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『その剣は、この世界で一番高いとされる岩山の天辺に凛とただ刺さっていた。
剣を抜いた者はほとんどいない。
姿を見た者ですら数少ない。
突如天変地異によって作られたこの剣はまさに神の所業とでも言うべき輝かしさと耐久性を誇っていた。
この世界の頂点に値するどんな猛者でも剣は壊れなかった。それはこの世界に唯一しか存在しない、ダイヤモンド製であるからだ。
唯一、その剣を振るい、悪の猛威から世界を救った男がいた。彼は世界中の人々から勇者と呼ばれていた。
勇者は世界の安寧を揺るがす脅威であった神を、その剣で壊した。
勇者は、来襲する津波を、迫りくる炎の海を、嵐を、その剣で切り、災いを壊してきた。
だが、勇者も人間。年齢には勝てなかった。
誰もがその剣の行方を見守った。
見守り、我先にと飛び出し、勇者に凶刃を振るい、街が壊れた。
そして、ついには、勇者は自身の魔性の剣を封印することを決心した。
場所は世界一高い岩山のその天辺。
神の光が永遠に降り注ぐ神聖な場所。
彼が出せる最大限の力を持って、剣をその場所に刺し、力尽きた勇者は剣を守るように逝った。
今、平穏が広がるこの世界で、人びとは文字通り高みに存在する剣を最強の証として手に入れるため、わずかな命をかけて挑む。
その果てしない挑戦に意味はあるのか、何がそこまで彼らを取りつかせるのか。』
俺は新聞を閉じた。
「最近はとくに、挑むやつらが増えたからか、また特集してやがる。ほんと、飽きねぇな。」
机上にある朝飯はとっくに胃に入ってそこにはなかった。
「何言ってんの、お兄ちゃん。お兄ちゃんもその一人でしょ、ほんと早くちゃんと働いてくんないかなぁ」
真向かいにいた妹が愚痴ってくる。
彼女は魔法省に勤めていて、日々病気の治療について研究している。
「うるせぇよ、母さんみてぇなこと言ってんじゃねぇ!魔法さえできりゃ、こんな苦労してねぇんだよ。ちっ。行ってくる。」
「また、魔法って。魔法なんか使えなくても働いてる人はいるのに。」
背中越しにそんなつぶやきが聞こえてきた。
俺はため息をつき、愛着のある剣を持って、家を飛び出した。
「あら、あんた、もう行くの?」
「母さん、」
珍しく母さんが井戸から水を汲んでいた。
細々としたその腕が彼女の病の辛さを物語っている。
「ちょっと、何してんだよ!母さんは、ゆっくり休んでないと!ほら、もう、布団戻って」
「今日は、大丈夫かなと思ったのよ。ゴホッゴホッ」
「ほら、咳込んでる!もう、はやく寝て。」
「ごめんなさい。」
時折見せる申し訳なさそうな顔が本当に辛い。
それを見たくなくて、俺はいつも岩山に登りに行くのだ。
「俺たちが金貯めて、はやく母さんを治すから、頼むからゆっくりしていてくれよ。」
「ごめんね。」
そう言って彼女は家の中に入った。
妹の「母さん、どこ行ってたの?」という声が聞こえてくる。彼女の余命にはまだ猶予があった。だから早いうちから、父は遠くの大都市へ働きに行き、妹は新しい治療法を探していた。
そんな中、俺は母さんのために何もすることができなかった。それは魔法がステータスであるこの世界で、俺は魔法が使えなかったからだ。その現実を俺は受け入れざるを得なかった。
「うわ、無能じゃん、お前、まだ岩山なんか目指してんのか?魔法も使えねぇのに、一人登ってんだろ、もうやめとけやめとけ」
久しぶりに顔を見た隣人が野次を飛ばしてきた。いつものことだ。持っていた剣を肩に担ぎ、隣人の前で軽く屈伸した俺は、岩山まで全力で走った。
「はやっ・・・いってぇ!」
風圧で彼は吹き飛び壁に叩きつけられていた。それを尻目に俺は少し笑みを浮かべた。
岩山を登り始める。
俺がたまに家に帰るのは、この山の頂上近くまで登ったところで、岩山を周回する龍に破れるからだ。だが、それも今まで。
「もうあの龍は死にかけだ。」
先は見えない。
ただ、地上から見た雲がそばにあるあたりまで来たら、剣の姿が見えるはずだ。
俺はそこまで一度行っている。もちろん、魔法を使って岩山の途中から登り始める者や岩壁のそばを上に飛んでいく者もいる。だがそういった者は大抵研鑽不足ですぐに落ちていく。
「俺は、獲るぞ」
決心を固めて俺は岩壁を掴んだ。
「着いた」
もう何日経ったかわからない。
ついに、頂上に到着した。
道中襲い掛かってきた龍は予想通り死にかけで、一太刀でその巨体は張り裂けた。
雲のない、天から降り注ぐ光が、頂上の真ん中に刺さった剣に降り注いでいる。そしてその透き通るダイヤモンドが、光を反射し地に降り注いでいた。
この場所には音も風も匂いもなかった。ただ光が泉のように溢れているだけ。その光景は神秘的で、厳かだった。
俺は剣に近寄った。その剣のそばにひとつの亡骸があった。喋るはずのない亡骸は、開くことのない口で俺に語りかけた。
「ここに辿り着きし者、剣を手に入れんとする者、その気と力を剣に示せ。」
亡骸はそれだけを告げて沈黙した。
俺は、肩に担いでいた剣を地面に置き、亡骸に手を合わせて、ダイヤモンドの剣の前に立った。
「夢にまで見たこと。ここまでどれだけかかったか。この世界で唯一何もない俺が、この世界で唯一壊れない剣を手に入れる。そして、それが作り出す未来を夢見てきた。いや、簡単に言おう。俺はこの剣を手に、母を助ける!母の病を壊すんだ!」
全身全霊を込めて、命をかけて、この剣を抜く。そう決意する。
俺の出した気で岩山が膨れ上がる。眼下に見える雲まで退き、岩壁から光が飛び出して他の挑戦者を海の向こうまで飛ばした。
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
雄叫びをあげる。剣の刺さった地面が盛り上がり、地が揺れる。
何時間経ったのか、あるいは数秒だったのかもしれない。長く感じた短い時間ずっと力を込め、ようやくその剣はするりと抜けた。
数百年そびえたってきた岩山は支えを失って、急速に崩れ出した。長い眠りについていた輝く剣を掲げた瞬間、神の光はその剣先に集まり、地上に誰しもが目を瞬くほどの光を浴びせた。俺は膝から崩れ落ちていた。
俺は家の前にいた。剣が抜かれたことは、地上に溢れた神の光が原因で一瞬で誰しもに知られた。
人びとは勇者の再来だと歓喜し、俺を持て囃した。全てを投げ捨て、剣だけを持って俺は家の前にいた。
家に入ると、遠い地で働いているはずの父が虚ろな目をして俺を見ていた。焦点は合っていないようだった。
「父さん?どうして父さんが?なんかあったのか?」
「お前は・・・はぁ、こんなときにも剣術ごっこか、私にはもう」
尋常じゃない事態が起きていることを俺は悟った。父の命の灯は消えかかっていた。目に光がなかった。
「何があったんだ、父さん!」
俺は父の肩を強くつかみ揺らした。骨が折れる音がする。力み過ぎたせいだ。だが、父は痛がる様子すら見せなかった。
「お前の妹が、死んだんだよ、医療の研究中だとさ」
絶句した。
最後に会った日の彼女の顔を、言動を、声を思い起こした。思いを馳せた俺の胸倉をか細い腕で掴み父は、弱い声で怒鳴った。
「どうして、どうして私から何もかもを奪うんだ、神なんかいるもんか、可愛い娘も愛する妻も、死に目にも会えない、どうして、」
頭を殴られたような衝撃が俺を襲った。
「母さんも・・・?」
「ああ、そうだよ、あいつも娘の死を知った瞬間、後を追っていった。そりゃそうだろな、今朝まで楽しく笑って喋っていた娘がもういねぇんだから、生きてるかわからない放蕩息子なんて待てやしない、もう私も」
「そんな」
じゃあ俺は何のためにこの剣を手にしたんだ。
何のために俺は必死で岩山を登っていたんだ。
何のために、俺は。
俺はまた、膝から崩れ落ちた。涙すら俺の目を潤さず、ただ透き通る刀身を濁した。
掴んでいた肩の感触が突然なくなった。父の姿は霞のように消えていた。
俺は困惑して、魔導カレンダーを見た。俺が家を最後に出た日から5年が経っていた。
寂れて埃の被った家の中で、俺は紐で吊るされた骸骨の亡骸をずっと抱きしめていた。
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