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第5章 (3)
成行はようやく手元に戻って来た自分の学生証を手に取り、凝視している。道路に投げ出されたときに付いたものか、表面に擦った傷がある。一通り航留が話し終えてから数秒後、成行はため息を吐いた。
「そうでしたか。でも、まるで自分の身に起きたことって感じがなくて……。本当に他人事のようです。なんだか、腹立てていいのか、悲しんでいいのか」
感情の持っていき場がないのか、途方に暮れた様子で答えた。充電が切れて起動しないスマホを手で弄んだり、免許証の裏を眺めたりしている。
「そうか。いや、越崎も言ってたけど、話を聞いたからって急に思い出すなんてことはまずないって。だから、思い出せないことを気にしなくていいよ。ただ、君が俺たちの街に来た理由がわかったってことだから」
航留は期待しないわけではなかった。けれど、そんな虫のいい話はないとも知っていた。あの戸ノ倉を訴えることも今の状態では無理だ。
「あの、その、芸能プロダクションの人……僕が突然飛び出してきたって言ったんですよね?」
「え。ああ、でも轢いた奴が言うことだから」
それに、たとえ飛び出しでも、気絶してるのをいいことにどっかに捨てていいわけはない。
「実は僕。その事故……の直前、なにか面倒なことに巻き込まれてた可能性があって」
成行は航留に話すことを、どういうわけか迷わなかった。心を許したような笑顔で写る写真があったからでもないが、自分の面倒を見てくれたことにノートや画像からも嘘はない。信頼できると感じていた。
――――それに、記憶を失ってた僕が、何か変なことを言ってたかもしれない。
「良ければ話を聞かせて。君の役に立ちたい」
真顔で言われ、成行はこくんと頷く。女子大生連続殺人事件のこと、刑事が来たこと、順序だてて話して聞かせた。
「それで……明日、刑事さんたちと一緒にアンダーパスに実況見分? に行くことになってるんです」
「そうか。そんなことが」
「なにか思い当たることないですか? 僕を最初に見つけたとき、服に血がついてたとか。あと、夜中になんかうわごと言ったとかっ」
思わず声が大きくなってしまった。ファストフード店は満席に近い状態だ。成行たちを含めた長居を決め込んでいる連中が、ちらりとこちらを見た。
「あ、すみません」
「いや、大丈夫だよ。気になるよね。でも、少なくとも洋服に血はついてなかった。ただ転倒したときについた擦り傷はあったよ。あと、頭のたんこぶと」
航留は越崎に診てもらった時のことを思い出した。あいつは自分を追い出して、全身を診ている。
『細かいかすり傷と軽い打撲が数か所、これは大したことない。問題は側頭部の打撲。たんこぶになってるやつ』
確かにそう言った。
「そうでしたか」
「それと最初の頃、夜中に悲鳴を上げてるのを聞いたことはあった。驚いて部屋に行くと、夢を見たと。でも、その夢も目覚めた時に忘れたって言ってたよ」
『もう少しここに居てくれませんか』
後になって零が誘っていたと知ったあの夜。胸騒ぎと動悸がふと胸元に過る。
「夢……ですか。それって、最初のころだけですか?」
その質問に意図はなかったと思う。けれど、航留は一瞬たじろいだ。
「えっと。俺と……一緒の部屋で寝るようになってからは、なかった」
少し前傾姿勢だった成行がぴょんと跳ね、背筋を伸ばした。
「ごめん、その……だからってどうしろってわけじゃないんだ。ただ、俺と君は……その……」
画像や日記を確認すれば、自ずと知れるところだ。焦って説明するのは逆効果だともわかっている。話してしまいたい気持ちを閉じ込めるよう、航留の言葉は進まなかった。
「いえ、いいんです」
しどろもどろになる航留を、成行は優しい口調で制した。それから伏し目がちに、テーブルの上の免許証を指でなぞる。
「記憶を失ってた僕は、自分に……正直だったんですね」
「え? なんて?」
「あ、いえ、なんでもないです。色々教えてくださってありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。テーブルに置かれた航留の指がびくりと揺れた。
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