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1.一 朱鳥(いち あすか)
中古車専門店、カーラック七藤店のカウンターの中、来社予約された名前を見て、森 貴晴は少なからず驚いた。
一 朱鳥
珍しい名前だし、同姓同名ということはないだろう。
きっと彼女だ。
上京して以来、戻ってきていないと思っていた。共に旅立った、彼女の恋人、片野 裕同様に。
「森くん、どうした?」
声をかけてきたのは、上司の初田だ。汗っかきで年中タオルハンカチで額やら後ろ頭をごりごり拭いている彼の手には、今日もタオルハンカチがしっかりと握られている。
「今日の予約のお客様に同級生と同じ名前の方がいたもので驚いてしまって」
「へえ、一、さん。確かに珍しい名前だなあ。え、この人、森くんの好きな人だったりしたの」
なんてな、こんなことを訊くのはセクハラとかパワハラになるんだっけ、ごめんごめん、と早口に謝り、初田は汗を拭きふき、椅子に座る。貴晴は曖昧に笑って返答を避けつつ話題を変えた。
「今日から四月で気温も上がるようですし。エアコン、少し温度低めた方がいいですね」
言いながら立ち上がり、パソコンの画面を消す。
しかし、消してもまだ貴晴の目の奥には「一 朱鳥」の文字が焼き付いたままだ。
それも当然だと思う。
なぜなら、初田が言う通り、一 朱鳥は、貴晴がずっと忘れられないでいる人なのだから。
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