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話をしたい
「何? 私もう鍵も返したよね? 今更話すことなんてないと思うんだけど」
私は正面の景色を見つめたままそう告げる。
思ったよりも冷たい声が出た自分に驚いた。
「は!? まだ何も話し合ってないだろ! 葵が勝手に出ていっただけで、俺は納得してない! 大体こいつ誰だよ。二人で何してんだよ!?」
俊の理不尽な怒りは無関係の山内へと向けられる。
「会社の同期だよ。みんなで食事会があって、その帰りなの。俊とは違う……失礼なこと言わないで」
「同期……?」
私は俊の反応を無視して山内の方を向く。
「ごめんね面倒なことに巻き込んで。今日はここで解散にしよう」
「……お、おう。お前は大丈夫なわけ?」
「うん、多分」
「多分って中村……何かあったらすぐ逃げろよ」
山内は少し困ったような表情を浮かべながら、私にヒラヒラと手を振って人混みの中へと消えていく。
——食事会なんて、参加しなければ良かった。
先程までの楽しかった気分が一気に興醒めである。
俊は今私が一番会いたくない相手なのだ。
私は覚悟を決めて、ようやく後ろを振り向いた。
会わない二ヶ月の間に随分とやつれた姿に内心驚く。
目の下の隈は目立ち、頬もこけているように見えた彼は、私がこちらを向いたことを確認すると弱々しく微笑んだ。
「俊痩せたね」
「……お前が急にいなくなったから」
そう言って縋るような視線を送る俊の姿に、私は何も感じない。
「私は何も話すことはないんだよね。もう終わった関係だし、後腐れなくお互い別の人を探そう」
「俺は絶対に嫌だ」
「何言ってんの。今更やめてよ」
「俺はそんなの嫌だ!」
子どものように大声で駄々をこねる俊の様子に、周りを歩いていた人々がチラチラとこちらを振り返り始めた。
「ほんとやめて、こんな街中で……」
「じゃあ二人で話せる静かなところへ行こう」
「……だから今更話すことなんてない」
「話さないと、俺は納得しない。約束するよ、お前に変な真似したりすることはないから信じて欲しい」
「そこは心配してないけど……」
このままでは埒があかない。
私は心の中でため息をつくと、俊とその場を後にすることを決めた。
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