6.執着

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6.執着

 後部座席から長い腕が伸びていた。白いシャツに包まれたそれは、さながら二匹の白蛇のように、貴晴の肩にしっかと巻き付いていた。 『これは俺のもの』  ずくりと湿った声が後部座席から響く。感情があまり滲まないその話し方を、貴晴は知っていた。 「裕……?」 『正解』  ふふ、と声が笑い、肩に回された腕に力がこもる。その腕からは体温がまるで感じられなかった。 「待って、え、なんで……」 『俺さあ、殺されちゃったんだわ。ちょっと悪いバイトに手、出しちゃって、そのとばっちりで。正直、びびった。身体なくなったとたん、誰にも相手にされなくなっちゃってさあ』  だけど、と裕の声に温もりが含まれる。 『朱鳥には俺の姿が見えてさ。ふたりで話し合った。俺、まだ、夢諦めたくないしさ。じゃあどうする?って。で、いろいろ調べていて、面白い都市伝説を見つけた。ついた嘘が本当になるっていう四月一日の白雪姫の話』  そろそろと朱鳥の方に目を向けると、彼女はこちらを見てはおらず、後部座席に顔を向けていた。その彼女の視線の先を辿るようにバックミラーを確認するが、人らしきものは見えない。  にもかかわらず、貴晴の肩を背後から抱きしめて来る、二本の腕。 『死んだことをなしにするか? とも思ったけど、それは具合が悪くてさ。俺、ヤバいこと知っちゃって殺されてるから、俺が生きてるってバレるのはまずいのよ。で、考えたわけ。他の人間の体を俺のものってことにすればいいんじゃって。ナイスだろ? しかも……この店にはお前がいる。これってさ』  くくく、と声が背後で笑った。 『運命じゃん』 「晴くん。ごめんね」  日向にくっきりと刻まれた影のような声で朱鳥が詫びる。必死に首を動かして彼女を見つめると、彼女の顔は泣き笑いで歪んでいた。 「私、夢も恋も、諦めたくないの。だからね」  ぎりり、と手がこれでもかと締め上げられる。 「晴くんのこと、好きって嘘ついちゃった。これ、真実になれば、私、外見が晴くんでも、絶対、好きになれるから。だから、私たちのものってことにさせてね。身体」  私たちのもの。  私たち。 「そんなの……! 無理……っ」 『無理、じゃねえよ。さんざん俺たちのこと馬鹿にしておいて? 俺が気づいてないとでも思ったの。お前が俺たちのことを蔑んだ目でずっと見てたこと』 「それ、は……」 『あの目、見る度に絶対、目に物見せてやるって思ってた。俺……最後に受けたオーディション、最終に残ってたんだ。もう少し、もう少しだったんだよ。もう少しで見返せるところだったんだよ。それをこんなところで諦められるか。お前の目ん玉でリアルに俺の活躍、見てやる』  絶対に。  低い裕の声。そこにあるのは、悔恨と、悲哀。そして、憎悪。  なんで、死んだのが、自分なのか。  どうして。  貴晴。  なあ、貴晴。  俺は死んだのに。  ナンデオマエガ、イキテルンダヨ。  オレヲバカニシタオマエガ ナンデ。  狂おしいほどの生への渇望に頭の奥がじりり、と焼かれる。  自分はこれほどに生へ執着していただろうか。裕ほど、願っただろうか。  もしかしたら、自分が生きるよりも彼が生きた方がいいのではないのか。  もしかしたら。 「馬鹿なことを考えるのはおやめなさい」  突き放すような乱暴さで朱鳥の手が手から離れ、貴晴は我に返った。目の前に、眉を盛大に顰めた朱鳥の顔があった。
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