第参話 異端児のお願いは命令と同義

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第参話 異端児のお願いは命令と同義

「さて。どこから話せば良いかしら」 「……えっと」 「あぁ、そうだ。阿伽奇というのは本名じゃないわ。一応ね」 「あ、……そう、です、か」  しゅぼっと咥えた煙草に優雅な手つきで火を点け、ふうと吐き出した煙はドーナツ状の輪っかで薄汚れた店の天井にぷかぷか浮かび上がる。僕はそれすらまともに見られず、膝の上に置いた拳をさらに固く握り締めた。じわじわと心の隙間から滲んでくる目に見えない恐怖に堪えるように、特に親指を握り込む。今の僕を支えるものは、それぐらいしかなかった。 「亥唐さん。……だったかしら」  するりという音で相手がひらひらのメイド服の裾から覗く剥き出しの足を組み直したのだと分かる。急に名前を呼ばれ、びくりと肩が跳ね上がった。 「あなたは、こちらの方とは違うわよねぇ?」  見ずとも分かる。彼女の足元で、つい先程「ねぇねぇどこ住み、ラインやってる」などと屈託のない笑顔で迫った腐った友人が、脳天に踵おろしを食らって沈没している様が。ついでに恐らく彼女が異様に尖ったピンヒールで彼の陥没しかけた後頭部にぐりぐりと踏み躙っている様も。 「あなたとお話がしたいの」  彼女がぐいっと近づいて、妙に艶のある声で耳元に囁きかける。 「ねぇ。お願い。聞いてくれるかしら?」  くすりと笑う声。傍から見れば美女に絡まれた気弱な男性というところだろうか。店内にはクラシック音楽が穏やかに流れ、仕事帰りの男性や優雅に夕食をとっている婦人方がいる喫茶店で、僕と乍原は床に正座していた。乍原は座るというより顔面から床に突っ伏していたが、僕としてはそれを訂正する心の余裕すらない。 「あ、あの……っ!!」  ごくりと生唾を飲み込み、ぎゅうと眼を固く瞑る。一刻も早くこの場から逃げ出したかった。だって、僕には彼女が恐ろしくて仕方がないのだ。怖いけれど、ミジンコ並の勇気を絞り出す。  せーの。 「僕は死人を連れている人とはお話できません!!」  艶やかに笑む彼女の背後には、わらわらと死霊が蠢いていた。 ◇◇◇ 「やっぱり、視えてるのね」  ようやく同じように席に座らせてもらうと、早くも復活した乍原が両手を突いて向かい側に座る彼女へと身を乗り出す。 「なぁなぁ、視えるって何が見えるんだよ?!」  乗り出すついでに尻を左右に振るのは止めてくれ。男の尻など不愉快でしかないのに。トイレも我慢できない小学生か、お前は。 「なぁなぁ、教えてくれよ! いいじゃん、減るもんでなし……!」 「あなたが誰とも交流を持たずぼっち飯をキメている理由が分かったわ」 「あ。や、そ、れは、別に幽霊とかじゃ」 「なぁなぁなぁ!!」 「ところで、どうしてこっちの眼を見て話さないの?」 「……さっき言ったでしょ。怖いんですよ、後ろのが」 「二人ともシカトすんなよぉ! オレ拗ねちゃうよぉ?!」 「勝手に拗ねろ」 「むっきー!!」  乍原に構えば進む話も進まなくなると思って無視していたが、相手も乍原の言葉なぞまるで聞こえないかのように話し続ける。なんという鋼のメンタルの持ち主だろうか。普通の人間ならば初対面ということもあって多少は構うと思うのに。恐るべし、異端児。単純に興味がないだけだろうが。 「恐い、ねぇ……?」 「……他にも理由はあるんですけど、その」 「じゃあ、お塩を振れば良いかしら」 「えっ」  阿伽奇さんはそう言って食卓にあった塩入りの瓶を引っ掴むと、乱暴に頭からぱらぱらと白い粉を降らせる。それだけで背後で蠢いていた黒い影は「うごぉおぉ」と地を這うような悲鳴を上げながら、しゅうしゅうと白い煙を立ち昇らせた。 「えぇ……」  霊の扱いが雑すぎやしないか。すごい面倒臭そうな顔を僕に向けられても。 「どう、居なくなった?」 「え。あ、……怯んだだけですね」 「あら、そう。まぁいいわ。話を続けるわよ」  どこまで自由奔放な女王様なんだ、この人。ていうか、めちゃくちゃ適当だな。 「あなた、ちょっと除霊してくださらない?」  さっき自分でしてただろ。何だその「除菌して頂戴」みたいな軽いノリは。 「こんな塩対応じゃなくて、本格的なもので」  実に簡単そうに言ってのける相手に、僕は困惑した。そんな出前のピザを取るように言われたって、こっちは除霊なんてしたこともない。ただ僕は視えるだけだ。視えたら逃げる、無視をする。そうして二十数年を過ごしてきたのに。 「で、でも、僕じゃなくてその道の人に頼めば」 「適当なことを言われても後で本当に除霊出来たかなんて確認できないでしょ」 「あー……まぁ、そうか。それで、同学年の僕か」 「なぁなぁ、亥唐ー。こんな美人さんの頼みなんだぜー」 「うるさいな。ちょっとお前は黙ってろ」 「困ってる人間を放っておくのかよー。なっさけねぇなぁ」 「お、まえ、なっ……?!」  がん、とお冷を手にした腕を机に叩き付けるが、ビビりもしない乍原は頭と片目に巻きつけた包帯の隙間から、じっと覗き込んでくる。こいつ、体臭とか樒臭いくせに、眼が大きいから目力が強くて嫌になるんだよな。 「……お、お前にゃ視えないから、そんなこと言えんだよ!!」 「えー……。だって視えねぇし」 「すっげぇ怖いんだぞ?! なんか、こう、黒いのが、じーっと見てて!」 「別に怖くなさそうだけど」 「……っ、この! こんなんだぞ!!」  つまらなさそうに頬杖をついてダレる乍原にカチンと来て、咄嗟に持ってきた鞄からルーズリーフを取り出す。絵心なんてものは皆無だが、ちょっとでも怖さが伝わればそれで良い。それで、良かったのだが。 「どうだ! 怖いだろぉ!!」 「……ぶっ」  乱雑に黒でぐしゃぐしゃに塗りたくり、人の形を模したものを乍原の目の前に突きつけてみたが、腐った友人は恐がるどころか噴き出すばかりだ。乍原は噴き出すだけにとどまらず、ついには机をばしばしと叩き、腹を抱えて大声で笑い始めた。 「ぶぁっははははぁ!!」  変な奴だ。眉を顰めて乍原を睨んでいると、前方でも噴き出す声がした。顔を上げればあの阿伽奇も奇妙な顔をして手で口元を覆っている。 「お前ってば、昔から下手だよなぁ!!」 「あら。これはひどい」 「な……!」 「画伯とお呼びしても?」 「良いわけねぇだろ、おいこらなんだよその不満そうな顔! やめろ!!」  今度は僕が机を叩くと、いかにも嫌そうな顔で「野蛮人」と言われてしまった。  心外である。乍原じゃあるまいし。 「あんたこそ、それが人にものを頼む態度かよ?!」 「頼んでいるのではなくて、命じているのだけれど」 「はぁ?!」 「お分かりになられなかったようで」 「分かるかぁ!!」 「謝礼は出すけど」 「いくら?」 「乍原ぁ!!」  これまで床に笑い転げていた奴が、小バエのような素早さで僕の隣に復活する。悪ノリする奴だとは知っていたけど、今はその切返しの早さが憎らしい。だいたい、こいつが目の前に現れなかったらこんな面倒な奴に捕まらなかったのに。あと、無駄になったカレー代も払わないくせに。何だよ、偉そうに。  さらなる文句を言おうと開いた口は、すぐに別の意味で開いたままになった。 「前金として、十万ほどお支払させて頂くわよ」 「えぇっ?!」 「じゅ、十万?!」 「足りませんこと?」  完全に僕らを品定めするような目つきで見た彼女は、ボリュームのある胸の前で見せびらかすように腕を組む。その仕草はとても男を熟知しているように自然な流れで、案の定このバカは胸元へ視線が釘付けだった。  店内に流れるクラッシックが、徐々にアップテンポのタンゴへとすり替わっていく。 「し、仕事を引き受けたら……?」 「さらに五十万。評価が良ければ月々に同額をお支払しますわ」 「……」  乍原が真顔でこちらを見た。包帯でぐるぐる巻きになって物言いたげな奴の考えていることなど手に取るように分かってしまう自分にほとほと嫌気が差す。一度だけ大きく溜息を吐き、じとりと乍原を見返す。それを是と受け取ったのか、乍原の顔がぱっと明るくなった。  がっと机に乗り上がったかと思うと、勢いよく阿伽奇さんの手を取り、乍原は思い切り顔を作って笑いかけた。 「お引き受けしましょう!!」  どうでも良いが口元にカレーついてて格好悪いぞ、乍原。  そう言うと、乍原が拗ねたように口を尖らせ、ごしごしと包帯だらけの手で口元を拭った。
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