その十二

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その十二

下りブースの立直は午前3時ちょっと前に勤務交代となった。 「ああ、境さん、お疲れ様でした!いやー、今日は上りも車、来てないみたいですよ。下りもゼロでした?」 「ああ…、まあ…、今日はとにかく風が強くて…」 境は例の車以外は通行がなかったので、なんともな言い回しで濁すほかなかった…。 「ですね…、そうなると眠気がドンと来るんだよな。はは…」 「ええ、靄も濃いので、車もさすがにスピード落とすでしょうから、音もなくいきなり目の前ってのが怖いですよね。頑張ってください。お疲れ様です…」 境はひと回り以上年下だが先輩の後任へ引継ぎをすますと、白い息を吐きながら、足早でブースを後にした。 ”戻ったら、2時40分のブースモニターを見せてもらわないと!あの時間…、約1分…、一体何がったのか⁉…この目で見届てやる!” 例の車…、黒の練馬0948…、そしてあのオンナ…! 680円の通行料金を告げ、現金収受を処理したかしないかのところで、境の記憶は途切れていた。 ちなみに、それはプツリではなく、もわもわ~といった感じで、そこにいた自分を空間ごとすくいさらわれたという感覚だったのだが…。 果たして、実際の金銭授受は現実世界のこの空間でなされたか、その風景が、ブーズモニターのビデオ映像にはどう写されているか…! 境はその結果で、自分の”この先”が垣間見えてくると捉えていたのだ。 *** 「…はーい、お疲れ様~!境さん、靄と風はまだ収まらない?」 「ええ。まだ、けっこうですわ。全く視界が悪くて往生します…」 境はまず、下り3時間勤務の収受データを先に確認してから、ビデオの再生を申し出るつもりだった。 「…おお、見事、ETCも現金もクレカもオールゼロ~~、ですな」 「ですね…」 「境さん!ハイ、オッケー!はは…」 「ありがとうございます…。で、収受長…、今の勤務、2時40分前後のビデオを見せてもらえませんかね?」 「えっ?でも、台差はないし、下りは正真正銘のゼロですよ。車種間違いや見逃しとか、そもそも対象の車両が通過してないんだし…」 「はあ…、なのですが、正直に告白すれば、2時40分近くで”落ちかけ”まして…。なんか、車両が通過した気配を感じてはっとして…。それが隣のETCレーンなら、今後のため、あの感覚を覚えておきたいので…。今後の参考ってことで、一応、確かめたいんですよ」 「そう…。なら、見てみましょうか」 ここで二人はモニター室に入り、2時40分時点の下りブースを録画したビデオ映像を確認した。 ”なんてこった!これ…、微妙に画像ノイズが被ってる…” 「ハハハ…、境さん、全然寝てないよ。直立不動で前方をしっかり注視してるじゃない。百点満点!いや、とにかくお疲れさん!」 収受長は境の肩をポンとたたいて、鼻歌交じりで室を出た。 ”わずかな画像の乱れは収受長もスルーか…。こっちとしては助かるが…。ふう…、人が見れば直立不動で前方をしっかり注視だよ、そりゃ…。あの数十秒間、持っていかれてるんだろうだからな、俺…” 境ノブアキは、ブースモニターに録画されていた、レーン付近の画像に映っている白い靄を突き抜く不自然な異物移動の動きを見逃さなかった。 ”あの白いカタマリには数度、濁った光が瞬時で行き交っている。…あの光が俺の中身なんだろう。こっちの世界では数十秒間でも、持ってかれて戻ってきた間にやっこさんと乳繰り合うくらいの時幅はあったはずだ。はは…、俺、どうやらだわ…” ブースモニターのビデオをその目で検分し、境は”その向こう側”を見透せたのだろうか…⁉ 彼の脳裏には、無意識の予期推測を以って、あのオンナ…、いや、かの彼女の車に収まっていた”その間”が、スッと我が芯部に溶け込んでいく実感を得ていた。 それは言いようのない安らぎ…、母親の子宮に帰還したような解脱と解放の海が発する匂い…。 要するに、自分が”向こう側”へ招き寄せられてしまった感触は自認せざるを得なかったのだ。 だが、それはあくまで、アイツに負けたという気持ちではなかった。 ニンゲン、境ノブアキとしては、意地でも…! もはやニンゲンとして自覚内にある彼は、かく確信を得ていた。 さらに、それを受け入れる覚悟も伴っていたのだ。 *** 翌日の朝…。 夜勤明けで料金所を出る間際、入れ替わりで早日勤の加瀬と更衣室で行き会った境は、とっさの判断ではあったが、敢えて切り出すことにした…。 「おはようございます、加瀬さん…」 「おはよう…、しかし今日は寒いな~。はは…。ああ、お疲れさん。運転気をつけて帰ってな」 「ありがとうございます。…それで、加瀬さんには今の内に話しておきたいんで…。あのう…、東京の両親、双方介護がもう限界らしくて…。近々、俺、同居すると思うんです。なので…」 「ふう…、そういう事情かい…。まあ、人の家の事情までは軽々しく口は出せないが、よく考えてな。せっかく慣れてきたんだし…」 「はい…。加瀬さんには感謝してます」 短いが、境は他ならぬ加瀬だけには、然るべき伏線は張っておきたかったのである。 この後…、境ノブアキはまるで俗世間からフェイドアウトの気流へと吸い込まれるように、”あっち”へ持っていかれる運命をゆっくりとだがしっかりとした足取り?で、辿る! 然るべき場所へと向かって…。 *** 翌年の2月…。 小雪舞う真冬日に、境ノブアキは自分の車の中…、運転席ではなく助手席で息を引き取ることになる。 発見場所は、彼の自宅近所にある公園の駐車場であった。 警察は不審死として事件性を慎重に調べていたが、直接死因が急性呼吸不全で、数か月前にも県道脇で同じように助手席で眠っていた時の地元警察による現地聴取の記録が残っていたこともあり、極度の過労と体調不良から深夜の冷え込みも影響した睡眠中の急死と断定した。 彼は、その1か月前にはR料金所を自主退職していた。 加瀬も事前に境からは、東京に在住する老年老いた要介護状態にある両親との同居を決意した胸の内を告げられていたこともあり、彼の退社については余分な疑念なども特段抱いてはいなかった。 なので、彼の死はニュース報道にも乗らないレベルだったこともあり、この時点では加瀬をはじめR料金所の職員もその眼中には及ばず、境ノブアキと下りレーンの黒い染みの中に浮かぶ顔の”その後”は知る由もなかった…。 *** ”ここは何処だ…?ふくよかなコレ、誰の胸元なんだ…?” ”私よ。私の胸のなかよ…” ”なんて心が安らぐんだ…。まるでゆりかごだ…。気持ちがいい…” ”私も気持ちがいいわ” ”もうここから離れたくない…。だって、俺はもう一人じゃないんだ…” ”そうよ、私もさびしかったわ。とても長い間…。孤独でうずうずしてたし。だから…、もうずっと一緒よ…” その二人は、ついに繋がった…。 永遠に? *** ブブーン…、ブブブーン…! 「…あのう、そこの道路面、なんか黒い染みたいの、いっぱいですが、なんか気味悪いっすね。ニンゲンの顔に見えません?」 新たにその日、S料金所へ入社した研修生の○○は、いきなし、ブース脇の地面に浮かぶう”アレ”が気になってしょうがない。 しかし、自衛隊上がりの新人研修教官に一刀を喰らう。 「○○さん!そんなタワゴト言っててぼーっとしてると、突破されますよ!ウチは1か月で一人立ちしてもらうんですからね。下を捥いてないで、ブースに立ったら深夜でもしっかりと前方注視!いいですな?」 「はあ…」 ”んなこと言ったって…、顔だよ、そっちの小さいのも、あそこのも…。おお…、そこらじゅうだわ。顔、顔、顔って、気味悪りー!こんなとこで深夜何時間もムリだって…。ああ、そこのでかいのは男と女…、カップルだろ~~。こっち見てるって‼キモいー!” 「…ああ、ところで○○さんの誕生日は何月何日か、伺ってよろしいですかな?いや~、私、新たにお目にかかる方のバースデーをお聞きして衰える記憶力低下防止の一助にしてる次第で…」 「はあ…」 関東圏の某有料道のRインター料金所では、今日も数知れないほどの車両が通行している。 そして近年…、下りの一般レーンでは、深夜の通行者から”ヘンな”声みたいなものが聞こえるという淫靡なウワサがSNS上で流れていた…。 『顔!顔!顔!』  ー完ー
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