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その十壱
その夜…、境ノブアキは明け方まで寝床で考え詰めた結果、あのオンナが黒い染みから這い出て自分の眼前に現れた件について…、それは加瀬とF氏の両方に告げないことで決意に至る。
F氏には、何かあれば連絡して来いと、ケータイの番号も教えてもらってはいた。
だが、ここに及べば、要は自分自身次第だと、そういう結論にたどり着いたいたのだ。
”おそらく、アイツはこれからも例の彼女で俺を獲りに来る…。それを自分は拒むしかない…。そんで、その攻防の先に迎える顛末は然るべきところで落ち着く。実際は向こうが諦めるのが早いか、それともこっちが持っていかれるか…。いずれにせよ、後者になるなら、それは俺自身の心の問題だし…”
翌日の勤務前には、境はそこまで頭を整理できていた。
***
その後…、事態の展開は境にはあいにくながら、彼自身の”予期通り”をなぞっていくこととなる…。
つまり!
R料金所の下り車線上に黒い染みで顔を浮かび上がらせているそのオンナは、”あの日の彼女”の姿をちゃっかりと借し、境の前に”定期的”に現れていたのだ。
ただし、厳格には、明らかに夢の中とおぼろげな感じの現実であろう空間の、二つを両跨ぎではあったが!
そして…、そのどちらも、ソイツは決まって黒い練馬ナンバー車…、0948に乗って推参する。
いうまでもなく、あの懐かしきウブい匂いを薫らせたスーツ姿の”彼女”で…。
ある時は白昼堂々、夜勤明けの眠い目をこすって、徒歩で最寄りのコンビニへ向かう途中の交差点で信号待ちしている時、正面5M先には同じく信号待ちしている先頭車がそれで…。
またある時は~~!
掛かりつけの歯医者に車で行った帰りには、しっかと隣に黒ネリ0948ナンバーが駐車してあるとか…。
もっとも、こんなかくサラリなニアミス程度だけでは、キリがねーやって感覚でか、路肩パターンでトドメをってことではなかったか?
運転してて、気が付くとストンと落ちて、気が付くと変な空間で夢と現実の狭間…、そこで妖しく身をくねりながら、割かしかわいい笑顔ですり寄ってくるのだ。
”あっちイケー‼”
境はそう絶叫して、必死にその都度抵抗し、ソイツを拒み続ける…。
だが、先方も、やはりしたたかであり、かつ必死だったのであろう…。
時には泣き顔で、”なんで、そんなに冷たくするの…”とくれば、その次は鬼神顔で、”このウソつきのむっつり!覚えてなさいよ!”とか…。
まさに硬軟相互、押しては引いての津波レベルな波状アプローチを駆使するのであった。
かくして…、ついに”その一線”を…、境自身の心レベルが死守していた”それ”をぷつんと切ってしまう…。
***
”ここは何処だ…?温かい…”
彼が既に身全部と心全部…、その両輪を丸投げし、ここにもはや抱き抱かれる安楽の肌感を欲する衝動に完全屈服…。
”ここは誰の胸だ…?俺は何処にいるんだ…”
このトリップ遊感に呑まれる際どい感覚陶酔を何度か臨界させて、境ノブアキはもはやアレに持ってかれるレールを無条件許容した。
そして…!
年の瀬も間近となったある日…、例の路肩で、彼は練馬ナンバー0948の黒い車の中で…、その助手席で、無人の運転席に抱き着くようなカッコウを晒し、夜勤明けの朝日を浴びていた…。
「おはようございます!もしもし…‼」
「あの…、大丈夫ですか?」
「何かありましたか?」
「あの…、一応、路上でこの時間うたた寝されてたんで、アルコールのチェックをさせてもらいますが、こちらへよろしいですか…?」
”なんなんだよ…‼この車、自分のかよ…。なのに、なんで俺、助手席なんだよ⁉”
警察官の声で目を覚まされた境は身を起こし、目をこすりながら、周辺を見まわした。
で、黒の練馬ナンバー車はいなかったと…。
ここに至り、境のアタマは冷静に混乱していた…。
***
「…なるほど。では、あなたは夜勤帰りで眠気がひどいので、この路肩に車を止め、運転席でシートを下げ仮眠をとった。途中、尿意で目が覚め、そこらへんで用を足して、眠気のあまり助手席で寝込んでしまったと…。そういうことですかね?」
アルコール検査の結果、反応なしということで、地元所轄の警察官二人はコトの整合合わせを境から聴取していた。
「まあ、そんなところです。何分、夜勤続きでこの年なんで、醜態晒して申し訳ない。駐車違反とか…、どうなんでしょうね?」
「こちらは路肩に駐車した正確な時刻を知り得ていないんで…。そういうことです。まあ、夜勤開けはお疲れで居眠り運転されて事故を起こされるのが、警察としては一番避けてもらいたいことですので…。あまり無理せずに…。安全運転を願いますよ」
「はあ…、お手数おかけしました…」
警察から解放されても、境は肝心のアレからは解放されていなかった…。
それどころか…!
***
”あの安らぎ感は何だったんだ!まるでゆりかごに乗っかてるみたいだった…。俺はもう持っていかれてる…”
そして、然るべき時期が近づいてることも、彼には感じ取れていた。
そんな経緯を経て、その夜の11時過ぎ…、境はR料金所に入った。
「やあ、境さん!おはよう!今日は夜勤ですな。ああ、確か最初は下りだったかな…。いやあ、今夜は風が強いですわ。それに靄も出てきてるしね。紙幣を飛ばさないように、気を付けてくださいよ」
「ええ、今日はちょっと寝不足気味なんで、気を抜かないようにします。いつも気を使ってもらって感謝してます」
「いやいや…。それでは、私は仮眠なんで。おやすみなさい!」
”自衛隊上がりの教官”は、いつもどおりでハイテンションだった。
”確かに今夜は靄が濃くなりそうだ。じゃあ…、もしかして、今日ってことかも…”
境はそんな予期を持って、午前0時からの下りレーン3時間勤務に就いた。
***
その夜…、まさにR料金所は、強い風でまるで生き物のように大きく揺れ動く暗闇の木々に見下ろされてる絵柄を呈していた。
”なんて、時間経つのが遅いんだ…”
彼の両目が捉えた収受機に表示している時間は、午前2時40分だった…。
ここで、モロゆったりなスピードで、黒い乗用車が白い靄から吐き出されるかの如き、境ノブアキの立つブース脇に徐行停車した…。
それまで、一般レーンへの流入車は一台もなかった。
なので、この一台が最初のクルマとなる。
で…、ノブアキのあげた右手の停止シグナルで、クルマが料金収受ブースの真ん前で停止すると…。
二呼吸の間を踏んで、運転手側のウィンドウが無音で降りた。
そして、そのウィンドーという幕が下った後に表出された運転手…。
それは、明らかに女性であった。
”来たか!”
境は心の中でそうささやき、いよいよかな…、と直感するのだった…。
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