象牙の月

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象牙の月

   閉館間際の植物園には人気もなく、ダウンライトの光が植物達を妖しく照らしていた。季節の花々や、熱帯雨林のカラフルな花が咲き乱れ、噎せ返るような芳香で園内は満たされていた。昼間は花見客で賑わう植物園は、時が止まったかのような静けさに満ちていた。  菅原誠人は携帯を手に、無人の植物園を落ち着きなく歩き回っていた。植物園は公園の中にあり、周りを閑静な住宅街で取り囲まれていた。管理人は不在で誰でも出入り自由になっていたが、八時半を過ぎれば自動的に照明が消され、一日の営業はそこで終了となってしまう。  時刻は八時を過ぎ、菅原は何度目かの電話をする。だが、一向に繋がる様子はなく、すぐに留守番電話に切り替わってしまう。  菅原は目的もなく歩き回っている内に、園内のどんつきにあるドームの方まで足を伸ばしてしていた事に気が付いた。  中央に噴水があり、その周りに数えきれない程の鉢花が展示されていた。白い花弁は黄味を帯びた象牙色で、ハイビスカスに似た大ぶりの花を咲かしていた。  ライトに反射した花弁が月のように発光している。名札には“クイーンオブザナイト”とあった。幻想的なその光景はまるで天国を見ているかのようだった。  菅原はまた電話を掛けるが、すぐに留守電に切り替わった。 「田村さん、電話に出て下さいよ」菅原はそう言った。「もう一時間も待ってるんですよ」  田村からの折り返しはなく、菅原の声が虚しくドームに響き渡るだけだった。 「来れなくなったなら、そう連絡を下さい」菅原は言い、溜息を吐いた。「もう閉館時間も過ぎるので、俺は帰りますよ。明日、電話をするので必ず出て下さい」  菅原は留守電にそう吹き込んで、携帯を鞄にしまった。腕時計を確認すると、あと五分で閉館時間だった。菅原は諦め、園内の出入り口まで歩いていこうとした。  その時、背後で靴音のようなものが聞こえたような気がした。  後ろを振り向いた瞬間、鉢の影からフードをかぶった黒ずくめの男が飛び出し、菅原に体当たりを食らわせた。菅原は突き飛ばされ、鉢と共に地面に倒れ込んだ。すぐには立ち上がれず、出口へと逃げていく男の赤いスニーカーを目で追う事しか出来なかった。  菅原は腕を庇いながら立ち上がった。強盗をする気なら鞄を奪おうとするだろうが、男は体当たりをしただけでそれ以上の危害を与えてこようとはしなかった。ただの悪戯か、それとも悪意があったのか?  天井を見渡すが、防犯カメラが付いている気配は無い。菅原は釈然としないまでも膝についた砂を落とし、出口の方へと歩いて行った。
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