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 火花を散らす導火線を幻視する。  刻限は迫っていた。  姓は芥子川(けしかわ)、名は(じん)と申す男がベッドに横たわっている。齢は二十九だがもう幾ばくもせぬうちに三十の大台に乗り上げる。一人暮らしと同時に買ったベッドは十年選手で、マットレスや天板の木材には本人の無精ゆえ黴が巣食っている。  根城の天井、シーリングライトの縁からは蜘蛛の糸が垂れていた。冬の折にはゆらゆらと暖房の温風にたなびいていたものだが、いまも垂れているところを見るに存外しぶとく、すわこれは自分が掴んで登るべき救いの糸であるかもしれない。  益体もない考えにつかれそうになり身じろぎするようにかぶりを振った。  べつにここが地獄だなどと思ったことはない。天国ではもっとありえない。現実にほかならないのだから。  彼の目下の懸念はさきほど降りた天啓だった。  すなわち――嘘をつかないのは美徳だが嘘をつけないのは悪徳かもしれない。  芥子川の座右の銘は『正直は最善の策』。  これまで愚直にこの言葉を盲信してきた彼だが、気づけば友もなく六畳一間の安アパートでカップ麺をすする日々である。 『バカ正直』という言葉があるらしいのは知っていたが、まさか自分が該当しているとは露とも思わない。  たとえば、妹に子が産まれたとき、送られてきた写真に対して『なんか頭がでかくて宇宙人みたいだ』と返したことがある。返事はなかった。元からさして仲の良いきょうだいではないのでそんなものかと納得していた。出産祝いもあげなかった。めでたいという感覚がよくわからなかったのだ。べつにこちらが依頼して産んでもらったわけではないのだから、報酬を用意することもないと思ったのだ。
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