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何が起きたのかも分からなかった。突然、視界も両手両足の感覚も失った。上も下も分からなくて。苦しくて藻掻けば藻掻くほど体が重くなって。死ぬんだ。死にたくない。死にたくない。咲とまた桜を見たい。見ていたい。ずっと、ずっと。
「俺は。ただ願ったんだ。咲と。ここで花見をしていたいって」
「思念が死念となって、ここに縛りつけてしまったのでしょうね」
「ほんとうに俺は……」
「今は誰でも簡単に写真が取れるんです。だから、ちょっと有名になっちゃたんですよ今泉さん」
彼女が小さく笑い、その声で肩の力が抜けた気がした。
「よくは分からないが。今は、何年なんだい?」
「あなたが亡くなった翌年に、年号は平成になりました。そして今は、令和と言います」
「平和そうな響きだな」
「どうでしょう。家族と食卓を囲む時間を、労働の対価に回す時代です」
「へー。しかし、ここの景色は変わらねえんだな」
俺は桜並木を見上げた。
「桜の樹も、今泉さんと咲ちゃんを見ていたんでしょうね」
俺は彼女に気付かれないように、頬を落ちる涙を拭いた。
「俺はずっと、このままかい」
「会えますよ。咲さんと」
「ほんとかい!」
「今泉さんには、ちゃんとお墓があります。奥さんも咲さんも、お参りを欠かしません。だから前を向いてください。過去を見ずに、良かった瞬間だけに捕らわれずに。想いを抱いて、現実を受け止めてください」
彼女の声が俺の中に流れ込んでくるようだった、不思議と素直に受け止められた。すると俺の体が仄かに光り出した。
「あ、そうそう。咲さんが、お父さんよりも年上になっちゃったから驚かないでね。だ、そうです」
「南条さんだっけか。どうも、ありがとう」
「どういたしまして」
視界が光に包まれてゆく。心なしか温かい。そして俺の耳に、やけに水が跳ねる音と声が届いた。
「え? ええ! ちょっと待って網ー」
〈開花葬〉
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