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翌朝、デイジーはいつもより一時間早く博物館に入り、シャルルの長い髪と豪華な衣装を整える。
「ふふふ、昔を思い出すようだ」
「ずっと誰かに整えてもらってたんですか?」
「左様。ここで動かず寝ておればよいのだな」
「はい。絶対に動かないでくださいね」
「承知した。石像のごとく振舞おう」
長い白髪を元通り一本の乱れもなく梳かしつけ、星空のような模様のマントを広げる。そうしていると大きな人形のようにさえ見えるが、実質は尊大なヴァンパイアだ。デイジーは王冠も飾り、元通り展示ケースを閉めて鍵をかける。なんだかすべてが夢だったような気がした。
だが、胸が呼吸で上下している。普通に会話できたということは呼吸しているということだ。これでは到底隠しきれるとは思えない。いくら何でも呼吸を止めさせることはできないだろう。よく考えたら顔色もよくなっている。万事休すだ。
閉館後に大人しくほかのメンバーに話そうと決める。せめて一日バレないでくれとデイジーは祈ったが、無意味だった。
夜の王はスケッチの題材にもおとぎ話の題材にも向いている。そう、彼には熱烈なファンが数人いるのだ。死んでいないと発覚した際にマスコミが押し寄せ、落ち着いて見られなかった期間があった分、熱心なファンたちが毎日のようにやってきている。
ほかの来館者の目は誤魔化せても彼らの目は誤魔化せないだろう。案の定、たった一日で五件も問い合わせがあった。
顔色がいい気がする。表情が変わった気がする。頬がふっくらしている。そこまではまだいい方で胸が上下している。明らかに笑った。とまで言われ、やれ照明のせいだ、光の加減だ、空調のせいだと誤魔化したが、誰も納得したようには見えなかった。
閉館時、ついに館長に肩を叩かれた。
「デイジー、夜の王に何かしたなら正直に話してくれないか?」
一見優しく聞こえるが、それが彼の怒っている時の癖なのは知っている。誤魔化し方が大げさだったから気付かれてしまったのだろう。
「えっと、そのう、説明するより見ていただいた方が早いと思うので……」
デイジーは夜の王の展示ケースの鍵を開ける。
「夜の王ことシャルル・アントワーヌ・エルアルド・ロレンティーニ・フィニアーズ・シュティファンはヴァンパイアだったんです。血を飲ませたら蘇りました」
「は?」
館長は気でも狂ったのかという顔をした。自分でも気が狂ったと思いたい。
「起きていいですよ、シャルル」
呼びかけるとシャルルはゆっくりと起き上がった。彼は優雅にほほ笑んで館長にお辞儀をする。
「これはこれは館長殿か、それともデイジー嬢の父君か?」
館長はぎょっとして後ずさった。死んでいないといわれたミイラがついに動き出したのだ。驚かないはずがない。
「シャルル、この方がここの館長です。館長、ご覧の通り、夜の王は目覚めました。友好的で害をなす存在ではありません」
「デイジー嬢の申す通りだ。予はその方らの研究を手伝いたく思う」
一晩中歩き回って博物館の意義を理解したらしい。飾って見せるだけが博物館の仕事ではない。
「ああ、なんてことだ……本当に夜の王なのか?」
「いかにもシャルル・アントワーヌ・エルアルド・ロレンティーニ・フィニアーズ・シュティファンである。生まれ年を述べるか? 過去のことを述べるか? 如何様にすれば信じられる?」
「頭がおかしくなりそうだ。デイジー、君がそっくりの男を連れてきて、夜の王を連れ去ったわけではないのだよな?」
「違います。本当に目覚めたんです。信じられないなら彼の胸を確認してください。傷があるはずです」
シャルルは好きに脱がせろとでも言いたげに胸を張った。彼は自分で服の着脱をしたことがないらしい。
「わかった。信じよう。元々ミイラとは言えないような代物だったんだ。起きてもおかしくないかもしれない。だが、ヴァンパイアだなんて訳がわからない」
「ヴァンパイアだから生きてるという説明をするしかないかと」
「そうか、そうだよな、頭痛がしてきた」
館長は相当混乱しているらしい。
「とにかく夜の王は展示中止だ。もろもろのことは今後会議にかける。ああ、どう説明したらいいんだ。ミイラが起きたなんておとぎ話じゃないんだぞ」
館長の言う通りとしか言えそうにない。
「あの、シャルルが王冠とゴブレット、ナイフは返してほしいって言ってるんですけど、返していいですか?」
「ああ、もう好きにしてくれ、持ち主が出てきたら返さんわけにはいかんだろう! だが、衣装は着替えてもらえ、目立ちすぎるし、服も文化財だ。破かれたら困る!」
館長はイライラと叫びながら行ってしまった。本来冷静沈着で話の途中でどこかに行くような人ではないのだが、理解の外の話をされて耐え難かったのだろう。
「文化財とはなんだ?」
「過去の貴重な遺物や美術品を国が指定して保護しているものを指すんです。シャルルは五百年前の衣装と肉体が完全な状態で残っていたので指定されました。
「つまり予は芸術品か?」
「そうなりますね」
「ほう、よきよき」
骨董品や芸術品と並べられたことは彼にとってうれしいらしい。基準がよくわからない。
「この王冠もか?」
「もちろん」
きらびやかな宝石が施された王冠は彼の自慢らしい。満足げに頷いた。
「笏と玉もあったはずなのだが、展示されておらんな」
「元々なかったそうですよ。記録にもありません」
「盗まれたのであろうな」
彼は残念そうにつぶやいた。眠ってばかりいる彼にはよくあることのようだ。
「して、着替えは?」
「あー、ちょっと待ってくださいね」
デイジーはミュージアムショップに駆け込み、なにかのコラボTシャツとズボンを手に取る。高貴なヴァンパイアに着せていいものではないような気もしたが、そんなに急に用意できるものでもない。急いで戻って着替えさせると、シャルルはひどく不満そうにした。
「薄く、安っぽく、洒落てもいない。これが現代の衣服か」
「今日はそれで我慢してもらえません? 今日もう少しましなの探してくるので」
「よかろう。デイジー、予を裏に連れて行け」
「はい?」
「あるのだろう? 裏というものが」
どうやらバックヤードのことを言っているらしい。一晩中、表は回って飽きたから裏を回らせろと言っているのだろう。裏にはまだほかのメンバーも残っている。大騒ぎになりそうだが、このままにするわけにもいかない。
「仰せのままに」
その日、バックヤードが大騒ぎになったのは語るに及ばないだろう。
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