ニャーと鳴くドラゴン

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「この子のことは、誰にも言わないでね」  小学校の帰り道。猫を拾ったというクラスメイトの奏ちゃんに案内されるまま、自分たちよりも背の高い雑草をかき分けてたどり着いた橋の下。奏ちゃんは段ボールの入ったそれを優しくなでて、そう言った。 「この子、名前はタマね。ちょっと前にここで見つけたの。でも、うちのマンションはペット禁止だから。……あ! 智也くんのおうちってペット大丈夫?」 「いや……」 「もしかして猫アレルギーだったりする?」 「いや、アレルギーじゃないけど」 「けど? どうしたの?」  うちの家族にアレルギー持ちはいないし、ぼくは猫が大好きだ。猫が飼えるならこんなにうれしいことはない。そう。猫なら。  ぼくはなにか聞いちゃいけないことを聞くような感じがしながらも、違和感を我慢することができなかった。 「っていうかそれ、……猫なの?」 「え?」  ぼくはじっくりと奏ちゃんの後ろにいるそれを観察する。 「猫のしっぽってそんなとかげのしっぽみたいに鋭いっけ?」 「かっこいいよねぇ」 「そいつの背中、ちっちゃい翼みたいなの生えてない?」 「かわいいよねぇ」 「よく見たら頭に角生えてんじゃん! やっぱりそいつ猫じゃないって!」  鋭いしっぽ。翼。頭に角。  要素としてはゲームなどでよく見るドラゴンに近い。  いや、ドラゴンかと言われれば全然違う気がしてくる。  ぼくが知るドラゴンはビルよりも大きく、凶暴で、恐ろしい生き物だ。  っていうか、そもそもドラゴンは空想上に存在で、現実にはいない、はずだ。  じゃあ一体、ぼくの目の前にいるこいつはなんなんだ??  頭を抱えるぼくを置いて、奏ちゃんはそれに手を伸ばす。 「でもほら、おいでタマ」  それは自分の名前がタマであることをわかっている様子で、もふもふの身体を丸めて気だるそうに返事をした。 「ニャー」  返事を聞いて、奏ちゃんは満足そうに笑った。 「ほら? 猫じゃん」 「えぇ……」  すると、奏ちゃんはぼくの前に立ち、強引に自分の小指でぼくの小指をにぎった。 「このことは、二人だけの秘密ね」  それから10年の月日が流れた。  俺は土手を滑り降り、雑草を踏み鳴らしながら橋の下へ向かう。 「タマ」  俺が名前を呼ぶと、草陰からのっそりとタマがでてきた。 「ニャー」 「お前は変わらないな」  俺はタマのあごを指でかくと、タマは気持ちよさそうに目を細める。 タマはあのころから身体の大きさがほとんど変わっていない。もちろん背中に生えた小さな翼も、頭についたこぶのような角も健在だ。  するといきなり、タマは前のめりにうつむき、嘔吐きはじめた。 「うぷ……、うぷ……」 「やばっ!」  俺は急いでリュックを漁る。しかしタマはそんな俺にお構いなしだ。 「げぽっ」  猫もこんな風に、たまに嘔吐いて毛玉を吐く。  だけどタマが吐くのは毛玉ではなく、火の玉だ。 「あーあ」  俺はリュックからペットボトルを取り出し、燃える地面に水を振りかける。すると、火はたちまち消え、白い煙があがった。初めて火を吐かれた時は奏と一緒に驚いたものだが、今ではすっかり慣れてしまった。  地面の焦げを靴で消しながら、俺はタマを疑いの目で見下ろす。 「お前、やっぱり猫じゃないだろ」  タマはやっぱりニャー、と鳴くだけだ。 「あ」  そこへ奏がやってきた。俺はなんとなく、顔をそらす。 「久しぶり」 「……学校でいつも会ってるだろ」 「会うだけで話してないじゃん。智也、私の顔見たらすぐどっか行くし」 「そっちが女子で固まってるからだろ」 「みんなと話せばいいじゃん。ほかの男子はみんなといても話しかけてくるよ」 「あっそ」  俺はなんだか面白くなくて、わざと不機嫌な態度をとってみたが、奏は俺を素通りしてタマの前でしゃがむ。奏に撫でられるタマは気持ちよさそうに耳をおりたたむ。 「タマは変わらないなぁ」  愛おしそうに呟く奏の背中に、俺は初めてタマと出会った時のことを思い出す。  あの頃から、俺たちは変わった。  俺の身長は30センチ以上伸びたし、視力はかなり落ち、コンタクトを使うようになった。  奏は、うん。きれいになった。と認めざるを得ない。それに友だちも多い。人気者ってやつだ。だから、学校では話しかけない。っていうか話せない。だってなんか不釣り合いって思われるのも嫌だし。  だけど、ここにくれば俺たちはあの頃に戻れる。  あの頃と変わらない、二人とタマですごしていた日々に。  そう。見た目が変わらない、タマのように。 「ニャー」  ある日の昼休み。弁当を食べながらスマホを見ていると、原田が椅子を引きずりながらやってきた。 「智也さ、三橋さんと幼馴染ってほんと??」 原田は購買で買った菓子パンをがぶりとかじる。三橋とは奏のことだ。三橋奏。奏とは小学二年生からの付き合いで、中学も同じ、そして高校まで同じだから確かに俺たちの関係は幼馴染と呼べるだろう。 「そうだけど」 「三橋さんってどんな人がタイプか知ってる?」 「は?」  俺は箸でつまんだ卵焼きを落とした。タイプって。 「え、奏のこと好きなの?」 「呼び捨てとは、さっそく幼馴染マウントか??」 「ちげえよ」  原田はケラケラと笑うと、今度はほほを赤くして恥ずかしそうにこめかみをかく。原田は裏表がない、まっすぐなやつだ。たまに、なんで俺なんかと友だちなんだろうって思うことがあるくらいに。 「好きっていうか、まぁ、気になる感じ?」 「へー」 「へーじゃねえよ。てか歴代の彼氏はどんな人だったの? 今はフリーなんでしょ?」 「今っていうか、あいつ彼氏いたことないよ」 「まじ? なんで?」 「知らねえよ」  俺は最後に残しておいたプチトマトを口へ放り、弁当に蓋をして手を合わせる。するとじーっと俺を見つめる原田と目があった。 「なに?」 「それ、智也が知らないだけじゃね?」 「いや……」  とっさに否定の言葉が出てきたが、奏に彼氏がいた可能性を否定する根拠も、証拠も、俺はなにも持っていなかった。 「俺聞いてくる!」  原田はパンの梱包紙と空になったパックをレジ袋に詰め込み、教室後ろのゴミ箱にダンクシュートして、いきおいそのまま教室を出ていった。  原田のああいうところを見ると、やっぱりなんで俺なんかと友だちなんだろうって思う。  でも、自分とすごく似ているやつか、まったくの正反対のやつが友だちとして相性がいいって説をどこかで聞いたことがある。  その説が正しいのであれば俺たちはきっと後者のほうだ。  だって俺は女子の集団に話しかけるなんて絶対にできないから。  放課後。橋の下へ行くと奏がタマを撫でているところだった。  俺はなにも言わずに奏のとなりにしゃがむ。となりとっても、1メートル以上離れているけど。  俺たちの間に流れる気まずい沈黙も無視してタマは「ニャー」と鳴く。 「お前は鼻がいいな」  俺はコンビニで買った焼き鳥を取り出す。包んであった袋を皿代わりにして、具を串から外していると奏が口を開いた。 「ねぇ、原田くんって知ってる?」 「うん」 「どんな人?」 「なんで?」 「なんか、連絡先交換してって言われて」 「ふーん」  初めて知った風を装っているが、連絡先を交換したことは原田から聞いていた。  俺はざわざわと騒ぐ心を無視して答える。 「面白いやつだよ」 「うん」 「かっこいいし、背高いし」 「それ見た目じゃん」 「見た目も大事だろ」 「ニャー」  はやくしろ、とタマが俺の前に来て鳴く。俺は全部の具を外し終えると、タマの前に差し出し少し離れた。するとタマは火を吹き、ゴロゴロと並ぶ焼き鳥を少しだけ炙る。  タレの甘辛い匂いがあたりにただよわせながら熱々になった焼き鳥をタマははふはふと食べる。こういうところも猫っぽくない。 「なぁ、奏って猫舌?」 「今度デートしよって言われた」 「えっ」  その瞬間、頭が真っ白になった。デートなんて聞いてない。原田のやつ、どんだけ行動力に満ち溢れてるんだ。でも現実問題、そういうやつの方がモテる。  行動力があって、男らしくて。俺なんかじゃ、どうやったって敵わないんだ。 「そうなんだ」 「なにそれ、リアクション薄すぎ」 「よかったじゃん。楽しんでおいで」 「そうじゃない」 「文句多いな」  タマのむしゃむしゃと焼き鳥を食べる音だけが静かに響く。 「私に興味ないわけ?」 「……別に」 「あっそ」 「ニャー」  気がつけばタマは焼き鳥をすべて食べていた。奏は立ち上がり、俺のすぐ隣にしゃがむとタマの頭をゆっくりと撫でた。 「もうないよ」  こんなに近くにいるのに、俺は奏の顔を見ることができなかった。  それから一週間が経った。  あの日から俺は奏と口をきいていない。と言っても俺が避けているだけだ。学校ですれ違っても無視して、素早くその場から離れた。土手でも奏の姿が見えたら引き返した。  それから少しして「なにをしているんだろう」と我に返った。  なにを意地になっているんだ俺は。  別に奏が原田と付き合おうと、俺には関係ない。原田はこれまで通り俺の友だちだし、奏は俺の幼馴染。その事実は変わらないだろ。  だから、今まで通りにすればいい。  そう思いながら奏とすれ違っても、俺は声をかけることができなかった。  明日になったら話をしよう。  明日になったら声をかけよう。  明日になったら。週が明けたら。テスト期間が終わったら。  そんな風に先延ばしにしているうちにいつのまにか一か月も過ぎていた。 「全部平均よりちょっと下なの、微妙に笑えないよな」  赤点とか0点のほうがまだ笑える、と謎の持論を語る原田は自身の微妙に笑えない答案用紙をカバンへ突っ込む。 「テストも終わったし週末どっか遊び行かない?」 「いいけど」 「けど?」  俺は言葉に詰まる。原田と話しているとどうしても一か月前も出来事を思い出してしまう。  俺はまるで今思いついたかのように、何気ない感じで切り出す。 「あ、そういえば奏とデートに行ったの?」 「うん。ちょっと前だけど」 「どうだった?」 「楽しかったよ」 「そっか」  俺の中で秤がぐらぐらと揺れる。  知りたい気持ちと知りたくない気持ち。  でも、どうしても我慢できなかった。 「で、いつ告白すんの?」 「しないよ」 「……え」  予想外の答えに反応が遅れてしまった。なんならすでに付き合っている、ぐらいまで覚悟していたのに。 「なんで?」  すると原田は苦笑いを浮かべ、首を横に振った。 「いや俺、遠距離恋愛は無理だよ」 「遠距離?」 「え、お前知らないの?」  原田の言葉を聞いて、俺は教室を飛び出した。  なんだよ、……なんだよそれ!?  階段を駆け上がり、奏のクラスへ向かう途中、廊下でいつも奏と一緒にいる女子たちを見つけた。しかしそこに奏の姿はない。それでも俺は彼女たちの前に立つ。 「あの、かな……、三橋は?」 「三橋? あ、奏? 奏なら三日前に行っちゃったよ」  それからの記憶はなく、気がつけば家のベッドに倒れていた。  俺はスマホで奏へ電話をかける。しかし、つながらない。何度も試したがつながらないと分かるたびに、本当に奏はもうこの町にいないことを痛感した。 「あ、タマのご飯」  俺はじっとしていられなくてコンビニで焼き鳥を買って土手へと向かった。  沈みかけの夕日を背に、通いなれたひび割れたアスファルトの上を歩く。橋が見え、土手を滑り降りているその時、ポケットの中でスマホが震え俺はバランスを崩して転げ落ちた。 「奏!」 「なに? どうしたのそんなに慌てて」  通話口から奏のあくびが聞こえてくる。 「今どこ?」 「イギリスだけど」  当たり前のように言う奏に無性に腹が立った。 「……なんで黙って行くんだよ」 「え?」 「なんで俺に留学のこと言わないんだよ!」  原田が奏との恋を諦めた理由。それは奏が海外へ留学するからだった。  留学することも、奏が留学をしたいと思ってることも知らなかったのに、すでに出発しているなんて。いまだになにも飲み込めていない。  そんなパニックな俺に奏は冷たく言い放つ。 「なんでって、智也は私に興味ないんでしょ」  奏の一言がぐさりと心に刺さる。 すると、草陰からタマがでてきた。タマは地面に倒れたままの俺を心配するそぶりを全く見せずに、俺のカバンに顔を突っ込み、焼き鳥が入ったレジ袋を器用に取り出す。 「……タマのこと、どうするんだよ」 「うん、どうしよ」 「どうしよって、そんな無責任な」 「じゃあ私、一生どこにも行けないの?」 「……そうじゃないけど」 「智也がずっといるなら、タマの面倒見てよ」  ごめん、と言い残し奏は電話を切った。  静かになったスマホをポケットにしまい、俺はタマを見つめる。 『この子のことは、誰にも言わないでね』  10年。タマと出会って、タマと過ごして、10年の月日が流れた。  10年という時間を経ても、俺たちの関係は変わっていないと思っていた。  でも、そうじゃない。  10年もあれば、人は変わる。  奏が友だちをたくさん作って、やりたいことを見つけて、この町を出ていく決断をした。  じゃあ俺は。俺はなにか変わったか。  あの頃にすがって、いつまでも幼馴染というポジションに甘えて、変わろうとしなかった。  俺は怖かった。変わることが。自分の気持ちを伝えることが。  そうして自分の気持ちにずっと蓋をして、結果がこのありさまだ。 「ニャー」  いつのまにか焼き鳥を食べ終えたタマが俺を見上げる。  俺はタマの口の周りについたタレを拭きとりながら呟く。 「俺、奏のことが好きなんだ。ずっと前から。今度、奏に会えたら言うよ」  はじめて自分の想いを口にしてみたが、虚しすぎて笑えた。 「今度っていつなんだろうな」  1年? 2年? もっとだろうか。その時にはもう奏の目に俺は映らないだろう。こんな意気地なしの俺の姿なんて。無気力感と脱力感で体の輪郭がおぼろげになり、俺は土手の斜面に倒れこむ。 「あーあ、なにやってんだろ。俺」  情けなくて、悔しくて、視界がじんわりと潤む。すると、タマが俺の袖をひっぱる。 「ニャー」 「もう焼き鳥は、……え、お前なんか光ってない?」  タマの身体が蛍の光のようにやさしく、それでいて確かに光っている。するとタマの身体はみるみる巨大化し、俺の視界をおおいつくす。 「え、……えぇ?!」  俺は急いで土手を上り振り返ると、目の前には勇ましく、恐ろしいドラゴンの姿があった。 「お前、本当にドラゴンだったんだな……」  タマは俺に気づき、鋭い眼光を向ける。 「タ、タマ……?」 「ニャー」 「鳴き声はそのままかよ」  俺は安心して胸をなでおろすと、タマはあごをくいっと動かす。 「ニャー」 「背中に乗れって? 無理だよお前でかいし」 「ニャー!」 「わ、わかったから牙をしまえって」  俺はタマにいわれるまま、タマの背中によじ登る。姿かたちはドラゴンなのに、肌は猫の毛でおおわれている。ふわふわで、香ばしくて、これは猫吸いにはたまらない。って、そんなこと言ってる場合じゃなくて! 「ニャオオン!」  すると突然、タマは翼を羽ばたかせて宙に浮いた。 「え、ちょ……うわぁ!?」  タマは俺を乗せて夕日に向かって飛び立った。  目を覚ますと、まだタマは空を飛んでいた。どのくらい時間がっただろうか。俺はすさまじい風と重量に耐えかねて背中にしがみついたまま気絶していた。  雲一つない青空。下をのぞくと、建物の作りや行き交う人々から、ここはすでに日本ではないと悟った。いや、ここがどこかもわかる。あの大きな時計塔はビックベン。あのローマ宮殿のような建物はおそらく大英博物館だ。やはりここは……。 「ニャー」  タマはなにかを見つけたように急降下すると、ビルのそばで宙に浮いた。翼のはばたきで窓ガラスが揺れる。すると、目の前の部屋の窓が開き、ベランダに奏がでてきた。 「智也?! ……、と、もしかしてタマ??」 「奏!」  俺は立ち上がり、タマの背中をダッシュしてベランダへと飛び移る。しかし、足が柵にひっかかり顔から着地してしまった。 「ぶへぇ……!」 「ちょ、大丈夫っ?」  ふりかえると、首を傾げた奏がそこにいた。久しぶりに正面から奏を見て、俺は心から安心して、うれしくて、そしてまたムカついてきた。 「お前、なんで留学のこと言わないんだよ」 「だからごめんって、言うタイミングなくて」 「しかもこんなにすぐに行くなんてありえないだろ!」 「ん? こんなにすぐって?」 「だから留学だよ。今こうしてイギリスに……」 「いや、留学は来年だけど」 「……え?」  俺は奏の言葉の意味を理解できなかった。 「……え、でも今」 「今は語学研修。一週間で日本に帰るんだけど」 「えぇ?!」  今日一日のみんなの言葉を思い出すと、原田も、奏の友だちも、誰も奏がすでに留学してしまったとは言っていない。 (来年に)留学する、という情報と(語学研修に)三日前に行った、という情報を俺が頭の中で混ぜてしまった、だけ……? 「いや、普通に考えて高校の途中で海外留学とかないでしょ。いや、そういう場合もあるかもだけど、普通に大学に行くときとかの方が一般的っていうか」 「それはまぁ、そうかもだけど……」  奏の正論パンチをもろに受け、俺はなにも言えなくなった。恥ずかしすぎる。何を勘違いしてんだ、俺。  するといきなり背後から突風が吹いた。振り返ると、タマが翼を大きくはためかせた。 「ニャー」  タマは再び飛び上がり、イギリスの空をぐるりと一周し、俺たちに背を向けて行ってしまった。 「どこいったんだろ、タマ」 「たぶんだけど、あいつはもう帰ってこないと思う」 「え、なんで?」 「あいつは、変わったんだよ」 「……それは見たらわかるけど」  だんだんと小さくなっていくタマの背中を見て、俺はうんと頷く。  これはタマがくれた最後のチャンスだ。俺は今、変わるんだ。  ……でも、その前に。  俺はベランダからイギリスの街並みを見わたし、ゆっくりと奏へと顔を向ける。 「俺、どうやって帰ればいいんだ……?」  それから10年の月日が流れた。  ママはご飯を作りながらうれしそうに話をつづける。 「それからね、タマが都市伝説になったり、パパは不法入国者としておまわりさんに逮捕されたりして大変だったんだ」 「ふほーにゅうこくってなに?」 「んーとね、とにかくいけないこと」 「パパ、悪い人?」  なんだか怖くなったぼくに、ママはやさしく笑った。 「悪い人じゃないよ。悪いのはね、ママの方」 「なんで?」 「ほんとうはね、タマが猫じゃないって最初から分かってたの」 「じゃあどうして、タマのことを猫って言ってたの?」 「パパは昔から猫が好きだったから、猫を拾ったって言えば二人きりで会えると思ったの」  そういうとまるでいたずらをしたときのぼくのように、ママはふふっ、と笑った。  ぼくはママの笑顔を見ていると、とてもうれしくなった。 「ママは子どもの時から、パパのことが好きだったんだ」  ママはやさしく、それでいて力強くうなずいた。すると、玄関のとびらが開く音が聞こえた。 「ただいまー」 「あ、パパだ!」  ぼくはいすをおりてパパのもとへ向かうが、リビングを出るまえにママに呼び止められた。 「さっきの話、パパには秘密だよ。わかった?」 「なんで?」 「なんででも」 「ふーん、わかった!」  ぼくがそういうと、ママは小指でぼくの小指をやさしくにぎった。 「このことは二人だけの秘密ね」  終わり。
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