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一か月後、紆余曲折の末、夜の王が目覚めたことが公にされた。ミイラが目覚めたこと、ヴァンパイアであったことで一時はパニックをもたらしたが、彼自身のカリスマとデイジーの必死の弁護でどうにか事なきを得た。
デイジーも麗しきミイラに血を注いだ狂気の学芸員と散々に書きたてられたが、事実でしかない以上抗議できなかった。それも彼がうまく言いくるめてくれた。
次に虚偽だ、捏造だと騒がれたが、夜の王と寸分たがわぬ科学的データを示し、彼の真摯な口ぶりにその騒動も沈静化していった。
彼の尊大にも聞こえる語り口には独特の説得力があり、ある種のカリスマ性があった。それが彼が王であったがゆえか、千年以上の時を超えてきたヴァンパイアであるからかはわからない。
いつしか彼はあらゆるメディアのトップを飾るようになっていった。学術的な番組ばかりでなく、バラエティー番組やファッション番組もそつなくこなす。まさか五百年の眠りから覚めてこれほどあらゆる場面で活躍するとは想像もしていなかった。
「夜の王様コーデ、レースとフリルは大胆に、刺し色は控えめをチョイス」
ぼんやりと読み上げてため息を吐く。そこには現代のものでありながら、どこか中世を思わせるファッションを身にまとい、ポーズを決めてほほ笑む彼の姿があった。彼はモデルの仕事もしている。どこか中世的な姿は若い女性に大人気だ。シャルルは当然のように昼も活動している。帽子と日傘、長袖長ズボンがあれば日差しも苦ではないらしい。もう訳がわからない。
「デイジーも読んでくれたのだな」
不意に後ろから話しかけられて振り返るとシャルルがいた。外部の人間ともよく話すせいか、彼の言葉遣いもわずかではあるが、古風さが薄れてきた。
「大忙しの王様がここにいるなんて珍しいわね。私のことなんて忘れたかと思った」
「忘れるわけなかろう、麗しきデイジー」
「私がいないとお腹が空くものね」
「そればかりではない。ここに寒風が吹きすさぶようなのだ」
後ろから抱きしめられて何も言えなくなる。彼に心惹かれていないと言ったら嘘になる。彼女が矢面に立たされた時、彼は必死に弁護してくれた。精神的にいっぱいいっぱいになったときもずっとそばで慰めてくれた。だが、今や彼は時の人で、空腹になった時しかそばに来なくなった。それが寂しくて当たっているのもわかっている。
「それって私だけ?」
「当然だ。今日はずいぶんと突っ掛かるではないか」
「別になんでもない。あなたなんてなんとも思ってないもの」
シャルルはころころと笑ってデイジーの手の甲にキスを落とした。
「我はそなたを深く思っている。その赤き果実を摘み取りたいと思う程度にはな」
白く細い指で唇をなぞられた。そう言われるだけで少し機嫌が直るのだから悔しい。
「あなたを眠らせる方法は?」
「愛する者のただ一度の口づけよ」
「それはあなたが愛する人? あなたを愛する人?」
シャルルは少し寂しそうに笑って、デイジーの頬に触れた。
「予が愛するものだ」
「あなたは本当に愛する人とはキスできないってこと?」
「そうなるであろうな。愛するほどに重ねたくなるものではあるのだが」
歴代の妻たちは口付で彼を眠らせた。どんなに愛しいと思っても口付けを交わせば彼は目覚めなくなる。ある種、不自由な生き方をしているらしい。
「つまり私はあなたを眠らせられる?」
「左様」
「そうしたら、あなたはまた血をくれた人と恋をするの?」
「そうなろうな」
「エリザベートの気持ちがわかった気がする」
焦がれるほどに彼は本当の意味では手に入らない。口づけを交わせば目覚めなくなり、別の女性のもとで目覚めればまたその相手と恋をする。彼はただそれを繰り返す。最後の恋にするには彼を殺すしかない。けれど、愛するあまりに狂って彼を閉じ込めた彼女は殺せなかった。五百年の時を経て、目覚めた彼はまた恋をする。
「刹那しか愛せぬ、我が身の哀しさよ」
彼は深いため息を吐いた。そうでなければ彼の精神が持たないのかもしれない。愛する人からだけ血をもらい、美しい思い出のまま眠りにつく。それが幸せな生き方であるのか、不幸な生き方であるのか、彼女にはわからなかった。
「私、眠らせるより、あなたを殺したい。隠しても結局見つけられちゃうんだもの」
シャルルはふと笑った。
「殺してくれるのであれば、しっかりと手を握っていてくれ。予は寂しがり屋なのだ」
「考えておくわ。今日来たのは血でしょ?」
「左様」
「跪いてくれたらあげる」
「デイジー、予が欲しいのか?」
「さぁ? 私、あなたが好きになり始めてるって認めたくないの」
「だから予を屈服させようと?」
「わかんない」
シャルルは跪いてデイジーの手の甲に口づけを落とす。
「予はそなたを一目見た時より愛している」
「これまでの妻、みんなに言ったんでしょ?」
彼は困ったように笑う。
「いじめないでくれ、デイジー。予は元よりそなたに屈服しているというのに」
デイジーはふと息をついて、彼が切りやすいように手を返す。
「あげる」
彼はいつものように彼女の手首を切り、ゴブレットに血を受ける。
「銀のナイフで刺したらあなたは死ぬ?」
「わからぬ」
「血をあげなかったら?」
「飢え餓えはするが死にはしなかった」
「経験済み?」
彼は複雑そうに笑った。
「苦しみ足掻き、喉笛に縋ったが、予の顎はそのような力を持たなかった」
彼なりに色々調べて世間一般のヴァンパイアというものを分析したらしい。血を飲むこと、陽光に当たれないこと以外、彼とはかけ離れているのだという。彼は王であったからか同時代の人間よりもかなり顎が細い。レントゲンやMRIでも明らかにされているが、骨格的にも現代人に近く。長く血を飲んでいるだけだからか筋力も落ちている。彼がそうしてゴブレットに血を受けて飲むのも口が小さく大きく開かないせいかもしれない。
「口小さいもんね。牙はあるけど、そこまで尖ってないし」
彼は曖昧に笑って、デイジーの出血を止める。
「いただこう」
ゴブレットを優雅に掲げて、独特の持ち方で飲み干す。彼の唇が赤く染まり、頬が上気する。元より美しい彼がますます美しくなった。
「ああ、甘美な味わい……」
うっとりと笑う彼が美しくないとは言えない。この姿を見られるのは自分だけだと思うと悪い気はしないのだから困ったものだ。五百年の眠りから覚めた夜の王は勝手気ままにいるようでいて、彼女の手の中にいる。
「ねぇ、聞きたいんだけど、いい?」
「なんなりと。我が愛しの君」
彼の微笑みがおぼろでどこか遠いと感じるようになったのはいつからだろう。その微笑から視線をそらしてパソコンに年表を表示する。それは彼の記憶を頼りに作成したもので、彼が起きていた時期、いた場所を記すものだ。
「あなたの起きている時期って基本的には断続的なのに、ここの期間だけ百八十三年間、ほとんど隙間なく起きているのはなぜ? そんなに長生きする女性っていないわよね?」
最初の百年ほどはまだわかる。彼をヴァンパイアに作り替えた皇太后や魔術師が彼に女性をあてがい、制度化することで維持されたものだろう。だが、その後は気味悪がられたか、遺志を継ぐ者が絶えたのか断続的で起きている期間も長くて五十年ほどだ。それは当時の平均寿命をから考えれば妥当な数字で、自然だ。ブランクが十年から百年空くのも記録が途絶えたり、幼いころの記憶を頼りに起こされたりしたものだからだろう。
だが、五百年眠る前は百八十三年にもわたって眠っていないようにさえ見える。
「その頃、予は引く手数多だったのだ。飽きられれば眠らされ、すぐに次の女性が予を起こした。彼女らは予をアクセサリーのごとく連れ歩いたのだ。その頃、妻になった者はおらず、ひどい時には一日で眠らされた。高貴な予が玩具にされたようで不愉快だったが、我はどの女性も真摯に愛した。それが予に刻まれた運命だからだ」
ある種哀しい運命を辿ってきたのだろう。自らの意思で愛していると思っているようだが、彼を生かし続けるために彼の魂に刻まれたものなのだろうか。
「大変ね」
「そうだな……」
彼はふうとため息を吐いた。もしかしたら彼もわかっているのかもしれない。だから、デイジーとの関係に積極的なようでいて、一歩引いたような振る舞いをするのだろう。
「それが不老不死になってしまった予への罰なのやもしれぬ。予は愛するばかりで愛されず、疲れたころにエリザベートに出会った。エリザベートは予を愛してくれた。だが、彼女は予が奪われるのを恐れるあまりに予を閉じ込めた。外の様子も知れず、ただ彼女を愛し、愛されるだけの日々。予は不思議なほど満たされていた。ゆえに胸の傷はエリザベートが付けたものなのであろう。眠らせた予を棺に納め、自らの死期を悟り連れて行こうとしたのかもしれぬ。だが、彼女は予を殺しきれなかった。だから、そなたに出会った」
こうして出会ったことは彼にとって幸福だったのだろうか。
「それだけ彼女が厳重にあなたを隠していたってことね。シャルレー城の資料を確認しなおしたら、あなたは奥方の部屋の隠し部屋のクローゼットの中から発見されたらしいの。隠し部屋の扉も、クローゼットのドアも塗りこめられていたそうよ。大規模な改修まで見つからなかった。三百年見つからないって相当ね」
「それだけ彼女が予を惜しんだのだろう。あの衣装も王冠も彼女が誂えてくれた」
「王冠は元々持っていたのではないの?」
まがりなりにも王だったのだから元々のものだとばかり思っていた。確かに年代が違っていたと思い出す。
「ある時、目覚めたらなくなっていたのだ。奪われたのであろう。裸に剥かれていたこともあるほどだ」
きらびやかな服をまとい、大切に寝かされていたら盗まれて当然の時代だったのかもしれない。王笏と玉がないと彼は言った。柩は発見時のそのままに寄贈されたと記録にはあるが、その二つは柩から抜かれ売り飛ばされたのかもしれない。
「人の善意のみに生かされてきた予は相当に幸運であろう。予は弱き存在だ。日盛りに押し出されれば灰燼に帰し、そなたがいなくなれば飢えに悶え、眠っている間にくまなくデータを取られる。殺されてもおかしくはなかった。予は博物館に飾られているのがちょうどなのかもしれぬ」
「なら、私とキスする?」
彼は複雑そうに笑った。
「今はすぐに誰ぞに起こされよう。我は起こしたものを愛さずにはおれぬ。デイジーはその方がよいのか?」
「やな奴」
苦々しく呟くと彼はふと息をついた。
「伊達に長く生きておらぬ」
彼はごく自然に頬にキスをしてきた。
「予はそなたを愛している」
――今は。
そう聞こえた気がした。デイジーは彼を愛し始めてしまったのにその言葉がひどく虚しい。だからエリザベートも彼を殺そうとしたのかもしれない。
「決めた」
デイジーは彼の長い白い髪をするりとなぞる。
「私が年を取ったら一緒に南の島にバカンスに行こ。日焼けしよ」
彼は楽しそうに笑ってデイジーの頬をなぞる。
「南の島の砂になるのは楽しそうだな。南の島には行ったことがない」
彼には生も死も違いはない。彼女の決めたことに彼はただ従う。
「それまではそばにいてよいのだろう? デイジーはやさしいな」
「やさしいのかな?」
「やさしかろう。誰もくれなかった終わりをくれるのだから」
「あなたの特別になれる?」
「そうだな」
ほほ笑んだ彼は不思議なほど美しく見えた。
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