第肆話 本当にあったら怖い話

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第肆話 本当にあったら怖い話

 昨晩は大変だった。大学内でも成績優秀スポーツ万能な一方で、女王様気質が転じて大量の死霊をホイホイする阿伽奇さんに思わぬ仕事の依頼をされ、「美人に頼られるオレってカッコイー!」とかほざきながら布団の上で跳ねまくる死体の乍原。舞い上がる羽毛布団の羽や埃。階下の住人から床ドンされ波打つ床。力尽くで押さつけようにも、成人男性はなかなかの重さだ。  いい加減にしろと拳骨で眠らせた。だが翌朝になって目が覚めると、いつもは隣で間抜けな寝顔を晒す奴はどこにも見えず、代わりにあったものは。 「あら。おはよう。もうお昼だけど」  嫌そうな顔をしたメイド姿の阿伽奇さんだった。 ◇◇◇ 「今朝の目玉焼き、いまいちね」 「……どうやって入ったか分からないけど、立派な犯罪ですよ」 「あら。お寝坊さんを起こすのが、そんなに悪いこと?」 「だっ、……だいたい、鍵だってかけてたのに」 「それでは次回からはしっかりと戸締りをなさい」 「じゃなくて僕はやめろって言ってんの!」 「そこの角を右折してくださいな」 「あっ、はい」  助手席にメイド姿の阿伽奇さんを乗せ、たどたどしくウィンカーをつける。当の彼女は朝の騒動など無かったかのように鼻唄なんぞを歌っては窓の外で流れていく景色を楽しんでいるようだった。僕は溜息を吐いて今朝のことを思い出す。  死んだように眠る乍原の代わりに阿伽奇さんが堂々と合鍵を片手で弄び、低血圧で寝たきりのままの僕と視線を合わせるように同じく横になっていることには驚いた。おかげで朝っぱらから奇声を上げる羽目にはなったが、冷静な彼女の「正午になる前に仕事場へ案内するわ」という声で、昨夜が夢ではないことを知った。  遅い朝食を作りながら阿伽奇さんに、我が家の住所特定はどうしたのか、侵入経路などを聞いてみたがすべて「お友達に手伝ってもらって」と回答され、改めて彼女が異端児であることを思い出したのだった。お友達というのも、恐らくは不良だとかそんな可愛らしいものではなくて、ヤのつく人だとか、もしかすればこの人のことだからマフィアだとかかもしれない。  うわ、やべぇ。超帰りたくなってきた。おうち帰りたい。 「たしか、十歳離れたお兄さんと、二人の双子のお姉さんがいらっしゃるのよねぇ」 「ひぇ……そうですけど」 「あなた随分と家事が手馴れていたわね」 「……うちは母子家庭で、姉も働いていましたから」 「あら。そうなの」 「というか、あんた多分これ知ってましたよね」 「うん?」 「……その、例のお友達伝いに」 「えぇ、そうよ」  まったく隠す気も無いらしくすっぱりと言い切る彼女は潔い。車は険しい山の中に入り、がたごとと揺れる車体で、彼女だけは優美に助手席でただ前を見据えている。その一方で僕は運転をしつつ極度の緊張と車の揺れによる吐き気を必死に堪えていた。  がたん、と道に落ちている石を踏んで乗り上げる度に胃から何かが込み上げては、ぐっと強く息を呑んでは鬼の形相で前を睨みつける。思っているよりも限界は近いのかもしれない。 「うぇっぷ。……ところで、阿伽奇さん」 「なにかしら」 「その……僕について、どのぐらい知って」 「あら。……聞きたい?」  外は真夏かと疑いたくなるほどに暑いのに、車内の温度が急降下するのが分かった。本当にこの人の地雷というかそういうものの見当が付かなくて怖い。すうっと目を細めて意味ありげな笑みを口元に形取り、心なしか僕の方へ僅かに顔を近付けてくる。  近い、近い、怖い。  あまりの急変に僕が渇いた唇を舐めて言葉を探していると、阿伽奇さんから明るい調子で話しかけてくれた。 「そうねぇ……性格は短気ながらも人見知りで母親の転勤も多く、親しい友人は中学以来おらず、あなたが中学卒業後に両親は離婚して十歳離れたお兄さんは父親に引き取られたけれどめでたく某有名企業に就職して自立。離婚後あなたは一度誘拐されかけて視えるようになってからあなたの面倒は、もっぱら二人の双子のお姉さんが見ていたのよね。その双子の姉の日常的な生活指導のせいで若干の女性恐怖症持ちになったことで辛くなって大学進学と共に家を飛び出し、つい最近死体を拾ったこととか?」  あ。これ詰んだ。 「新しい情報だと、自宅の近くにある喫茶店で死体と夕餉なんかとってたりして」  きっちり乍原のことバレてんじゃん。ここで阿伽奇さんに大学とかで噂をばらまかれたりしたら、僕の大学生活って終わっちゃうの。嘘だろ。進学どころか精神を疑われて精神科の受診とか勧められて、下手すりゃ廃人扱いされる感じかな。世間からは「イっちゃってる人」みたいな紹介されてダブルピースでテレビに映る感じかな。いえーいって。  え。……マジでか。 「それに、あたしのことも怖いんじゃなくって?」 「あ、いや。……それは別に。あんたは別の意味で怖い」 「お前も死霊の一人にしてやろうか」 「ひぇっ……あの、ご、ごめんなさ」 「ところで。乍原さんと同居してるのよね?」 「えっ」  言うや否や阿伽奇さんがどこからか取り出した一枚の写真を、ちらりと見る。そこには、喫茶店で乍原がぼろぼろと傷口からカレーを溢している姿と慌てる僕の正面が写っていた。  それを見た途端にさあっと身体中から血の気が引く音がして、口の中は変な味が広がっていく。ハンドルを握る手がかたかたと震えだして、勢いよく阿伽奇さんの方へと顔を向けるが、彼女はまだ窓の外を見ていた。ふんふんと鼻歌交じりに、彼女は僕を見ずに問いかける。 「法律じゃあ、乍原くんの扱いはどうなると思う?」 「あ、ぁ……!」 「それはそれで興味があるのだけれど。生憎と法律には疎くて」 「そ、れは、ちょっと……!」 「罪状は死体遺棄。もしくは、拉致監禁、誘拐といったところかしら」 「……そ、んな」 「どちらでしょうねぇ。……ねぇ、海二さん?」  きゅっと心臓が一鳴きした。つう、と阿伽奇さんの細い指が顎をなぞり、するりと優しく頬を撫でてくる。それが僕には悪魔の誘いにしか感じられず、一般男性にとっては嬉しいようなシチュエーションも僕にとっては拷問でしかなかった。阿伽奇さんは暗に「いつでもあなたを訴えられるし、勝てるのよ」とでも言っているかのようで、僕は針の蓆ってこんな感じかなと冷や汗を流した。  は、は、といつの間にか息も浅くなり、目の前の景色が歪んでくる。辺りは開けた林道になっていたが、眼を細めれば何か館らしきものも見えてきた。  あそこに行けば、とりあえず阿伽奇さんから離れられる。その一心で僕は彼女の試すような手つきを無視し、パニックを起こしかける頭でどうにかこうにか集中力を続ける努力をした。僕の様子を横目に彼女はお気に入りのぬいぐるみでも見つけたように、くすくすと笑う。 「それに男と同居って、あなたのご家族や相手のご家族は、どう思うかしら?」 「えっ。あ、えーっと……!」 「あなたの性癖は、屍体性愛? それとも、人肉嗜食?」 「や、やめろ……やめてくれ!」 「あらあら。じゃあ、同性愛者で死体フェチかしら?」 「ちがっ、違う、僕は別に深い意味があってあいつと居るんじゃなくて」 「それじゃあ、カラダだけの関係かしら。あーらあら、まぁまぁ!」  汗で滑りそうになるハンドルを、しっかと握り締める。もはや恐怖よりも怒りの方が勝っていた。 「だっ、から……違うって言ってんだろうがぁあああ!!」  渾身の力でアクセルを踏んづけ、苛立ちのままに加速を付ける。それだけで、隣の阿伽奇さんは「うひょっ」と嬉しそうな声を上げた。  ぎゃんっと土埃をあげながら獣道を疾走する軽自動車は躍起になった僕と「気持ち良いー」と言いながら窓から顔を出して風を浴びる彼女を乗せて、林の中を突き進む。  そのときに、林の向こうで少し気になるものが見えて、僕はぎょっとした。犬だ。犬が、林の向こうで車と並走している。野良犬にしては大きいし、速度も尋常ではない。速すぎて恰好はよく分からないが、どうやら一頭だけではないらしい。 「あ、あの、阿伽奇さん?」 「ひゃふぅうぅううう!!」 「あ、阿伽奇さん!!」 「えー?」 「いぬっ、いぬがっ!!」 「あら、忘れてた。早く館に行った方が良いかしらねぇ!」 「ど、どういう」 「早くしないと追いつかれるわよー!」 「えっ、何それ。なになになになになになに?!」  彼女の要領の得ない返事に僕は焦燥感を掻き立てられ、目一杯にアクセルを踏み込むことにした。どれだけ速度を上げようとも、林の奥に居る犬たちは引き離されることなく着いてくる。既に犬が追いつけないスピードで走っているというのに。 「嘘だろ、マジかよ……何これ怖いこわいこわいこわい!!」 「ほらほら、頑張れー。もうちょっとー」  まるで臨場感のない声援を受けながら、僕はじわりと滲んだ視界で近付いてくる館へと車を走らせる。そこで、はたと気が付いた。  見通しの悪い林に囲まれたその屋敷は、どこかで見覚えがあるような。そんな気がした。アクセルを緩めることなく踏み続けながら見えない恐怖に堪えつつ、海馬の奥深くへ潜ってみる。どこだったろう、何だっただろう。あの館は、昔から知っているような気がしてならない。まるで一昔前の洋館のような。  すると、不意に遠くから犬とも獣ともつかぬ咆哮が耳に届く。悍ましい声の主は、あの犬たちだ。ひゅっと喉が鳴り、その拍子にあるホラーゲームのワンシーンを思い出した。  そうだ、これは。 「これ、バイオハザード0だぁあああ!!」  奥歯に引っ掛かっていたものが取れたような、漸く思い出せたことへの高揚感やら犬の正体を思い出したことによる恐怖で、まるでテンションが上がったアメリカ人のような奇声を発する阿伽奇さんとともに、僕たちは車ごと館へと突入する。  どごんと重い音が山の中に響き渡り、木製のくせにやたらと固い扉に衝突した車は、哀れ僕の十万ちょっとで買ったマーチは、無残にも爆発四散した。
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