豪山厚の嘘

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豪山厚の嘘

 ……まずい、まずい、まずい!  俺は職員室を飛び出し、ドタドタと走る。滴る脂汗を拭うこともせず、この春から教鞭をとることになる、六年三組の教室に一直線だ。  綾瀬から没収したスマホを、職員室で眺めていたのだ。ジャラジャラのキーホルダーを。それで、ふと自分のスマホを見た時に、『アレ』がなくなっていることに気がついたんだ。  威厳のない大人に、児童はついてこない。そう信じてきた俺は、肉体を鍛え、常に顔中の筋肉を張ってきた。自分の趣味を隠してきた。  だが、『アレ』を見られてしまっては、すべての努力が水の泡だ!  俺は勢いよく教室の扉を開けた。  教室には、春休み明けから俺が担任する児童達がいた。机の引き出しを覗いたり、教卓をずらしたり、ロッカーの中身をひっくり返したりしている。  俺はコホンと咳払いしてから、厳格モードをオンにする。 「お前達、何をしているんだ」 「渉の探し物を」  答えたのは鈴木(すずき)だ。草原と一緒に、野球部でバッテリーを組んでいるんだったな。 「おい! これ誰のだ?」  窓際にいた男子——仁部が、何かを握った手を、天に突き上げた。  その手にあるのは、ピンク色の愛くるしいクマのキーホルダー。  俺は全身の血が冷たくなるのを感じた。  そのクマこそ、『アレ』の正体だ。  仁部の周りに女子達が集まる。その中にいた綾瀬が、目をキラキラさせて言った。 「すっごく可愛いー! アタシもほしい!」 「璃子には似合わないだろー、馬子にも衣裳」 「うるさい!」  仁部と綾瀬の口喧嘩が盛り上がるのと、俺の汗の量が増すのは比例している。  顎に手を添えた鈴木が、考える仕草をする。 「教室に来たのは、自分と渉だけだったと思うが……ああ、渉が言うには、今朝、豪山先生がいたんだったな。渉が言うには」  俺の時が止まった。  ……何故だ!? 何故バレている!?  確かに俺は教室にきた。自分の担任する教室に『質実剛健』のスローガンを掲示するのが、俺の二十年間のきまりだったからだ。その時クマを落としたんだろう。  しかし、教室には誰もいなかったぞ!? 草原はエスパーなのか!?  俺の担当する児童たちが、大量の視線を浴びせてくる。俺の焦りを生んだ草原だけは、口笛を吹きながら目線を横にそらし、右腕を掻いているが。  ……ああ。認めるしかないのか。 「……そのクマは、俺のものだ」  ここで否定してしまったら、俺はクマを手放さねばならない。  それは、耐えられなかった。 「……え? マジで?」  仁部がポカンとしている。  綾瀬が俺に人差し指を向ける。 「で、でも! アタシのスマホのキーホルダー、チャラチャラだとか、派手派手だとか言ってたじゃない! こういうの嫌いなんでしょ!?」 「俺にファンシー趣味があると知ったら、お前らは俺をなめるだろうが! 最近の子どもは、すぐにネットに晒すだの、暴力教師だの……威厳を保たないといけなかったんだよ!」 「……だから、ご自分の趣味を隠していたんですね」  鈴木の補足に、俺は反論できなかった。うつむくしかない。 「わ、私は、豪山先生が可愛いもの好きなの、いいと思います」  小さい声が聞こえたので顔を上げると、祇園が和やかに微笑んでいた。 「そうだよ! 嘘ついて隠す必要ないじゃん! 怒鳴って怖い先生より、アタシと同じ、可愛いもの好きな先生の方が、親近感わくし?」  綾瀬もニカッとはにかむ。 「まあ、今日はエイプリルフールだから、嘘のネタバラしには丁度いいんじゃね?」  仁部の言葉を聞いて、俺は思わずたずねた。 「……俺を軽蔑しないのか? 男なのに、こんなものが好きで」 「今時そういう考え方、古いって。ほら、大事なんだろ?」  仁部がクマちゃんを差し出した。俺の大好きな、愛くるしいクマちゃん。  最近の子どもは——と、嘆くばかりだったが。  最近の子どもだからこそ、俺は受け入れてもらえたのかもしれない。  だったら俺も、最近の子ども達に向き合わねばならないだろう。 「……ありがとう」  俺は、教師になって初めて、児童の前で笑った。  穏やかな空気が六年三組を包む。これからの一年、きっと実りあるものになるだろう。—— 「感動の最終回みたいな雰囲気になるなあああ!」  温かな空気は、耳をつんざく大声によって霧散した。  声の発生源である草原は、握り拳を震わせている。 「オレの宿題は見つかってねえだろ! 写真日記!」  綾瀬が口を開く。 「誰か、教室に入った人はいないの? 豪山先生以外に」  挙手をしたのは鈴木と草原だけだ。 「自分達以外に教室に入ってきたのはみていないが。自分は教室のゴミをまとめていたんだ……一度、トイレに抜けた時間はあったが。そこで渉と合流してから教室に戻って、ゴミ袋を持ってもう一度教室を出たんだ。その間に、渉は宿題がなくなっていることに気がついた」 「鈴木くんがお菓子とかのゴミを捨ててくれたんだね。ありがとう」  祇園が続ける。仁部がへらへらとした口調で言った。 「それで俺達に泣きついてきたワケか。宿題持ってきたっていうのが嘘なんじゃねえの? 今日、エイプリルフールだし」 「ホントだって!」  宿題がなくなったとなれば、担任として会話に加わるべきだろう。 「宿題が消えたのか?」 「そうですよ! 入学式の日に持ってくるのが面倒だから、今日のうちに置いてきちゃおうと思ったのに!」 「ちょっと待て! 日記は春休み最終日まで、毎日つけるはずだったが? 日記を教室に置いていったら、今日より先の分はどう書くんだ?」  俺の追及に、草原は明後日の方向を見始めた。  ……前言は半分撤回。  今も昔も、厄介なバカは存在する!
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