第十三話 乾いた世界

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第十三話 乾いた世界

 とても乾いた世界。  少し肌寒く感じられる風が緩急なく、ただ事務的にあちらからこちらに吹いてきて彼方へと過ぎていく。濃い灰色の雲に覆われてすべてがぼんやりと映る薄闇の中、虫の声さえ聞こえずにただ風の吹く無機質な音だけが周囲に囁きかける。  煌々と炎が燃え盛っていた先ほどの世界とは真逆な、視界の不明瞭な世界に戸惑った。こんな場所に今、彼女は一人でいるはず。早く探し出さないと、と焦燥感が募っていく。とはいえこの薄暗さの中では満足に道を歩くこともできない。どうにかしないと、と思うばかりの間に、急にぼうっと周囲が茶色がかった色合いの光で照らされた。  振り返ると小鬼の両手のひら、その上に小さな火がチロチロと燃えていた。 「さっきの門番たちを最後まで消さずに、種火として残しておいたのだ」  淡々と言う。少し手のひらを揺すると火力が緩やかに上がった。益々周囲を視認しやすくなった。 「ありがたい。助かるよ」  なかなか気が利くなと思いつつ、周囲を見渡した。しっかりと乾いた世界。うるおいの著しく欠けた世界。固い地面の上に枯れかけた雑草が点在している。舗装のされていない地面むき出しの道の先に数件の古びた木造平屋建築の集まった集落らしき一画が見える。遠目に見てどこか陰気な雰囲気が漂っている。とにかく彼女を探さないといけないので、ひとまずその集落に向かうことにした。 「早く彼女を探し出したい。どうしたらいいと思う?」  歩き出したところで小鬼に訊いてみた。 「ここは広い、しらみつぶしに歩いて探していたらきりがない。ここは周囲の人に訊いてみよう」 「そうだな」  誰か人がいればいいのだが、と思いつつ集落に近づいた。風音以外に何も聞こえない。シンと静まり返って息吹の欠片さえ見出せそうにない。ただ、古びた簡素な木造建築は、みすぼらしくは見えたが、まるっきりの廃墟然とはしておらず、人々の生活のにおいをまだしっかりとまとっていた。   誰もいない。仕方がないので、家々の扉を叩いてみた。どの家も返答がない。次々と家を変えていく。そして何件目かの玄関の前に立とうとした時、すぐ足元にやせ細ったひとの姿。少し気づくのが遅れて足先で蹴りかけた。とっさに出しかけた足を引きながらその相手をよく見てみた。  縮れた長い髪は絡まりあって固り、汚れて悪臭が漂ってくる粗末な貫頭衣から出た足や腕は、やせ細ってまさに骨と皮だけで構成されているように見える。肌はカサカサに乾燥してうるおいはなく、滑らかさとは真逆の質感。それにこれだけ近寄っているにも関わらずまったく動く気配はないし、そもそもこちらの存在を認識しているようでもない。これはすでに事切れているのでは、と思っていると小鬼が呟いた。 「これは餓鬼だな」 「餓鬼?それって、食べ物はあるけど食べることができずに四六時中お腹を空かせているっていう?」 「ああ、現世で金や物を他人に分け与えることをせずにひとり占めするような度を越したケチな奴が死んで送られる餓鬼道にいる奴らだ。しかしこいつらけっして空腹から解放はされないけれど、それなりに元気なはずだし、そいつみたいに瀕死の状態になるはずはないんだがな」 「瀕死?この人は生きているのか?」 「ああ、こいつらは死なない。死なずに永遠に贖罪が済むまで苦しみ続けるのだ。ん?あっ、ちょっと後ろに下がれ」  言われたままに後方に下がった。入れ違いに小鬼が横たわった人の傍らに歩み寄った。 「やっぱり、こいつ疫病に(かか)ってやがる。伝染(うつ)るとめんどうだ。下がってろ」  そう言われてまた一歩後退った。病原菌は目に見えないために余計に恐ろしさがある。すでに自分が侵されているのかどうかも分からない。現状、せめて近づかない、遠ざかることしかできない。 「この人がどれだけ悪いことをしたのか知らないけど、飢餓に加えて病気になるって、ちょっと苦しすぎるな」 「おかしいな。通常、この世界に病はない。ただ、純粋に空腹で苦しむばかりの世界のはずだ。何かが狂っているみたいだ」小鬼は(いぶか)し気な表情で横たわる餓鬼を見つめていた。 「やっぱり夢魔(むま)の仕業なのだろうな」  小鬼は更に訝し気な表情をこちらに向けてきた。 「夢魔?それは何だ?」 「俺に悪夢を見せる存在であり、その悪夢によって生じる俺の苦しみを糧にしている存在だ」  小鬼は引き続き訝し気な顔をしていた。しかしここが夢の中だと説明するのは難しい気がしたので、 「そいつのいる所を目指して旅をしている。君も僕と一緒に旅をしていたら、そのうち分かるよ」とだけ言った。  小鬼は納得してなさそうな顔つきだったが、僕としては早く彼女を探し出したいので、次の行動へと彼を促した。小鬼は横たわっている餓鬼の横にうずくまって話しかけた。 「どうした?何があった?言ってみろ」  すると餓鬼が少し動いたかと思うと、しわがれた声で返答した。 「風上から疫病の風が流れてきて、ここの住民はみんな罹患した。空腹に加えて身体が言うことを聞かなくて動けない。こんなことなら死んだ方がまだましだ」  ぽつりぽつりとそこまで言う。今度は直接質問してみた。 「ここに若い女性は来なかっただろうか。白いTシャツとジャージ姿の」  少し間が空いて話すのもつらそうに餓鬼が応える。 「ああ、来たよ。何か探しているようで、風上に向かって歩いていった。まだそんなに離れていないはずだ」  ありがとう、そう言って小鬼を促してその場を離れた。この地に来てからずっと乾いた風が一方向に向けて吹いている。だから風上の方向も変わっていないはず。急いでそちらに向かっていかなければいけない、と自然と足が急かされる。  道すがら所々にテーブルが置かれ、そのいずれにも海川山野の食材を使用し、料理人の腕を駆使した見るからに食欲をそそる幾種類もの料理が山盛りに配されていた。  この乾いたうるおいのない世界で、その料理の山だけが、ふんだんすぎる彩りを有し、特にそこまで意識しなくてもそのにおいを嗅いだだけで空腹を感じてしまいそうな湯気を立たせていた。 「餓鬼たちはこんなに料理があるのに、なぜ空腹なままなんだろう」 「あそこにある料理は専用の取り箸でしか取ることができない。亡者が手で取ったり、他の箸や食器で取ろうとしたら火になって燃えてしまう。そしてその取り箸は異常に長い。自分で自分に食べさせることができないくらいに」 「ふ~ん。でもそれってお互いに食べさせ合うことができれば解決できそうだね」 「まあ、そうなんだが、欲にまみれた人間って奴はそんなことも分からなくなるのさ。もしくは分かっていても人を信用できない、もしくはしたくないから、しないのさ。それが分かれば、いや悟れればここから解放されるのだがな。それから亡者以外の例えば我らのような者が触れた食べ物は火にならずに亡者でも食べることができる。だからそなたが食べ物を持っているとあいつらに襲われるから決してここの料理には手を出さないようにしろよ」  それぞれのテーブルの下には餓鬼が横たわっている。病に侵されても自分のものは手放したくないと言わんばかりにテーブルの脚にしがみついている。どことなく哀れに見える。とはいえそんなことにかまっている暇もない。さっさと彼女を見つけてこんな所から脱しないと、そう思いつつ歩いていく。足早に進んでいると呼吸が荒くなってきた。乾いた風が吹きつけているせいか次第に喉が渇いてくる。何度も唾を吞み込むが、徐々に喉の奥からヒリヒリと痛みが伝わってくる。やがて唾を吞み込むのも痛みを伴うようになってきた。  まずいな、と思う。僕が体調を崩す場合はいつも呼吸器から、特に喉の不調からはじまる。熱が出ていなくても、食欲があっても、気怠さや関節の痛みなどなくても喉の痛みや不快感があればじき、他の症状も現れてくる。そして今、言いようもなく喉が痛み、違和感が増している。  なるべく呼吸を整える。深く息を吸い、細くなるべく長く吐く。大丈夫、こんなにすぐに症状が出るはずがない。まだ大丈夫なはず。そう自分に言い聞かせながら歩みを止めずに彼女を探し続ける。 「おい、そなた大丈夫か?足元がふらついているぞ。酔っ払いみたいだ」  気づかぬうちに頭がぼんやりとしていた。意識がなかなか集中できない。視界も鮮明な像を結べなくなってきた。もしかしたら熱があるかも、それもけっこうな高熱が。
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