第四話 導きの人

1/1
前へ
/22ページ
次へ

第四話 導きの人

 次の夜、彼女は夢に出てこなかった。その次の夜も、また次の夜も。  夢の中に入ると僕は彼女のことを思い出した。だから探した。きっとどこかにいると信じて探し続けた。  もう僕は繁華街にはいなかった。住んでいる住宅街や、昨年、指を骨折した時に通った整形外科医院や、たまに行くショッピングモールにいた。  周囲にはいまだ(もや)人間たちが(うごめ)いている。少し以前よりも色が出て、大きさだったり顔形だったりの違いがおぼろげながら表れてきた。それでもまだ人間にはほど遠い。僕は警戒しつつ、彼女のいた繁華街に向かおうとする。しかし歩いて行ける距離でもなく、バスや電車に乗れば、確かに繁華街行きのはずだったのに、途中まで車窓から見える景色も街のそれだったのに、いつの間にか反対方向行きに乗っていて周囲が山並みに囲まれていたりする。  公共交通機関が無理ならと、自転車に乗って向かう。するとパンクする。修理すればタイヤがどっかに飛んでいって、僕は投げ出されてアスファルトの上に叩きつけられる。  そのまま仰向けに横たわって曇った空を見つめる。疲労と喪失感でもう動けなかった。もう二度と彼女に会えない気がした。彼女とは夢でしか会えない。現実では会えないし、そもそもその存在を覚えてすらいない。夢の中で会えないのならもう……、そう思えば思うほど会いたくて、会いたくてしょうがない。でも、どうすれば望みが叶うのか分からない。もう、まったく気力が湧かずに何もできない。そんな僕の視界をぬっと影が遮った。 「あなた、この夢の創造主ね。人の少ない夢だから見つけやすくて助かったわ」  灰色の空の中、黒い丸に長い黒髪が生えているような影。 「誰?」と僕は起き上がった。この夢の中で彼女以外に僕に話し掛けるような存在はいなかった。突然のことに驚いて、見開いた目で相手を注視する。比較的背が低く、くすんだような濃緑のフードつきケープロングマントを羽織ったぽっちゃりとした丸い輪郭の女性。白い肌の中から鋭い眼光をじっとこちらに向けつつ、意志の強さが表れたようにぐっと結ばれた口を、やや緩めながら開いて言った。 「あたしは占い師であり、預言者であり、超常現象研究家。残念ながら今後のことを考えて名前を明かすことは控えるけれど、あたしはあなたを、あなたの夢を導くためにやってきた。あたしは仕事上では先生と呼ばれることが多い。だからあなたも先生と呼んでくれてかまわない」  なんか自分の夢ながら変な人が現れた、と思った。夢らしい設定といえばそれまでだけど。 「あなた今、あたしのことを自分の夢が生み出した変な人って思ったでしょう」 「え、いや、そんなことは…」 「気を遣わなくてもけっこう。占い師をしていると胡散臭(うさんくさ)いなんて思われることの方が多いから慣れてる。でもあたしはそこら辺の占い師とは違う。恐らくこの国で一番未来を予知する能力に()けている。ほぼ間違えることがない。だから信用してくれてかまわない」  それは本当ならすごいことだ、本当なら。 「信用してないようね。まあ、いいわ。でも、あなたの夢にここ最近、一人の可愛らしい女のコが出てきているでしょう。あのコは、あたしの預言をもとにして、ここに来ているのよ」  きっとこの人は間違いなく彼女のことを言っている。彼女の知り合いなのだろうか、自分の親ほどではないだろうが、けっこう年上に見える。彼女とはどういう関係なのだろう。 「あのコはあたしの自慢の姪っ子よ」 「じゃ、彼女は今、どこに?」居場所さえ分かればすぐにでも会いに行きたい、思いが溢れて前傾姿勢になりながら訊いた。 「現実世界で静養している」 「静養?体調が優れないんですか?」  眼前の女性の目が一瞬鋭さを増した。 「あのコ、あなたの夢の中でけっこう、怖い目にあっていたでしょう。身体を傷つけられるようなことや、命に関わることも」  僕は肯定の意味を含めて沈黙を保った。 「ひとの夢に入り込んでそこで傷ついたり、最悪死んだとしても、それはこの夢での出来事。現実世界では無傷だし、もちろん死ぬこともない。ただ、肉体的には無傷でも、精神には影響があるの。あんまり強く恐怖や苦痛を感じてしまうと魂が疲弊するし、程度によっては消えない傷が生じる。あのコはあなたのことを助けたくて、毎晩のようにここに来たがった。でもこれ以上は危険だからあたしが止めたの。あのコがおとなしく静養することの条件としてあたしはここに来ている。あなたを守り、あなたを夢見として正しく導くために」 「彼女は大丈夫なんですか?もう、ここには来れないんですか?それから夢見ってなんですか?」 「あのね、あんまり一気に質問しないでくれる。あたしも眠っている状態だからあんまり脳の処理能力が万全ではないのよ。まあ、そうね、答えてあげる。あのコは大丈夫。ただ、ちょっと鬱になって、かなり臆病になっている。かなり怖い目に遭ったみたいね。しょうがないわ。それからここに来るためにはもう少し静養が必要。それにあなたがもっとしっかりしないともう二度と来させることはできないわよ」 「しっかりってどうすればいいんですか?どんなに気をつけたって毎回襲撃される」 「夢魔(むま)が襲撃するのは当たり前でしょ。それが彼らの食事なんだから。あいつらが夢の中であなたが感じる恐怖、苦痛、困惑を糧にしているってことは聞いた?たぶんあのコが来て仲間ができてあなたはかなり精神的に助けられたんじゃない?」 「ええ、それはすごく」 「だから夢魔はあなたの恐怖を増進させるために攻撃を加速させた。それであのコは傷ついてしまった。これからあのコがこの夢に復帰しても攻撃が加速されるだけ。もっとつらく痛い、おぞましく苦しい攻撃があなたたちを襲う。だからあなたは抵抗しないといけない。じゃないとあのコを守れない。また傷つけられてしまう」 「抵抗するって、どうやって?」  先生はちらりと僕の背後に視線をやった。 「ちょうど襲撃がはじまるようだから、実践してみるわ」  僕が背後を振り返ると少し離れた所に三匹の大型犬が牙をむいて唸っていた。どの犬も毛が黒く、スリムな体形で耳は空に向かって尖っている。見るからに猟犬といった様だった。その犬たちが敵意むき出しで上体を屈めてすぐにでも襲い掛かれるように身構えている。 「よく見てなさい。そんなに難しくはないわよ。コツは慌てないこと。自分はできると信じること、それだけ」  そう言う先生の右手にはいつの間にか長いムチが握られていた。そして猟犬たちが走り出す間際、握った柄を頭上高く振り上げ、体の前面に振り下ろすとそのムチ打つ先端が真ん中を走っていた猟犬の頭を弾いた。そのとたん、その猟犬の身体がパッと薄墨を地面に落としたかのように散り、すぐに消えた。  両側にいた猟犬たちは少し横に広がったかと思うとそのまま先生の方へと駆け寄る。先生は軽く右手を引くとまた前面に手首を効かせて繰り出し、右側の猟犬を同じように霧散させた。ただその間にも、左を駆けてくる猟犬が迫る。そして口を大きく開いて先生の首筋目掛けて飛びついた。  距離が近すぎてムチは使えない。これはまずい、やられる、と思った。しかし、次の瞬間、先生に飛びついた猟犬はパッと霧散した。その空間の後には、先生の伸ばした左手といつの間に取り出したのか刃の長い包丁が握られていた。 「武器を持っていると固く信じるの。そうしたらいつの間にかそれを持っている。ただし、これまで手にしたことのある武器じゃないとだめ。自分自身使い方を知らないと夢は(あざむ)けない。だからこれまでの人生で持ったことのある、使った覚えのある武器を手にしてみて。まずはそこから」  そう言われて、そういうことなら先生はいったいどういうシチュエーションでムチなんて使う機会に恵まれたのか気になりつつも、少しの間、今まで持ったことのある武器を思い浮かべてみた。  先生が使ったような包丁なら持ったこともあるし、料理で使ったこともある。しかし、それはあくまで調理器具としてだ。いくら武器と言ってもいきなり殺傷能力のあるものを使用するのは気が引けた。そこで昔なぜか家にあった木刀を思い出した。それなら何回か手にして振ったこともある。もちろん誰かに使用したことなんてないけれど、形状も威力も把握できている。  集中して自分の手に木刀が握られていると念じてみた。これは自分の夢なのだ。自分次第でどうにでもなる世界のはずだ。自分が持っていると思えば持つことだってできるはず。  ふと気づくとそこいらで散歩していた飼い犬たちが獰猛な目をこちらに向けて牙をむいて全速力で駆け寄ってきていた。すぐにでも攻撃可能域内に達して飛び掛かってきそうな勢い。その時、片手に重さを感じた。感触で分かった。右手に木刀を握っている。 「相手は幻想。あなたが作り出して、夢魔によって操られている存在でしかない。ためらう必要はないし、遠慮はもっと不要。あなたとあのコを苦しめる存在でしかない。確実に退治しなさい」  言い終わるよりも早く長毛の大型犬が飛び掛かってきた。即座に木刀を振りかぶって振り下ろす。その大型犬は叫び声も上げずに霧散した。  周囲で先生の振るムチの音が鳴り、何匹かの犬が消えた。その間に僕ももう一匹倒した。犬たちは大きさや色合いなんかは判別できるけど、基本的にぼやけていてあまり犬種も特定できない程度だったから、あまり抵抗なく倒すことができた。ただリアルな姿だったとしても襲い掛かられている現状、倒すしかなかっただろうけど。 「これから攻撃は更に増す。だけど必死になって抵抗してみなさい。夢魔があなたから糧を得られず諦めて逃げ出すまで。そうすればあなたの人生が変わる。だから諦めないで、抵抗しなさい。私も時間がある時はまたやってくるし、あのコも回復したらまた止めても来るだろうから、楽しみにしていなさい」  僕は黙ったままだったが、しっかりと頷いた。抵抗しなければ彼女に会えないのなら、そうするだけ。言うまでもなくしっかりと確信した。  僕は彼女に会いたい。心の底からそう望み、そう願う。
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加