2人が本棚に入れています
本棚に追加
つるつる頭に桜の花びらをちょこんとのせて、社長が新年度の挨拶をしている。私は乳酸菌飲料の入った紙コップを持って、ブルーシートの隅っこにぼんやりと正坐していた。
あれから私は、魂が抜けてしまったみたいだった。Sは今日まで、ついに戻ってこなかった。Sがアカウントを消したのは、ペケだけではなかった。支部も、青空も、跡形もなかった。通話もできなくなっていた。彼女の名前を検索してみたら、複数の絵師が垢消しを嘆いていた。
彼女はしばらくネットから距離を置くと思う。また会えるのは四年後、もしかしたらそれ以上先かもしれない。猫みたいなあの子のことだから、何事もなかったような顔をして、ひょっこり現れるとは思うけど。
もう一度、彼女の声を聞きたかった。
もっと再会をよろこんで、どうでもいい日常のことを語り合いたかった。できればリアルでも会って、同じものを食べて、「おいしいね」と笑い合えたら良かったのに――。
「乾杯!!」
皆が声を揃えた。
ざわめきの中で、私はふと、Aさんのことを思い出した。
ここにいる人たちのことは、今でも仲間だとは思っていない。解り合える気もしない。Sの代りになるはずがない。でも、もし少しでもおしゃべりができたら、少しでも心を通わせられたら、苦手だと思っていたお花見でも楽しめるのだろうか。
私は重い腰を上げて、Aさんを探した。彼女の後ろ姿が見えた。
「あの、すみませ――」
声をかけようとして、私はやめた。
だってほら、あんなに楽しそうに笑ってる。
上司や同僚とお酒を飲み、笑みを零していた。課長や係長も一緒だった。後輩の男性社員とも打ち解けていた。気付けば私は、人混みの中でたった独り、立ち尽くしていた。
私の頰を、涙がつうっと伝った。
私は乳酸菌飲料をぐいと飲み干し、紙コップをぐちゃりと握りつぶした。お得意先からいただいたお菓子の缶から、クッキーを一つ、かっさらった。何の味もしなかった。涙と一緒に無理やり吞み込んだ。
私は誰にも気付かれないように、その場をそっと後にした。
公園の外には川が流れていた。両岸にはソメイヨシノがどこまでも続いていた。水面に桜吹雪が映り込んでいる。春ももう終りだ。
橋の上で黄昏れていると、声をかけられた。
「I、どうしたんだよ」
営業部の次長だった。酔っ払って、赤い顔をしている。私の顔を一目見て、彼は陽気に笑った。
「なんだよ、さっきの態度は。隅っこに突っ立って、『早く終らねえかな』みたいな顔しちゃって」
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
私は涙を流して笑ってやった。
「そんなこと言わないでくださいよ!!!!!」
次長が手を伸ばしたが、もう遅かった。満開の桜の中、私は川に身を投げた。
最初のコメントを投稿しよう!