第拾漆話 しりとり弁当争奪戦

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第拾漆話 しりとり弁当争奪戦

 どろどろに溶けかかった乍原たっての希望は、「海に行く」ということだった。最初は素直に海に行こうと快諾したが、その後「じゃあどうせなら大勢で行きたいよな!」という素っ頓狂な提案により、隣人である苑道さんと伊司荼さんを呼んで、あれよあれよと言う間に一泊二日の小旅行へと変貌してしまった。  四人ということで今回はホテルではなく、海に近い安い民宿を探して、高速道路を走ること二時間。途中のサービスエリアで抹茶パフェが食いたいと駄々を捏ねる乍原のせいで、一度は来た道を引き返してファミレスでお昼ご飯。そこから一時間ほど駄弁って、また高速道路を走ること三時間。やっと進めるかと思いきや、海が見えてくるとにわかに後部座席が騒ぎだしたから海岸線に出てみた。  伊司荼さんや苑道さんは車から降りて海を堪能していたけど、当の乍原が既に車内ではしゃぎすぎて車酔いをして、海に入ることなく車で寝かすことになった。  その後も民宿が分かりづらい位置にあったため迷子になるわ軽く車内で喧嘩になるわで、目的地に着く頃には既に日は暮れ始めていた。 「あぁ、もう! 誰だよ海に行こうって言った奴!!」 「亥唐さんでしょ?」  ぐしゃぐしゃと髪を掻き毟っていると、初対面時に着ていたコスプレ姿の伊司荼さんが呆れた声を上げた。まったく、一番あの海ではしゃいでいた奴に呆れられるとは。 「そういうことじゃなくて! 何でずぶ濡れになってんのかってこと!」 「だって、海ですよ? 普通に入るでしょ」 「後先のことを考えてから入れって言ってんの、このバカ野郎!!」 「あーーーっ、黒山先生をバカにする気ですね?!」 「いいから亥唐さん、早く名前を書いてくださいよぅ」 「……ったく!」  受付に行って宿帳に名前を書こうとすると、「あんたたち、何の集団かね?」と老眼鏡をかけたおじいさんに尋ねられる。当然といえば当然の質問に、返す言葉も思いつかずに困ってしまった。 「え、ええっと……僕たちは」  ちらと、横目でメンバーを見る。一人は海に入って濡れたため部屋着として持ってきた安そうな生地の袴姿で、一人は全身を包帯で覆っている。一人はアロハシャツに短パン、僕は普段着のシャツにデニム生地のズボン。なるほど珍道中に見える顔触れだ。 「えっと、ですね……」 「狗神跋扈隊(いぬがみばっこたい)のコスプレです!」 「……」 「そうかい」  咄嗟の機転を利かした伊司荼さんが、実に晴れやかな笑顔で言い放ってくれた。その後も嬉々として狗神跋扈隊とやらのアニメについて息継ぎをする間もなく語りかけ、熱が入りだした頃に「もういい」とおじいさんからストップがかかった。 「……あんたらの部屋はここの階段を上って奥の部屋だから」  おかげでおじいさんからは猜疑心たっぷりの視線を受けたが、それ以上の追及はされずにすんだらしい。どうやら「関わったら面倒そうな連中」として僕も仲間入りしたようだ。とても不愉快である。  ともあれ、狭くも長い廊下を曲がりながら進んで行き、指定された部屋に辿り着いた。朝晩のご飯なし、布団はセルフで敷き、風呂場は別という僕らには好都合な民宿だ。二人部屋よりも四人部屋の方が安いため、乍原のご飯や風呂にはより気をつけなくてはならないが、この微妙に常識が外れている二人なら大丈夫だろう。  室内自体は皹の入った砂壁に、色落ちしている畳、左右の足のバランスがずれてガタガタと揺れる机、黒い染みが点々とある襖と、だいぶ年季を感じるものだ。しかも部屋中で玉ねぎのような臭いがしているが、一泊だけだ。気にしない。  初めて旅館を訪れた乍原は、さっそく机の上にあるお茶菓子たちに目を奪われ、海側に面した窓を開け閉めしている。ドタバタと一人で騒ぐ乍原に、苑道さんも伊司荼さんも気にせず各自で好きなことをしていた。 「いとー! いとー! こっち来てみろよ! お菓子あるぜ!!」 「おぉ。これはなかなか、風情がありますねぇ」 「さっき大浴場も見かけたので、後で入りに行きましょう」 「なーなー、ダイヨクジョーって何だ?」 「でかい風呂のことだよ。……ほら、阿伽奇さんの所みたいなの」 「うおっ! マジか! やっべ、めっちゃテンション上がる!!」  僕の真横で身体を左右に振りながら上機嫌になっている乍原を横目に、真向かいに座る伊司荼さんと、苑道さんの表情をそっと窺う。 「……」  ひょっとしたらさっきの乍原の発言に不信感を抱くかと思ったが、二人ともただ単に「銭湯に行ったことが無いんだろう」と穏やかな表情で乍原を見守っていた。まるで子供を見守る親のような眼ではあったが、それ以上は考えないようにしよう。 「じゃあ、晩御飯はー……」 「コンビニでいくつか調達してきたので、それにしましょうか」  がさがさとコンビニの袋から人数分の弁当を取り出し、各自の前に配る伊司荼さんに、備え付けてあったポットへ水を入れてお湯を作る苑道さん。僕と乍原はすることも思いつかずに、ただぼうっと眺めていた。 「だけど、不思議だなぁ」 「ん?」  どぼどぼと湯呑に熱湯を注ぐ苑道さんが、ぽつりと呟く。 「何が不思議だって?」 「いえね、最初は乍原さんも伊司荼さんも得体の知れない人だと思ってたんですが」 「まぁ……ですよね」 「乍原さんに至ってはゾンビだと思っていたんですけど、子どもみたいだし」 「間違ってはいませんけど」 「伊司荼さんは真面目だけど天然で、変態で」 「まぁ……だいたい合ってる」 「それに囲まれた亥唐さんはもっと変人かと思ってたのに」 「言っとくけど、苑道さんも最初はすごいワガママな人だと思ってましたからね?!」 「えっ。何でですかぁ?」 「初対面で勝手に人の家に上がり込んで飯たかるって相当ですから!」 「えー」 「えーじゃない!」  まるで反省のはの字も見せない態度に、怒りを通り越して頭痛がするようになった。今になって思い返せば、言葉通りだったっけ。ずぶ濡れになってバイト先から帰ったら居て当然の顔をした伊司荼さんと、初顔合わせになるのに堂々とお菓子やらジュースやらを飲み食いしていた苑道さんが居たような。あれ。どちらかといえば、苑道さんの方が不審者じゃないのか。  ふと胸に抱いた疑問をそのままに、まるで膨れ面をしてむくれている苑道さんと睨みあい続ける。するとちゃっかり肉の入った中身の弁当を自分の前に置いて割り箸に手をつけようとしていた伊司荼さんが僕の肩を軽く叩いてきた。 「まぁまぁ。いいじゃないですか、亥唐さん」 「あんたはあんたで一番肉の多い弁当をさりげなく取るんじゃない!!」 「そうだ、そうだ! ここは公平にしりとりで決着つけようぜ!」 「そこは普通じゃんけんだろ? 何でしりとりなんだよ」 「だって、不戦勝不敗のしりとりキングだし」 「んなもん知るかぁ!」 「じゃあ、しりとり始めますよぉ?」 「え。おいこら、待て、誰もやるとは言って」 「はーい、しりとりの、り!」 「え、ちょ……!」  ぱん、と伊司荼さんが景気よく手拍子をした途端、部屋の空気がぴりっとした緊張感に包まれた。乍原が苑道さんを、苑道さんが伊司荼さんを、伊司荼さんが僕を一睨みする。良くも悪くも、伊司荼さんの声には有無を言わせぬ迫力のようなものがあった。未だ黒川先生とやらのコスプレをしたままだったが、声の圧は本物だ。普段の間延びした声とは打って変わって真剣な態度に、気圧される。  素早く口を開いた猛者は、苑道さんだった。流れを見守るに、二番手は乍原らしい。三番手は伊司荼さんで、最後が僕という構図になる。 「り、リトアニア!」 「あ、あー、アメリカ!」 「お二方はそう来ましたか……カンボジア!!」 「え、あ? えーと、あ、あ、アイルランド!」 「ど、ドミニカ!」 「か、か、カナダ!!」 「ダですか……タ、でも良いですね? タンザニア」 「え、ちょ、またアかよ。えーっと、ア、アは……」  染みが多い天井を見上げながら、何故だか国名縛りとなった「ア」のつく国名を探す。別に国名じゃなくても良いだろうが、ここまで続いたのだから、自分もそれにならいたい。だがアメリカは既に言われているから使えない。言って「あー、真似すんなよ!」なんてあの乍原に言われる可能性もある。  どうする。どうすれば良い。 「……あっ、アルジ」 「はいっ、時間切れ!!」 「残念でしたぁ!!」 「亥唐さんの金のお弁当はボッシュートです!!」 「えっ? はぁ?! ちょ、お前らぁ!!」 「悪いな、いとー! これが弱肉強食の世界なんだよ!」 「弱者は強者に従え。それがこの世の掟だ」 「亥唐さんのお弁当は美味しく頂きますから」  ぐいぐいと机から遠ざけられ、分かりやすく除け者にされる。あまりにもあっさりとした幕引きに畳に膝をついた。  何だよ。時間制限付きだなんて一言も聞いてねぇぞ。くそ。しかも何で国名なんだよ。僕にばかり「ア」のつく言葉を回してきやがって。そうそう「ア」から始まる国名なんて思いつくか。このバカ。大体、何でそんなまどろっこしいことを。  そこまで考えて、ハッとなった。  もしや、あいつ。 「……っ、い、し、だぁ!!」  怒りのままに名を呼んで、咆哮する。すると伊司荼は口元の笑みを深めるばかりだった。あいつは、しりとりを続けるための国名を言っただけではない。続ける上で、敢えてしりとりに抵抗のあった僕にターゲットを絞って、沈めてきたんだ。このしりとりというシンプルかつ難解なゲームを、自らの知識をひけらかすために。  僕は、あいつの罠にはめられたんだ。そう思うと同時に、頭の中で糸がぶつりと切れる音がした。 「……上等だ、この野郎!」  ばん、と力強く畳を叩く。ばふっと埃が舞い上がったが、それに掻き消されないように睨みをきかせる。唐突な音に少し離れた先で苑道さんと乍原が肩をびくっと震わせたが、伊司荼は僕の視線を受け止めながらも愉快そうに眼で笑った。  所詮は負け犬の遠吠え。  そう言って止まない伊司荼に、僕も笑みで返してやる。 「賭けてやる。……残りのおかず類を全て、賭けてやらぁ!!」  びしっと机の上に置いてある四人分のスープ類を指さし、高らかに宣言した。こんな卑劣な奴に、二度と負けるもんか。その一心で。  どん、とわざと足を踏み鳴らし、一歩ずつ確かな足取りで机へと歩み寄る。元々座っていた座布団の上にどかりと座ってあぐらを掻くと、眼光もそのままに、三人を一睨みして。 「さぁ、やろうぜ。もう一勝負だ」  僕の言葉に、伊司荼は底冷えのする笑みを貼り付けていた。
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