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上野国高崎藩唯一の芝居一座、春木座座付き作者見習として初めての江戸上がりだった。おん歳二十、男喜助、これはひとつ天下のお江戸で一旗上げてくれんべぇとはりきっていたのだが、今はその春木座の連中ともはぐれ、出会ったばかりの女と湿った蒲団を共にしている。まどろみのなか、芝居などもうどうでもいい、そんな心持でいた。
突然ばたばたと重い雨粒の音が始まる。
おどろいた女の悲鳴や、男女のからみあう笑い声が、乱れた足音とともにひとしきりしたあと、あたりは嘘のように静まり返った。
雨音だけが続く。
木々の葉を叩き、庇を叩き、地面を叩くやかましい雨音が喜助をとりまく。濡れた土のにおいと共に涼風のかたまりが座敷を抜け、軒からはじけた雨粒がそまつな簾のやぶれ穴から横たわる喜助の頬にあたる。かすか身震いし、小便でもしようと立ち上がった。
用を足し、部屋に戻る途中、渡殿でふと立ち止まる。
瓦灯の弱い光が、となりとの境界になっている柴垣の前に人影を捉えた気がした。
なおまだ激しく降り続く雨筋に目を凝らし、その姿を見定める。
女か?
後姿ではっきりしない。
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