第壱話 あのとき「どちら様でしょうか」と言えば受かっていただろうか

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第壱話 あのとき「どちら様でしょうか」と言えば受かっていただろうか

 とある穏やかな春の昼下がり。どこかの会社のどこかの一室に案内されて、勧められるままに椅子へと腰掛ける。すると受付の方は「お呼びするまでこちらでお待ちください」とそっけなく言い、僕から見て正面にある扉の奥へと消えてしまった。  静かな空間の中で音を立てるのは部屋に掛けられた壁時計。こちこちと無機質な音で焦燥感を掻き立ててくる。  膝上で固く握った拳から冷や汗がじわりと滲み、訳も無くごくりと生唾を飲み干す。必死にこれまで練習してきた自己PRだとか面接時での受け応えに関する知識や会社に対する総合評価を聞かれた際の対処法だとかをぐるぐる脳内に巡らせた。  まず最初に雑談から入るかもしれない。いや待て。これはグループ面接だ。いま僕の隣には三つの席がある。残る二人はまだ来ていないようだ。僕こそ早く来すぎたのか、それとも非常識な輩なのか。いや、そんなことよりも。あぁ、何を聞かれるんだろうか。下調べをしたら悪評しかなかったよな、この会社。じゃあ別に落ちたっていいじゃん。怖がることなんてないか。そうだ、恐れることは何もない。感じの好いように僕が先頭に立って入室し、面接官に決して背を向けないようにするんだ。後から続く人たちに威嚇するように大きな声で挨拶して、いかに僕が「明るく」「元気」な人物であるかをアピールするんだ。  出来る。僕なら、出来る。既に何百社と受けている僕なら。 「次の方、どうぞ」 「あっ、ひゃい!」  思いがけないタイミングで名を呼ばれて弾かれたように立ち上がると、反動で椅子はがたんと揺れて大いに動揺した。 「……あちゃあ」  幸先は悪いが、これは厄落としだ。きっとそうだ。だから、大丈夫。  がちがちに固まった両足の筋肉を軋ませて滑る手でドアノブを握る。その前にノックを忘れていたことに気が付いて大慌て。思いの外に強くノックをしてしまい、もう顔が暑い。連なる小さな失敗に完全に気取られ、みるみる萎んでいく僕の気力。  何のそのと眉を吊り上げて滅多に浮かばぬ笑みを作り、上擦った声で「失礼します」と言うと、ドアの向こうで不機嫌そうな「どうぞ」という声が返ってきた。  ゆっくりとドアノブが回り、ぎいとドアが鳴く。顔を上げてみれば、元は白かったであろうくすんだドアにある擦りガラスに、ぼんやりと人影が映り込んでいた。どうやら面接官は三人のようだ。  掌に掻いている汗をばれないようにぴったりと腿につけ、面接官の前に置かれているパイプ椅子の横に並ぶ。面接官は、左は僕の三十路になる兄貴と同い年っぽいメガネ、右は狸みたいに太って顔を油で光らせているハゲだ。どちらも強面で、ハゲに至っては、顔の前で両手を組んで僕を足の爪先から頭のてっぺんまで遠慮のない視線を向けてくる。  ふふん。いいぞ。上等。上等だ。やってやんよ。覚悟しろよコラ、僕の有能さをとくと教えてやらぁ。乾いた唇を軽く舐め、腹にぐっと力を入れる。怪訝そうな面接官のハゲがこれ見よがしに溜息を吐いて牽制してくるが、もう動じないぞ。どんな酷いことを言われたって、これまでの僕の経歴に比べればなんてことはないのさ。寧ろかかってこいよ、コラぁ。受験番号だって七番と奇跡の数字で僕の味方をしてくれているんだ。今の僕は、誰にも負けない。  すう、と大きく息を吸う。瞳に力を入れて、僕は叫んだ。 「受験番号七番 亥唐 海二、よろしくお願いします!」  呆気にとられる面接官と、面接官の背後にある窓ガラスに映る赤い僕。  従業員数約五名で宣伝広告に精を出す通称マクロコーポレーションとの面接が、いま幕を開けた。 ◇◇◇ 「そうか。それで我が社を志望した理由は?」 「はい、えっと、……はい、すみません。もう一度いいっすか?」 「君ねぇ……」 「亥唐君さぁ。こういう面接は初めて?」 「あっ、いや、その、前にも受けて、まして」 「本当なら他の人も面接に来る筈だけど来ないから君に質問してんだよね」 「ひゃいっ」 「なに。こっちの話は聞く価値も無いって?」 「いや、その、違くて」 「じゃあ何でさっきから質問を聞き返してんの」 「あの、面接は、ちょっと、あの、苦手で」 「えぇ……君っていくつ?」 「あ、えと、今度で21です」 「あぁ、成人してんの。高卒かと思った」 「えへへ、よく言われる、です」 「君って素直とも言われるでしょ」 「うわっ、何で分かったんすか?」 「人事としての勘というより見た目かな」 「ちょっと斉藤さん、あんまりそういう言い方は……」 「朽木(くちき)さん。遠慮するこたぁないですよ。結果は出てるんでしょ」  面接官のメガネの方は朽木さんで、ハゲは斉藤さんか。入室してから十分が経ったけど、意外と良い人たちなんだなぁ。僕が話したらいつもは数分で退室を言い渡されるのに、今日は十分も保った。もしかしたら、もしかするかも。ここ数か月何百社と受けたが玉砕した苦労が報われる時が、ついに。  朽木さんが隣の斉藤さんに渋い顔をしてから、「じゃあ、亥唐さん」と向き直ってくる。正午の太陽が朽木さんの背後に回っているから、まるで仏様の後光が朽木さんから出ているみたいで面白い。背もたれにどっかりとくつろいでいる斉藤さんとは対照的に、朽木さんは両手を軽く組んで前のめりになった。 「履歴書には特技が水泳とありますが、我が社にどういった利点があると……」  不意にどこからかつんとした臭いが鼻を衝く。何だろう。臭いの正体が気になって朽木さんの言っていることがよく聞き取れない。何だろう、コレ。仏間にある線香っぽいけど何か違う。あ、あれか。お焼香だ。お葬式でやるやつ。でも、何で急に。  きょろりと辺りを見回してもお葬式をやっている家が見つかるどころか何もない。ただの部屋だ。面接官の後ろにある窓ガラスに目を遣っても、三階だから分かる訳がない。今のところ分かるのは臭いだけだ。しかも、さっきよりも濃くなっている。それで分かった。  これは、実家の山に一時的に植えていた樒だ。長い楕円形の葉っぱがあって、春先になると淡黄白の花を咲かせて仏間を彩る花で、よくお婆ちゃんが手入れをしていたっけ。秋になったら星形の実になるから食べようとしたらよく怒られてたっけ。懐かしい。でも、何でこんなところで臭いがするんだろう。 「亥唐さん、聞いてますか」  すん、と鼻をひくつかせて目を閉じ、古い記憶を掘り起こす。嗅げば嗅ぐほどに樒だ。しかし、その臭いに混じって別の臭いがすることもだんだんと分かってきた。別の臭いとは、土の臭いだ。しかも腐っている肉の臭いもする。家の裏山に捨てられた死体のような、臭い。 「ちょっと、亥唐さん」  気味が悪いな。そういやこの会社の裏手に桜の木が一本だけあったっけ。何かで知ったけど桜の木の下には死体が埋まっているらしい。もしや、この会社は退職する人間を次々と桜の木の下に埋めているんじゃないか。そうだ、きっとそうだ。でなければあんなにネットの掲示板に悪く書かれるはずがない。うわ、こわ。 「亥唐さん!」 「お尋ねしても良いですか!!」 「はい?!」  僕が大声を上げたから朽木さんは意表を突かれたのか素っ頓狂な声を上げて僕を睨む。睨まれることはしていないと思うが、今はそれどころではない。確かめなければならないことがあるんだ、僕は。 「聞きたいことが、あるんです」 「……何でしょう?」  言葉にしようとすれど、声は出ない。ぎゅうと口を噤み、もう一度。せーの。 「あの、ここって、もしかして、死人が」  そこまで言った瞬間だった。どんどんどんと背後のドアがけたたましく鳴り響き、臭いがいっそう強くなる。鼻の奥もわさびを直に塗られたように痛むし、悪臭で頭痛もしてきた。くらくらと眩暈を覚えながら面接官を見てみるが、二人ともあからさまに嫌そうな顔をしている。面接官の態度に違和感を感じたのもその頃だ。面接官のの視線は、僕では無くて、僕の背後へと注がれていた。  ひた、と面接官と目が合う。いまだに背後のドアは拳で殴るように叩かれている。まるでこちらの返事を待っているかのようだ。インターフォンを連打する悪戯好きな子どもが、ピンポンダッシュを成功させようとドアの外でこちらの反応を待ち構えているのかもしれない。ただ、それにしては奇妙だった。  入る前に確認したが、この部屋と外を仕切るドアには擦りガラスがある。それには何も映っていなかった。人であるなら何らかのシルエットは分かるだろう。小さな子どもが叩いているのかもしれないが、子どもの力にしてはやけに強い。ドアノブも気が狂ったようにがちゃがちゃと回転はするが、鍵でも掛けられたかのように開かない。それに、今は平日の正午だ。背の低い小学生や中学生であるなら今は授業中だろう。何だってこんな会社に子どもが来るのか。そもそも、人などいなかったような。  途端に背筋がぞっとする。それは、面接官も同じようだった。 「……どうぞ」  朽木さんが恐々と声を発する。隣の斉藤さんの顔もさっと血の気が引いて、青褪めてしまっていた。魚の腹みたいだ。  がんがんと叩かれていたドアはその声を契機にぴたりと鳴り止み、がちゃがちゃと騒がしいドアノブも動きを止めた。瞬間あの腐臭がいっそう濃くなった。擦りガラスに黒い影がぬうと映り込む。  自然と僕が息を止めると、ドアはがちゃんと音を立てて緩慢な動作で開いていく。1センチ、2センチ、と開き、ドアの隙間から真っ黒い爪先が見えた。炭のように真っ黒だ。よく見れば足の指の合間には小さな蛆虫がうねうねと蠢いている。しかし、何よりも驚いたのは足が地面に着いた時の効果音だ。びしゃりと水風船のように水気をたっぷりと含んだ足が着いた瞬間に弾け、むあっと悪臭が漂う。  がしりとドアを掴む手からは足先と同様に蛆がにょろにょろと揺れ、指先は腫れたかのように膨らんでいた。 「じゅ、受験番号と……お名前を」  振り返って見てみれば、朽木さんは目に涙を溜めながらも震える声を絞り出していた。隣の斉藤さんは嫌そうな顔を隠そうともせず、ドアについた指先を凝視している。朽木さんの声に呼応するかのように、ソイツはずるりと滑るように全身を露わにした。 「9番の、乍原 耕太(さはら こうた)、独身です!!」  元気な声とともに現れたのは、中学時代に死んだ旧友だった。  昔から童顔ではあったが、片方の大きな目玉は取れかけて糸のような視神経がだらりと垂れ下がり、顔面は頭からの出血のせいか真っ赤である。へらへらと笑う口からは虚ろな闇がぽかりと開き、どこで仕立ててもらったのか黒いスーツは両肩が赤黒く変色していた。  乍原は昔は黒だった筈の白い髪をがしがしと掻いて「すんません、デテールで抹茶パフェ食ってたら遅くなったんですよ」と照れ笑いを浮かべるが、事故にでもあったのか歯の欠けた口からは絶え間なく涎を溢し、にたにたと笑う姿は正にバケモノである。  よって、想定外の場面に出くわした面接官はこれだけを言い切った。流石である。 「……お還り下さい」  懐かしい顔に会ったもんだと腐臭を放つ友に肩を組まれて帰った翌日。  漸く天職に巡り合えそうな気がしていた僕の元には「不採用」の紙が届き、鼻を摘まなければ息も出来ないような友人が、「まあ落ち込むなって。そうだ、パフェ奢ってやるよ」と僕をデテールへと励ましてくれた。それに対して僕は「お前のせいだ」と殴りかかったのは致し方のないことだと思う。殴った拳からは土と樒の臭いがした。  超くせぇ。
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