第一章──その時は突然に

6/25
前へ
/91ページ
次へ
 ──平成5年7月某日── 「えっ? 手術」  拓斗は椅子から立ち上がり聞き返した。椅子がひっくり返すような勢いだ。 「仕事の疲れで倒れたんじゃないの?」 「実は検査の結果、腫瘍が見つかったみたいなの。だけど心配しないで、悪性じゃないみたいだから」  キッチンで洗い物をしながら背を向けたまま清海は答えた。 「そうなの? 早期発見ってやつ?」  椅子に浅く座り天井を見上げた。清海は拓斗の方を振り返り笑顔を見せた。 「そう、だから何も考えなくていいから、手術が終わったらちょっとだけお父さんに顔見せなさいよ。でも今は受験が第一優先だから」  清海はかけてあるタオルで手を拭いた。 「分かった、とりあえず頑張るよ」  拓斗は残り少なくなったアイスコーヒーを飲み干した。カランとグラスの中の氷が鳴った。 「ごちそうさま」 「そこに置いておいていいからね……それから、暫くは母さん泊まりになるから、ちゃんと静流の言うこと聞くのよ」 「分かった」  拓斗は立ち上がり清海を見た。 「母さん無理するなよ」  空のグラスを置いたまま拓斗は自分の部屋に戻った。空のグラスから水滴がゆっくり流れる。清海はふっと溜め息をついた。 「後どのくらい……」  清海は呟きかけたが、はっとして時計を見た。 「もうこんな時間……」  忙しく動く。バックに必要なものを詰め込んだ。軽く身支度を済ませた後拓斗の部屋をノックした。 「じゃあ、後よろしくね」  清海は博之の元へ向かった。 「後悔しないようにしないとな」  拓斗は春に向けてペンを走らせた。
/91ページ

最初のコメントを投稿しよう!

49人が本棚に入れています
本棚に追加