悪役令嬢はいつかそのときを手に入れて微笑む

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ぼんやりとした光が、燭台から漏れ出ているとわかるまでに、かなり時間を費やした気がする。 重いのはまぶただけじゃなく、足も、腕も、頭も、体と呼べる場所はどんよりと鉛を抱えているようだった。 「ここは…」 どうやらベッドのような場所に横たわっているらしい。ような、というのは、それはかなり粗末で固くて、ついでに存在しているかのような代物だったからだ。体を起こすのも気だるく、少し角度を変えて背中を丸めると、首に痛みが走った。 息が、苦しい。 薄明かりの中でかすむ視界に映るのは、自分の体を覆い尽くす痣や傷だった。 ようやく、どうしてこんなことになったのか、沈む記憶から細い糸のように引き出されてきた。 そうだ、私は、断罪されたのだ。 その瞬間が脳裏をよぎり、痛みを忘れて声をあげた。 いわゆる私は悪役令嬢だった。ここは歴史ある王国で、由緒正しい公爵の娘であり、王太子の婚約者だった。 それにしても悪役令嬢などというのは、私からすればとんだ誤解だった。何をどう動いても悪意をもって捉えられ、それは悪循環となっていつまでも醒めない悪夢のように連鎖した。 そして待ち受ける、婚約破棄からの断罪。 まるで初めから織り込まれているかのように。何者かにそうなるよう仕組まれているかのように。 諦めは孤独を呼び、孤独はさらに暗闇を呼んだ。 これはいったい何回目だったろうか。 今までなら、断罪されたあとは何事もなかったかのように、13歳の誕生日の朝に戻っているはずだった。繰り返し、繰り返される生と死。 何かがおかしい。 今回は、何が起きたというのだろう。こんなことは今までなかった。 ようやく、ここが石造りの壁に囲まれた狭い部屋だというのがわかった。あまり使われていないのか、何だかかび臭く、埃っぽい。夜だからなのか、窓があるのかはわからなかったが、出口らしき扉がある。だからといって、どうにかできるほどには体は言うことをきかない。 逃げたほうがいいのだろうか? それともこのままここにいてもいいのか? 「わからない…こんなこと、なかったもの…」 今まで重ねてきた経験を呼び起こしても、最適解はみつかりそうにない。 扉の向こうで、気配がした。 見やると、ゆっくり、きしむ音すらもはばかるように扉が開き、影を招き入れた。燭台の灯りにぼうっと浮かびたされた姿は、先程と同じようにゆっくりと扉を閉めた。 「リシェル…」 私は思わずその名前を口にした。何故ここに、そしてどうして私はここに、あなたが私をここに? そんな疑問が湧き上がってきた私の表情を、彼女は一歩一歩近づきながら、無表情にじっと見つめていた。 こわい。 率直にそう思った。横たえたままの体をにじらせる。 彼女は、リシェル・ガーランドは、私から婚約者の座を奪い、王太子とともに断罪をする、そういう役回りだった。暗がりでもその美しさがよくわかる。透き通った肌、深い碧色に輝く眼、華やかに彩られる艷やかな亜麻色の髪。やさしく慈愛に満ちた振る舞いは、王太子を夢中にさせるのに時間はかからなかった。 王太子だけではない。近衛兵隊長や、彼女の学友、身分を越えて彼女は幾多のひとを惹き寄せた。 燭台を背にしたリシェルの表情は何とも言いようのないものになっていた。私に向けられたことのない表情というよりは、誰にも一度として見せたことのないものだった。 リシェルは私に触れられるところまで近づいて、その歩を止めた。 「クラリス」 私の名を呼ぶ声が、空気を震わせた。 その時、私は、彼女にずっと伝えたかったことを、思い出した。 そう、私はそのために、何回も…… 「王太子は優しいんじゃなくて自己陶酔ナルシストの成れの果て」 「近衛兵隊長は男らしくリードしてるんじゃなくて、君のためとかいう無意味な独善家」 「執事だっけ、彼は教育とか言いながら自分の理想を押しつけてくる変態」 「幼なじみの何とか侯爵はあなたの気を惹くためならどんな事件でも起こす陰謀家もとい犯罪者」 「学友に至っては理解するふりをして結局ひとりでは何もできないクズ」 「それから…」 私は言葉を止めた。 リシェルの白くて形の良い指が、私の唇に触れたからだった。 「わかってる」 一気にまくしたてて息があがっている私の髪を、リシェルはそっと撫でた。やさしく、悲しく、美しい表情だった。私は、視界が潤むのを感じた。 そうだ。 彼女は美しい。 あんな意味のわからない者どもに、リシェルを好きになってほしくなかった。 リシェルにも、あの輩から選んでほしくなかった。 わかってほしくて、何度も私は…… 「私も、何回も繰り返していたの」 リシェルの言葉は私を驚かせた。私と同じように…? 意味をはかりかねて、私は戸惑った。 「何故繰り返すのか、何故あなたはあのような行動をするのか、ずっとずっと考えてきた」 彼女は物憂げにまつ毛を伏せると、はらりと、雫がこぼれ落ちた。 「クラリスのことを理解したとき、あなたをこうして救い出すための方法をずっとずっと探してきたわ」 ああ、神様… これはハッピーエンドですよね? これから、私たち、真っ白なページを歩いていく。 自分で決める、私とあなたの世界。 どうか、何処かで交差していますように。
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