灰色

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灰色

 あれから三年、桜は鸞の涙を誘う花となってしまった。  父と妹が無邪気に桜を愛でていても、鸞はあの背中の幻影を追うばかりであった。  あれほど色彩に溢れていた西洋館の春が、墨絵のように色を失った。  特に桜は、鸞の目には最早、桜色ではなかった。  辺りの店に並ぶ桜のディスプレイでさえ、鸞にはモノクロにしか映らなくなってしまった。  風の便りで、孔明がフランス外人部隊に入り、戦地を飛び回っていると聞いた時、鸞は勉強机の上の参考書を床に投げつけた。  自分だ、原因は自分なのだ、と。  越えてはいけない一線を越えようとした自分の告白、そして唐突に進路変更をして父の跡を追いかけ始めたこと……兄のことだ、桔梗原の実子である鸞を優先し、父への恩を思い、身を引いたのだ。兄の性格ならよくわかっている。    いつでも、鸞や妹の亮子に譲る孔明の、あの優しさ、懐の深さ。  鸞が追いかけたかったのは、その兄の背中であったのに……。 「一緒じゃ、ダメだったの? 」  鸞の部屋の半円形に飛び出た出窓からは、坂の上に植えられている桜の大木を見ることができる。盛りを過ぎると、窓を少し開けただけで花弁が滑り落ちてくるほどだ。  そのひとひらを手に乗せ、鸞は両手で包み込んだ。  ただの、灰色の花弁……。 「兄上、会いたい」  もう、兄を困らせるようなことは言わない、自分の恋心もぶつけたりしない。兄でいい、兄のままでいいから、側にいてほしい……。  煩悩を忘れるかのように、鸞は勉強と家事に明け暮れ、武術の稽古にも勤しんだ。  フランスに兄がいると知り、フランスの大学院にも留学した。  しかし、兄を探し出すことはできず、失意の中、博士課程を終えて帰国したのだ。ピアノはすっかり埃を被ってしまったが、その年には無事に国家公務員試験に合格し、キャリア組の警察官として入庁することが決まった。  兄が帰ってきた時に醜態を晒す己ではならないと、母・美鳥に仕込まれた強靭な精神力で、武術も勉学も、必死で乗り越えたのだ。 「行ってまいります」  警察大学校への入寮の日、鸞は髪も短くして警察官の制服を纏い、大荷物を抱えて玄関を出た。  着慣れない故か、酷く不似合いに感じてならなかった。  もう桜が散り始めている。  幼い頃は、桜が咲き始めただけで心が浮き立ったものだが、ここ何年も、咲き始めた桜に心が踊ることも、それこそ春を楽しむ気持ちすら失ってしまっていた。 「もう、散り始めているんだな」  突然、ずっと心の中で聞こえ続けていた、あの甘く優しい声が、雑音を押しのけるように鸞の耳に届いた。    
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