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第伍話 シュシュッと除霊
「はい。それじゃあ、今回のお仕事の説明するわ」
扉を破壊させる勢いで突っ込んだものの皹も入らず、車だけが大破した扉は、車から出た彼女を認識した途端に重々しく開いた。背後から目にも留まらぬ速度で追いかけてくる腐った犬から彼女に助けられ、一息ついていると、ぱんぱんと彼女が軽く手拍子をして注意を向けさせる。
未だにばくばくと脈打つ心臓を鎮める間も持たせないとか、こいつは鬼か。後ろに手を着いて座ったまま不満気に睨みあげると、阿伽奇さんは涼し気な瞳で受け流す。
「この館に社長兼館の主人がいるので、思う存分に探索してくださいな」
「……えっ、社長がここに?」
「ここが本社だから、社長が居て当然でしょう?」
「ちょ、ちょっと待って。僕ここ不慣れなんですけど」
「安心して。あたしも分かんない」
「一ミリも安心できない!!」
「あたしは二階から探してみるから、あなたは一階からお願い」
「待ってまって、そもそもここへは除霊しに」
「それじゃあ、どちらが先に社長を見つけるか。よーい、どん!!」
「いや、その、待って……お願い、まってぇえ!!」
彼女はちっとも楽しそうでない表情でメイド服の裾を優雅にたくし上げ、ぎょっとするような速さで正面玄関から二階へ通じる大階段を勢いよく駆け上がると、一瞬にして姿をくらましてしまった。何だ、アレ。
どうでも良いが、階段を駆け上がる時の両足の細かな動きが化け物じみていて怖かったなどと、彼女には口が裂けても言えない。彼女からの処置が怖すぎる。けれども、何にも言わないのも何だか癪なので、小声で文句を言った。
「せ、せめて会社案内とか置いてってぇ……」
一度も振り返らず階段を上った先の扉から入って行った阿伽奇さんを止めようと伸ばした手は虚しく空を掴み、思わず溜息を吐く。交通費も出してくれない会社に案内されるなんて、僕もとんだ貧乏くじを引いてしまったもんだ。溜息ばかりを吐いても仕方がない。まずは会社見学をさせてもらおう。だいたい、ここに社員が居るかも怪しいな。
「……やれやれ」
ぐるりと見回し、辺りを観察する。玄関ホールの正面にはご大層なレッドカーペットが二階へと続く階段にまで敷かれており、カーペットが敷かれていない床は鏡かと見間違うほどに磨き上げられている。ついさっきまで誰かが手入れしていたみたいだ。
「うー……ん」
床から視線を上げて階上を見る。階段を上り切った正面には、何の価値があるのかさっぱり分からない大きな絵画が壁に立てかけられていた。絵画は風景画のようだが、恐らくどこぞの由緒正しい立派な場所なんだろう。そして、僕から見て左手側に扉が一つ、右手側には二つ扉が並んでいる。手前の方が観音開きで開く大きな扉だ。
一階と二階を遮る天井は無いようで、二階から一階が見下ろせるような開放的な造りだった。しかし、天井に吊り下げられたシャンデリアでは奥までは照らせないらしい。全体的に館の中は薄暗かった。ただ階段の左右には十本の蝋燭が枝分かれした燭台が置かれていて、そこの足元は比較的に明るい。
「ホラゲで単独行動禁止だってぇ……」
ここの造りの何もかもが、昔に遊んだリメイク版のホラーゲームに酷似しすぎて逆に怖い。たしかあのゲームならこの左側が大食堂だったよな。
「まさか、そこまでクオリティ高いわけがー……」
すっかり怯える自分を鼓舞するように笑って左側の扉を開ける。ぎいいと耳障りな音を立てて開いた先には、これまたゲームでも見たことがあるような木製の食卓と、食卓を照らす大きな燭台が置かれていた。左側の少し広いスペースには、昔懐かしのタイプライターと今は火が灯らない暖炉が寂しく佇んでいる。右側の壁には、机の横に絵画が立てかけられ、少し進むとまたこじんまりとした扉とそれを守るように置時計がこちこちと静寂の中で時を刻んでいた。
ここも二階から見下ろせるような造りだ。見上げると、ぐるりと部屋を囲むような回廊もあった。何でもいいが掃除が大変そうだ。
何とはなしに机に近付いてみると、黒い塊があった。
なんだこりゃ。
おまけに掃除人が置き忘れたのか、ファブリーズまで置いてある。仕事が丁寧なんだか雑なんだか。
うへぇと舌を出して嫌な顔をして見せると、どこからか間抜けな声が響き渡る。
「ぴんぽんぱんぽーん。ようこそ、バイ〇〇〇ー〇へ」
おい、言っちゃったよ。辛うじて言わなかったのに。
「記録はそこのタイプライターで行ってね。インクリボンが足らない場合は受付まで」
受付ってどこにあったんだよ。そもそもゲームしていない人はタイプライターも分からんだろ。
「この館には、あなたによく似た生き物が居るよ、探してみてね。あ、あとね。この屋敷のどこかにスタンプおいてきたから、それを集めたら良いことあるかも。制限時間は特にはないけど、死なないでね。それじゃあ、デュエル、スタンバイ!!」
声は一人分で、大人にしては声が高すぎるし幼いから、子どもだろうか。いろいろな要素が混じっていた気がするけど、もうツッコむのも面倒だ。とりあえずインクリボンと思しき物体と、ついでに掃除人に会ったら渡せるようにファブリーズを回収しておこう。
がしがしと乱暴に頭を搔く。これからどう行動したものか。ファブリーズを片手に頭の中を整理することにした。
「ベースはあのゲームなんだよなぁ……武器とか持ってないけど、大丈夫なのか」
とりあえずこれは面接だと思えばよい。そう。言うなれば、これは会社独自の試験方法だ。それなら、僕も一度はクリアしたことあるゲームの内容をリアルに体感するってだけで、楽しめば良い。「死なないで」という言葉が不穏だけど。
「まぁいいか。とりあえず進もう」
てっきり会社に着いたら即試験だと思っていたから、拍子抜けだ。しかも遊んだのは数年前とはいえ一度クリアしたことのあるゲームと同じだなんて、ラッキーだよなぁ。
「ここから出た先にゾンビが居るんだっけ」
数年前のことだから最早うろ覚えだが、これは覚えている。覚えてはいるが、大事なことを忘れているような。
きょろきょろと再現率の高い内装に目を配りつつ奥の扉へと進み、扉を開ける。ゲームだとこれを左に行けば良かったはず、と足を向ければ、案の定少し視界の悪い曲がり角の向こうで変な声が聞こえた。肉食動物が肉をがつがつと貪っているような音だ。ここまで高クオリティなんだから、ゾンビも特殊メイクを施したバイトくんなんだろうな。
「さーて、どんなかなぁ」
手遊びがてらファブリーズをシュシュっと辺りにかけて進む。それにしてもファブリーズを置き忘れるってどんだけうっかり屋さんなんだろ。そういや、ここって阿伽奇さん以外のメイドさんとか居るのかな。本当にあの人はよく分からん人だよなぁ。人であれば、の話だけど。
そんなこんなで得意の脳内会議をしていると、どこからか危険なサメのジョーズの現れる効果音が流れ始めた。雰囲気造りにしては、ちょっと陳腐かもしれない。ふふんと鼻で笑いながら先に進むと、姿を現したのは。
「ぎゃあぁあ?!」
リアルに人間の腸を啜る、白目の死人だった。口からはトマトソースのような鮮やかな赤ではなく、黒と言っても過言ではない赤く粘着質なものがでろりと垂れ下がり、魚の腹のように血の気が失せた顔には鬱血したのか黒い斑点のようなものがぽつぽつと斑模様を描いている。獲物を素手で仕留めたのか、ボロボロの衣服から見える両手は赤黒く染まっていた。この空間の照明といえばそいつの傍にある間接照明器具しかないから余計に影の暗さが際立っている。僕の悲鳴で存在に気が付いたのか、緩慢な動作でこちらへと顔だけを振り向かせてきた。低く、地の底を這うような音が、ぎちぎちと開いた口から漏れだしてくる。
「……あ゛?」
恐る恐る見ると、あの陰影のある顔に喜悦の笑みが広がっていた。その笑みに、全身が総毛立つ。
あまりの恐怖にそいつから目が離せない。やがてそいつはゆらりと立ち上がると、飲み屋で潰れた親父のような千鳥足で僕の方へと歩いてくる。一歩、二歩と距離は縮まっていき、腰が抜けた僕はずりずりと躰を後方へと逃がすことしか出来ない。
「あ……は、……!!」
そいつが足を踏み出すごとに、数日前に聞いた乍原の足音と同じ音が耳に入る。
ずしゃっ、ずるっ、べちゃっ。何とも汚らしい音だ。水気を含んだものが水面から上がってきたようで、ゆっくりと、確実に迫ってくる。すっかり竦み上がった僕の足は動こうともせず、全身の血の気が引いて、耳元でざーっと血が流れる音と、筋肉が動く音が聞こえてくる。爆発的に膨れ上がった恐怖は、ゲームをプレイしていたものとは段違いだ。
作り物にしては、妙に生々しい。特殊メイクも半分は本物ではなかろうか。そいつが吐く息はドブのような悪臭で、咥内は納豆のように糸が引いていた。
「……う゛、うぅ」
ついにそいつが盛大に転び、ずりずりと匍匐前進で僕の元へとやってくる。まるで墓から蘇った赤子のように。僕の横にある窓からは、嵐の如く大雨が窓を激しく打ち鳴らす。ばちん、ばちん。外から得体の知れないものが中へ入ろうと叩いているような音だった。
こちらへ、来る。異形が僕へと近づいてくる。その焼け爛れたような皮膚を床に這いつくばらせ、感情も知れぬ白い目で、僕をしっかりと捉えて。
あぁ。もう手を伸ばせば近付く距離にまでなってしまった。呼吸も忘れてそいつの一挙手一投足を見守る形になる。見たくはないが、見ない方が余計に恐ろしいということを、僕は経験から知っていた。
ぴちゃ、とそいつの指先が、僕の足に当たる。もう限界だ。撃退しなければ。
「なむさぁああんんん!!」
「ぎゃあぁあ、だから、ファブやめてえぇぇえ!!」
勇気を奮い起こしてファブリーズを二度ほどかける。すると相手は聞き馴染みのある悲鳴を上げた。
「……え」
ぱちぱちと瞬きをして、ファブリーズのトリガーを引く手を止めると、そいつはぐりんと上を向いていたであろう黒目を戻し、ごそごそとうつ伏せになった腰から何かを取り出す。
それは、「ドッキリ大成功」と書かれた古めかしい看板だった。
「オレオレ、オレだってぇ! ドッキリ大成功ー!!」
ぎゃははと笑う乍原。固まる僕。滲んだ視界は、どうしてくれる。僕を嘲笑うかのような大雨。
すべてのことが頭にきたから、もう一回。シュッと音を立てて乍原の顔面に吹きかける。
「ぎゃあ、眼が、眼があぁっ!!」
あぁ、もう。死ぬかと思った。
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