ツイてないリーマンの俺、ろくでもないおっさんを拾う

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暖かさで、昨日よりは桜が満開に近づいていた。公園は天気がよくて土曜だからか、人が多い。俺は律儀にも10分前に指定されたベンチに着いていた。メインの桜並木からは離れているせいか、人出がある割には空いていて、そこに腰掛けて待つことにした。 あれからパジャマみたいな恰好で職場に戻る気にもならず、結局帰宅し、乾いたスマホが起動するのを祈った。ここのところの不運の分だけ幸運が貯まっていたのか、スマホは息を吹き返した。職場に早速かけると、当然どやされた。何年分だかわからないくらいに説教をされて、また月曜の出社が憂鬱だ。 視界の隅に、大荷物を持った男が自分のほうに近づいてくるのが見えた。おっさんだ。 「お待たせ」 人懐っこい笑顔をみせると、俺の隣に荷物をどさどさとおいた。 「クリーニングした服と新品の革靴! あと弁当ー」 は? 弁当? 「花見をしながら食べようよ、せっかくだしさ」 「何が悲しくておっさんとデートを…」 「お金がない僕なりの誠意だよ、受け取ってよ」 荷物を受け取ったら帰るつもりだったのに、バッグから出てきたのは重箱で、手際よくおっさんが蓋をあけて広げると、唐揚げのいいにおいが俺の食欲を刺激した。しかも卵焼きやらウインナーやら、俺の好きなものがいっぱい詰まっている。普段ろくでもないものしか食べてない自分には、まぶしすぎるラインナップだった。 「革靴高いよねー、何とかお金は工面したんだけどさ」 どう工面したのか、聞く気にもなれない。 「いやー、亮也くん眉間に皺が寄ってるね」 「おっさんのせいだよ」 「よかったら相談にのるよ?」 「離婚突きつけられてる奴に言われたくねーー」 呆れ声を出すと、おっさんは笑った。 「じゃあ、僕の話聞いてよ、食い終わるまでさ」 ピックに刺さった唐揚げを、俺の鼻先でくるくると回した。唐揚げをさっと指で掴んで拭き取ると、口に放り込んだ。 「やば、うま…」 俺の表情を満足げに見やると、おっさんは俺に割り箸を渡し、池の方に目を向けた。 おっさんにはバリキャリの奥さんと今年中学生の息子がいるらしい。子供が小さい頃はそれなりにそこそこ夫婦ではあったが、手がかからなくなってくるにつれ、それぞれが自分自身の世界に夢中になっていった。掛け違えたボタンを直すこともなく、お互いが持たないものがあったところに惹かれ合ったはずなのに、いつの間にかそれはただの違いになり、交わす言葉もなくなっていったという。 「どっちが悪いのか、って言ったら、もうわかんないんだけどさ」 「おっさんだろ」 「男女の仲なんて当事者同士じゃないとさあ」 「そりゃまあそうだけど」 「こう見えて僕モテるから、いろいろと誤解もあったりねー」 「池に沈めるぞ」 俺は大げさにため息をついてみせた。 「もうそんなんならさ、さっさと別れてあげたほうがお互いのためなんじゃね? とっとと書いちまえよ、離婚届」 「そういう単純なもんでもないんだよ、若い子にはわからない、ふかーーい事情がさ」 「若いっていったって、俺今年で30」 「僕、46だよ、充分若いじゃないー」 ひと回り以上も違うのが、少し意外だった。美容師という職業で身ぎれいにしてるせいだろうか。年の差の分だけ、確かに自分よりは苦労しているのかもしれない。 「ほら、養育費とか慰謝料とかさ、安定して払える気がしないんだよね、ツイてない時はさ」 一瞬でも同情したのが馬鹿だった。 「完全にクロって自覚あんじゃないすか」 「んー、まあまあまあまあ、それはさておきさ」 おっさんはさっきのピックを卵焼きに刺して頬張った。俺も卵焼きを連続でふたつ口に運んだ。 「亮也くんも、何か問題抱えてそう」 「よけーなお世話だよ」 「だってやけに絡むからさあ、最近ふられでもしたのかい?」 箸を止めた俺を見て、おっさんはにやにやと笑った。 「いやー、図星さされて動揺しちゃってー。年の功ってやつは罪だね?」 何も言い返せなくて悔しい。俺はミニハンバーグを 3つ口に入れて、話すことはないという意思表示をするくらいしかできなかった。 「きみくらいだと、仕事にかまけて放ったらかしにしてたとか、結婚のプレッシャーかけられて問題の先送りしてたらとか、そんなとこじゃない?」 「…経験者は語るってやつ?」 「何かだいじな約束忘れてたとかない?」 ーー約束? そんなものがあったかどうかすら記憶にない。とにかく仕事が忙しくて連日終電で帰宅してはそのまま寝て、また出社するという日々だった頃にふられたということは覚えている。ケンカだとか言い争いだとかそんなことにもならずに、もうやめよう、と言われて、俺もああ、と受け入れたのだった。 彼女との出会いは、先輩がセッティングした合コンで数合わせで行った居酒屋だった。隣の座敷で別の合コンに参加していたのが彼女だ。本当にただの数合わせ状態だった俺が帰り際、酔った友達を介抱している彼女がさらに酔っぱらいに絡まれていたところに遭遇し、俺はその酔っぱらいの腕を引っ張って2軒目に連れていったのだ。後日、会社帰りに先輩と飲みにいった先で偶然彼女と再会、お礼がてらご飯でも、なんてやってるうちに付き合うことになったのだった。 子供の頃好きだったアニメと、今好きなお笑い芸人が同じだったことで意気投合したんだっけ、とぼんやり思い出し、急に本当に彼女がいなくなったのだということが縁取られて色濃く影を落としていくのを感じた。 「LINEとかやってるう?」 おっさんの気の抜けた問いかけに、我に返る。 「何だよ、急に」 「そのふられた彼女と最後になる前に何を話したの? メッセージとか見たら思い出せるんじゃない」 俺はその言葉に、素直に従ってスマホを出した。隣に座るおっさんがずいっと重箱を越えて画面を覗き込む。反射的に画面を隠そうとしたが、目を細めるおっさんに気づく。 「老眼乙」 「あー! 言ったね?!」 おっさんは俺の手からひょいとスマホを取り上げた。慌てて俺は取り返そうとしたが、おっさんは生意気にもバスケの選手のような身のこなしでかわして、自分のスマホまで取り出して何やら操作した。 「じゃーん! これで僕と亮也くんは友達でーす!」 「あほか、ブロック一択だ」 ようやく俺はスマホをおっさんから取り上げることに成功した。油断も隙もない。 「まあ、よく考えてみなよ。本当に終わっているのかどうかをさ」 おっさんは既に終わってるけどな、と言おうとして、やめた。彼女のこと、彼女の気持ちを考えるのは久々だった。ふられる前から、随分長い間考えていなかったのだと、ようやく気がついた。俺もろくでもない大人だった。 俺は近くの桜の木を見上げた。ひとつひとつがはっきりと咲き誇り、重なりあったり、やわらかく揺れたりするのを、ただ見つめた。おっさんもいつの間にか、俺と同じように見ているようだった。
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