161人が本棚に入れています
本棚に追加
キー――と蝶つがいの甲高い音で目を覚ますと、スーツ姿の冬彦が口に手を当てた格好でドアを開けて私を見ていた。
「おかえりなさい」
息も絶え絶えに蚊が鳴くようなか細い声しか出ない。
「インフルだって?」
眉を寄せて言う冬彦は意外にも迷惑そうな声でそう言うと、続けて「うつすなよ」と言い放った。
一瞬何を言われたのか分からなかった。
わたしの心臓が大きく波打つ。
――どうしたんだろ?機嫌悪いのかな?
違和感を覚えながらグルグルと考えていると、冬彦は吐息交じりに「リビングで寝るわ」と、大股の早歩きで自分の布団をベッドから持ち上げ、布団に口元を埋めて、わたしから出ているであろうインフルエンザウィルスを吸い込まないようにしながら、そそくさと寝室を出て行った。
わたしはショックを受けたと同時にモヤモヤとした気持ちになっていた。
――普通、愛する人が病気になったら心配が先だよね?冬彦さんってこんな人だったっけ?
LANEでインフルだと伝えてから既読スルーだったのは忙しかったからだと思っていた――というよりそう思おうとしていた――。けれども今の言動で、もしかして迷惑だと思って怒っていたからかも知れないという推測が頭を過り、重ねてショックを受けていた。
結婚前、彼はとても優しかった。酔ったわたしのゲロを文句1つ言わずに片付けた上にゲロで汚れたわたしのマフラーとコートまで洗い、薬や水などを買ってきて朝まで看病してくれるような人だった。
今まで関わった男の人で、そこまで優しくしてくれた人は初めてで、そのとき遠い意識の中で、この人と結婚できる女性はきっと幸せだろうなと思っていた。そして、その人がずっと職場で片思いをしてきた冬彦だと知ったときは驚いたし、結婚を前提に付き合いたいと言われたときは運命を感じた。
なのにどうして――……
最初のコメントを投稿しよう!