芸人諦めて転職したって噂なんだけど、連絡がつかないんだよ」
「あのホテルのこと僕に教えてくれたの林ですけどね」
「マジで?」
「一緒に動画撮ろうって話してたんですけど、連絡しても返事がなくて。仕方ないので別の友人に頼んで撮影したんです」
「あ、じゃあテツヤと一緒に行ったわけじゃないのか。その友達とは連絡つく?」
「もちろん。次の動画も計画してます」
「それなら良かった」
「どうかしたんですか?」
「いや、あの廃墟ホテルさ、遊び半分に行くとそのあと行方不明になるって噂あるんだよ」
「そうなんですか?」
「所詮は噂だけど、藍原の動画がバズってから、何人か動画撮りに行ってるらしくて。ことごとく帰ってこないって」
ハイボールのおかわりがテーブルに置かれた。
「でも僕はこうして帰ってきてますし。山奥で道も狭かったので事故を心配したほうがいいですよ」
「そうかぁ、確かにな。そんなに山奥?」
「すごい山奥です。街灯もないし」
「なんでそんなところにホテル建ったんだろうな」
道川がハイボールを口にした時、ピコン、とテーブルに置かれたスマホが鳴った。
「おっ、噂をすれば。あのホテルの動画が上がったって」
道川は知人から送られてきた動画をさっそく開いている。
「道川さんそんなに気にしてるんですね、あのホテル」
「そりゃあ藍原があれだけバズったし、本音は俺も行ってみたい。新しいの見つけたら教えてって色んな人に頼んでたんだよ」
道川が、藍原にも見えるようにスマホを立ててテーブルに置いた。
「生配信の転載みたいだな」
画面の向こうで、懐中電灯を持った数人の男がロビーを歩いている。
「あれ?こんな食堂あった?」
道川が首を傾げる。
テーブルと椅子が積み上げられていて、それが崩れて厨房を塞いでいたはずの食堂。
「ありましたよ。でも特に何も映らなかったのでカットしました」
藍原が答えた。
がらんと片付けられている食堂に、椅子がひとつだけ窓際に置き去られている。
「藍原はこの椅子、何か見える?」
「動画ではなんとも…」
男たちは椅子を横目に、厨房へ入っていく。
「ここも藍原は入った?」
「入りました…あれ、こんなのあったかな」
「どれ?」
「この、テーブルの上に包丁あるじゃないですか」
作業台の上に、無造作に置かれた錆びた包丁。
スマホ画面中で男たちが気味悪がっている。
「なんか不吉だけど、まあ調理場ならあっても不思議じゃないか」
道川がハイボールに手を伸ばしかけて、動きを止めた。
「あ、藍原。今後ろで何か動いたぞ」
「ええ?」
動画を少し戻す。
壁にぶら下がったレードルが微かに揺れていた。
「誰かがぶつかったんじゃないですか?」
「そうか?」
道川は何度も同じシーンを戻しては確認して、何人もいるのだから、一人がぶつかったところで気付かないか、騒ぐことでもないと納得した様子だった。
それから一行は階段を上っていく。
二階は大広間だ。
「藍原の動画、天井のシミもそうだけどステージで白い影が写ったのがびっくりしたよ。見えてた?」
「見えてはいました。特に動く様子もなかったのでそのまま撮った感じです」
「こいつらはどうだろうな」
恐怖を紛らわせるためか、大声で話しながら男たちは大広間に入っていった。
天井のシミをみて一人が悲鳴を上げる。
「あー、わかる。あのシミはちょっと迫力ありました」
「画面越しにみてもただ事じゃない感じがするな」
悲鳴をあげた男に驚いたのか、撮影しているカメラがぶれた。
ぶれた画面の奥に、白い影が写る。
「うわっ」
道川が声を上げるのとほぼ同時に、そこで動画は切れた。
「…終わりですか?」
藍原が聞くと、道川はしばらくスマホを触っていたが、やがてテーブルに置いた。
「らしいよ。それ以来このアカウントは配信をしてない」
「…それはそれは」
噂に信憑性が増す。
「実はテレビの心霊番組で、もう一度ここに行かないかって話があったんですけど、ロケハンで何かあったみたいで話がなくなっちゃって」
「おい何だその話!詳しく教えてくれよ」
前のめりになる道川に、藍原はすっかり炭酸の抜けたハイボールを飲み干す。
道川が興味を持って、誰かに話してくれれば、そしてその誰かがまたホテルに来てくれれば儲け物だ。
人から人に話が伝わり、大きくなる。
そうしたら、興味本位でやってくる人も増えるだろう。
噂が広がりホテルが取り壊され、その下の村が見つかるのが早いか、
得体の知れない存在が大量にいる、というテツヤのアイディアが実現するのが先か。
「誰かこういう撮影に積極的な人がいたら紹介してください、案内ならしますから」
藍原はそう言って、もう一杯ハイボールを注文した。
「あっ、アイツらもう逃げやがった腰抜けが」
テツヤは舌打ちすると、手に持っていた白いカーテンをステージに戻した。
藍原とここに来た日からどれくらい経ったのかわからない。
自分はもう生きていないのだと思う。
藍原は、この廃墟に人を誘き寄せるために生まれた怪異だった。
テツヤは、それにまんまと引っかかったと言うわけだ。
「アイツら捕まえられそうか?あー、逃げるのが早かったか、どっかで足止めする仕掛け作るか…」
同じく肝試し感覚でここに来て取り込まれた先住の男と作戦を練り直す。
テツヤが来た時に、藍原が穴に落ちたことや積み上げられた食堂の椅子が倒れてきたのはこの男が考えたことだった。
窓の手型も、一人でつけたらしい。
だからよく見るとぜんぶ同じ大きさで、同じ方向を向いている。
あまりはっきり手形をつけてしまうと指紋や手相まで写ってしまうから薄い。
それが気に入らなかったテツヤは一度、全部の手形を拭き取ってそこら辺にいた霊まで駆り出して色んな大きさ方向の手形に変えた。
「食堂の椅子なんて、あんなの怖くないから。普通に事故になるから」
テツヤは床の穴を塞ぎ、椅子とテーブルを片付け、自分の考えた演出を実行した。
興味本位で廃墟に踏み込んだ代償にしては、深刻さは薄い。
お化け屋敷のスタッフになった感覚に近いだろうか。
人を笑わせるのと同じくらい、人を驚かせるのも楽しいと思っている。
人が驚いたり慌てふためいている姿は、見ている分には可笑しいのだ。
「早いとこ仲間増やして、窓ガラスに人がいっぱい張り付いてるってやつやりたいな」
ゾンビ映画でみたシーンだが、最上階の大浴場でやったらさぞ驚かれるだろう。
「今、湖のやつらになんか使えそうなもの探させてるから。こう、古くて錆びた鈴とかあるといいな。やっぱ、鈴の音ってなんか怖いし」
心中カップルも手下にして、湖に沈んでいるものを持ち込ませている。
藍原に鈴やお札を買ってきてくれと頼んだが、新しいものはちゃんとバレてしまうから、すでにあるものを活用した方がいいと説得された。
ホテルの中のものはもちろん、時々近くを調べまわって、使えそうなものを探している。
厨房に置いた錆びた包丁は森の中で拾ったものだ。
「奥のトイレ?ああ、錆た配管からいい感じの水が出たからドアにぶっかけておいた。めっちゃいい感じに怖くない?あれ。まだあそこに辿り着いたやついないから。今んとこ俺らだけらしいよ大浴場まで行ったの」
テツヤが演出して以来、明らかに人が来るようになった。
藍原の動画の効果もある。
日中に来る廃墟マニアには手出しせず、肝試しや心霊現象目当ての連中だけを狙う。
演出に集中するためには、一組ずつしか相手できない。
複数のグループが一度にやってきて、観光地みたいに混雑してしまっては、怖さも半減してしまう。
幸いホテルへ続く道は一本しかないから、以前撮影に来た男二人組を取り込み、監視係として道端に配置した。
以前、肝試しのグループを相手にしている間に動画撮影目的の車が近づいていると情報が入り、窓ガラスを割った破片を道に撒いてパンクを誘発させ、足止めしたことがある。
その時の肝試しグループは全員こちら側に取り込んだ。
今はテツヤの演出を実現するため、それぞれ個室を担当している。
「たまたま赤いワンピース着てる子がいたから、四階の奥から二番目の部屋がだいぶいい感じになってるんだけどな〜あれ見てほしいな、でもその前に逃げ帰るやつばっか」
テツヤは先住の男相手に気分よく話していたが、話し声が近づいてきて耳を澄ます。
さっきのグループが戻ってきたようだ。
どうやらスマホを落としたらしい。
テツヤは床に落ちていたスマホを見つけると、すばやくそれを回収した。
さて、これをどうするか。
ただ拾って帰らせるわけにいかない。
「今度は慎重に行く。全員逃さないぞ。上のやつらも呼んでくる」
テツヤはスイートルームで待機する仲間に伝えるべく、音もなく走り出す。
階下で悲鳴が上がった。
理想的な反応に、思わず笑いが漏れた。
四階の奥から二番目の部屋にいる女と、スイートルームで待機している数名に大広間に集合するよう指示を出してテツヤは大浴場にむかう。
楽しい。
思わず、階段を上りながら高笑いをあげた。
森の中の湖の辺りに建つ廃墟ホテルで男の笑い声がする、という噂が広がるのは、もう少し後の話。
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