第十一話 裏切られて

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第十一話 裏切られて

 彼女と一緒に知り合いかもしれない亡者を探した。その合間に、先生は?と訊いてみたが、やはり先生はもうこの夢にしばらく来ない判断をしたとのこと。そうすることで自分の偽物が出現して、夢魔(むま)に悪用されることを避けるとのことだった。その代わり眠っている彼女のそばでサポートするらしかった。それがどういう意味で、どんな違いがあるのかは彼女もよくは分かっていないみたいだったが、ここは先生の判断を信用するしかない。  とにかく、その日は、前日の失敗を踏まえ、知り合いかもしれない亡者の救出方法を検討した。  いろいろ考えてみたが長くて熱に強くてお互いに握りやすいものがいいだろう、という観点から長い鎖を出現させることにして、ちょっと探すとすぐに見出した亡者に向かって一方の端を投げてやった。  相手はもそもそと動いて、片手を伸ばして鎖を掴み、更に手首に巻きつけた。これで強く引っ張っても離すことはないだろう、そう思い、力を込めて鎖を引いた。背後で彼女も一緒に鎖を引く。ずるずると亡者の身体が近づいてくる。少しずつ、少しずつ、業火から脱してくる。どろどろに溶けた体表が炎から脱して地面の上に現れた頃には、先んじて抜け出そうとする者がいることを察知して周囲の他の亡者が多数寄ってきた。そして抜け出そうとしている亡者にあやかろうとその身体にしがみつき、まとわりつく。すると知り合いかもしれない亡者が足や手で他の亡者たちを振り解こうとバタつく。そして何とか他の亡者のたちの手から逃れて、やがて道の上に達して横たわった。  すぐに身体が復元していく。焼けただれてケロイドになっていた体表に皮膚が生じて更にその上に(えり)を左前に合わせた白装束が生じて身を包んでいった。  やがてその男は立ち上がり、ゆっくりとこちらに視線を向けた。  それまでは顔も焼けただれていて、その相手が知り合いのような気がしていただけだったが、その勘が間違いではないことを今、察した。そしてしばらくせき込み、ぜえぜえと荒く息を吐いて呼吸を整えた眼前の亡者が口を開いた。 「お前、久しぶりだな。助かったよ。ほんとに」  その男の名は、豪谷(ごうや)。小学校の同級生で、生粋(きっすい)のいじめっ子。僕もこの男に関しては良い思い出なんてない。彼の頭の中には、人のためになることなんて誰もがしようとするし、したいと望んでいる。だったら自分が人のためになることをしても目立てない。それなら常に人の注目を集めるために、人のしない、人の嫌がることをしよう、なんて考えに支配されているのかと思うくらいに一般常識的にするべきではないと思われることしかしない、そんな男だった。そんな豪谷を助けてしまった。僕の中には人を助けたにも関わらず後悔の念が湧き出していた。  そんな思いがあるためか、僕はしばらく声も出せなかった。そしてそんな僕の感情を察してか彼女も身を隠すように僕の後ろで黙っていた。 「おい、何をしている。早くここを抜け出すぞ。見ての通りここは地獄だ。炎に捕まったらもう自力じゃ抜け出せない。永遠に身を焼かれ、永遠に痛み苦しむことになるぞ」  慌てた様子でそういうと豪谷は周囲を見渡して扉を見つけ出すとそちらに向かって駆け出していった。僕は彼女を連れて慎重にその後を追っていった。  道の両側の業火からは何千、何万という焼けただれた腕がこちらに向けられている。どの腕も助けを求めている。しかしそのすべてを助けるのは不可能でしかない。そんな時間もないし、そんな都合のよい方法もない。だから、すべてを助けられない現状、目を背けるしかない。  ただ目を背けても、その苦悶の叫び声は耳に入る。特に一つ、ギヤアアアという甲高い声が耳朶(じだ)に突き刺さってきた。思わずそちらに目を向けるとそこにも焼けただれた人の姿、ただすごく小柄だった。一目で子どもの身体だと分かる。そんな小さな子どもがなぜこんな場所にと思い、助けなくては、と一瞬思ったが、その思いに被さるように豪谷の声が聞こえてきた。 「おい、そんなやつほっとけ。早くしないと俺たちも巻き込まれてしまう」  ハッと僕は我に返って後ろ髪を引かれる思いを抱きつつも、その子どもを見捨てて、扉に向かった。彼女も少しためらいを見せたが、仕方なさげについてきた。  扉は草の一本も生えていない固い地面の上にあった。全体が鉄製で見るからに重そうだった。そして両側には大きな門番然とした屈強な人の姿をした炎、どう見ても軽々しく通してくれそうにない、威厳を有した炎が二体身動(みじろ)ぎ一つせずに立っていた。  さて、どうしたものか、と考え込んでいると、豪谷が提案してきた。 「おい、とにかく行ってみよう。どうにか説得してみよう。何か犠牲が必要なら俺がなる。だから心配するな」 「それじゃ、お前はどうなる?ここから逃げられなくなるんじゃないか」 「俺はお前に助けられた。永劫の苦痛から解放してもらった。それだけで充分だ。そのコのことが大切なんだろう。それならそのコのことを優先してやれ。俺のことは気にするな」 「しかし…」と言いつつ僕は豪谷に申し訳なさを感じていた。確かに昔、彼はろくでもなかった。どうあっても信用などできない存在だった。しかし今、目の前にいる彼は別人のようだった。身体だけではなく精神も成長したのだろう。いつまでも昔のままでいると思う方がおかしいのだ。 「大丈夫なの?」行動を開始する間際に彼女が心配そうに訊いた。僕は意識的に微笑みながら答える。 「大丈夫だよ。いろいろ試してみよう。何か手があるかもしれない」 「うん、分かった」と言いつつも彼女はどこか不安げだった。その顔を見ているとこちらまで不安に(さいな)まれていくが、このまま何もしない訳にもいかない。どうにか先に進まないといけない。こんな場所にいつまでも彼女をいさせる訳にいかない。 「おい、早くしろ」という豪谷の声に促され、僕たちは進行をはじめた。  彼女を少し後ろに配置して屈強な炎たちの眼前まで進んだ。その番人たちはしばらく動かずにその場に突っ立っていた。しかし更に近づくと、番人たちは手に持った自分たちの背の高さほどもある炎の長い警杖を差し出し、扉の前で交差させた。あからさまにここから先は通さぬと黙って示していた。  その威圧感のある容姿、大きな体躯、ブレそうにない意志を見せつけられてもなぜか恐れはなかった。ここまでいろいろ見せつけられてきたし、彼女が背後にいると思うと勇気が沸々と胸の中に湧いてきていたから。 「僕たちはその扉から外に出ないといけない。他の場所でも扉から入って、別の扉から出た。だから僕たちはその扉から外に出る。通してくれ」なるべくそこを通ることが当然といった雰囲気を醸し出せるように淡々と言ったつもりだった。しかし番人たちは微動だにしない。うんともすんとも言わない、と思って少し焦りを覚えていると唐突に声が聞こえてきた。 「別の世界から二人が入ってきた。この扉から出られるのは二人だけ。お前たちは三人、誰か出てはならない者がいる。その者を排除しない限り扉は開かれない。残らないといけないのは誰だ。お前か?」  番人の燃えたぎっている視線が豪谷に向いた。 「俺は違う」そう豪谷は答える。番人がその言葉が本当か確認するために僕と彼女に視線を向ける。しかし、本当のことを言う訳にもいかない。まだ親しくはないが、ここで見捨てるほどには薄情にはなれない。 「では、お前か」もう一人の番人が彼女に視線を向けて訊いた。彼女は少し驚いてとっさに首を横に振った。僕と豪谷に視線が向けられた。僕たちは当然のように、違うと言いながら首を横に振った。 「では、お前だな」と訊かれて首を横に振った。番人たちは本当か?という視線を彼女と豪谷に向けた。彼女は首を横に振った。豪谷は、 「残らなければいけないのは、この男です」と唐突に言い切った。 「な、何を……」と僕も彼女も驚いた。何か反論しなければと思うがとっさに声が出ない。その間に番人が重ねて訊いた。 「何を証拠にこの男が残らねばならないと言うのか」  豪谷は胸を張って、堂々と当然のように声を上げた。 「それは、この男の手を見れば一目瞭然です。私の身体も彼女の身体も燃えてはいない。ですがこの男の手は焼けただれている。それはこの男が罪人でその贖罪のため業火に焼かれていたからです」  確かに僕の手には火傷があった。それは豪谷を助けるために負った火傷。僕の傷はすぐには治らないようだった。それにしてもこの番人たちは目が悪いのだろうか?どう見ても白装束を着ている豪谷の方が罪人に見えるだろうし、この場に似つかわしいだろう。そんなことすぐに分かりそうなものだ、こんな手のやけどくらいで何を迷っているのだろう、くらいに考えていたので、そこまで心配はしていなかった。きっと、ちゃんと説明すれば、変な言い掛かりだと分かってもらえるだろうという気がしていた。しかし、僕はまだこの世界に夢魔の力が影響を及ぼしていることを理解できていなかった。僕の(はかな)い希望はすぐに打ち砕かれた。 「分かった。そなたとそこの女、扉に入れ」  番人の一人が豪谷と彼女に言った。するとさっさと豪谷は彼女の手を引いて扉に向かった。予想外の展開に僕は慌てた。 「ちょっと待ってくれ。僕は違う。僕は夢魔の所に行かないといけないし、彼女は僕と一緒にここまで来たんだ。僕だけ残るなんて冗談じゃない。何かの間違いだ。ちゃんと調べてくれ」そう言って進み出る僕を番人たちが炎の杖で妨害する。その間に豪谷が扉のノブに手をかけて開いた。 「ちょっと待って。私は行かない。彼が来ないなら私も残る」彼女は扉に入ることに抵抗したが、豪谷の手がそんな彼女の髪を鷲掴みにした。 「おい、何してる」僕は思わず叫んで進み出た。番人の炎の杖が身体を焼く、でもその痛みよりも彼女を傷つけられた衝撃が(まさ)っていた。何を差し置いても許せない。彼女は髪を引っ張られて叫び声を上げる。そして力づくで扉の中に押し込まれた。 「おい、助かったよ。このコのことは俺に任せておけ。じゃあな」そう言って扉の中に豪谷は消えた。閉じられた扉は一瞬にして炎に包まれた。すべてのものを焼き尽くし、溶かし、消し去る勢いで轟々と燃え盛る。同じく門番の姿も火力を増し、そしてすぐさま扉も門番も、その場にどんな生物も近寄れないほどの熱量を残して消え去った。残されたのは草のひとつも生えていない不毛な固い地面とその両側の、崖下に燃え盛る業火だけだった。
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