2 三千万やるから一成と呼んでくれ

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2 三千万やるから一成と呼んでくれ

 面倒そうに、だがどこか面白がるように彼は言う。  それから突如として真顔になるとまじまじ玲を見つめてきた。 「ふぅん……」  グレーに近い銀色の髪に一瞬強い光が差して、暗い車内で眩しく見えた。  少し長い髪の毛が、月城が首を傾げることで、揺らぐ。 「呼び捨てとは大したもんだな」 「あっ、す、すみません」 「お前、信号見てなかったのか? 赤だったろ」 「あっ、す、すみません」 「はぁー? コピペか? 同じこと言って楽してんじゃねぇぞ」 「すみません……」 「で? わざと?」  玲は目を見開いた。  月城は試すように目を細める。 「わざと俺の車に轢かれようとしたのか?」 「えっ……? はい?」 「冗談だよ」  玲はごく、と息を呑む。  こうして真正面で向かい合えば月城一成の正体が本能みたいに分かる。  ——アルファだ。  月城はふっとこぼすように笑い、また低い声で牽制するように告げた。 「死ぬつもりかよ」 「あの、すみません。本当にご迷惑かけて……わざとじゃないんです」 「俺の車にふざけたことしやがって。傷がついたろ」 「き、傷ですか」 「お前は」  月城一成がマスクを外した。その綺麗な顔が眼前に現れて玲は内心狼狽える。  月城は眉間に怒りを滲ませて、玲を睨みつけてきた。 「あ、あ、だとか、す、す、だとか、まともに喋れねぇのか」 「すい、すいません」 「スイスイだと? 調子乗んな」 「ごめんなさい」  玲は謝罪を述べつつも、やけに冷静な頭で(なんでこんなに怒り慣れているのだろう)と考えている。  元から優しい印象など一ミリもない存在だったが、こうも威圧的な人物だとは。しかも強引に車へ乗せられてしまった。  それどころか横暴なことを言い出している。 「車に傷つけてんじゃねぇよ」 「傷、ついてましたか?」 「お前がぶつかったんだろうが」 「……ぶつかってません」 「飛び出してきたじゃねぇか」 「そ、そうですけど」 「ならぶつかったんだ。ほら、腕が痛いだろ」  言いながら玲の腕をまた強く掴んでくる。  ぎりっと力を込められて、痛みに顔を顰めた。月城は顔色一つ変えずに告げる。 「痛いだろ」 「は、い……」 「お前はぶつかったんだ。修理費を払わねぇとな」  玲は啞然と唇を開き、「しゅ、修理費ですか?」と呟いた。  そんな、酷すぎる。  まさかこうくるとは思わなかった。  息を呑む玲を見て月城が僅かに目を細めた、ような気がした。 「ただし、お前が俺の提案を引き受けてくれるなら修理代の免除を考えないでもない」  玲は小さく唇を開き、隠れるように息を吸った。  警戒心を隠しもしない玲を見て、月城がその端正な顔で微笑む。びっくりするほど綺麗な顔だから微笑まれると何も言えなくなってしまう。  突然、月城が玲の腕を勢いよく引いた。  体勢を保って居られずに次の瞬間には彼の胸に抱かれている。  月城の匂いで体が覆われる。ゾッと鳥肌が立った。  アルファが首の後ろにいるのだ。  耳元で月城が囁いた。 「お前、オメガだろ」  玲はじっと目を見開いて、男の膝のあたりを見つめた。  あ、タイミングを逃した。否定しようにももう遅い。数拍の無言を肯定と取った月城が嘲笑うように言う。 「そうなんだな。正直で悪くない」 「あ、あの、俺っ」 「今更否定とか遅いからな」  あっという間に玲を解放した月城は長い足を組んだ。鞄から名刺を取り出すと、座席シートに肘をかけ体を近づけてくる。  不気味なほどにっこりと微笑んで、月城は言った。 「俺は月城一成、と名乗ってる。作家だな」 「……そうですか」 「そうですかじゃなくて手前も名乗れよ」  玲は一度唇を閉じた。ごくと唾を飲み込み、表情に恐怖を浮かべる。  黙っていてもまた怒鳴られる。恐る恐るとばかりに唇を開いた。 「玲です。大倉玲」 「年齢」 「えっ……」 「成人してねぇと話になんねぇからな」 「……二十歳です」 「玲ちゃんよ。信号無視するほど急いでどこ行くつもりだったんだ」 「あの、何が言いたいんですか」 「提案の話がしたいのか? 受けてくれるとは嬉しいな」 「その提案って何なんですか」 「一成さーん」  するとそこで軽やかな声が入ってくるので玲は分かりやすく驚き肩を揺らした。  その玲の反応を見て、月城がくくっと笑う。玲は目をまん丸にしたまま声の根源である助手席へ目を向ける。  まさか居たとは気付かなかった。金髪の男が、黒いフードを外しながらこちらに横顔を向けてくる。 「隠れてたから気付かなかったのかな。どうも、玲ちゃん」 「……」  玲は驚きのあまり声も出せない。  若い青年だった。月城と同じくらいの歳だろう。月城とともにいるだけあり、綺麗な男の人だ。  金髪の男は玲の反応を気にせず月城へ言った。 「で、一成さん。まさか提案って炎上対策じゃないですよね」 「そのまさかだ」 「男じゃないですか」 「もう良いだろ俺がゲイだってのは割れんだから。ちょうどオメガが転がってきたんだし、なかなか顔も良いし、こいつにする」 「身元が分からなすぎますよ」 「これから調べれば良い」  玲はただじっとしていた。二人の会話の意味を少しでも理解するために。  月城はそんな玲を見ると、またニヤッと頬を歪めるように笑った。 「悪い話じゃねぇんだよ、玲ちゃん」 「……なんですか……」 「俺の恋人になってくれないか」  玲はゆっくりと一度瞬きした。  月城は微笑みを深める。 「随分のろく瞬きすんだな。目が大きいから瞬きにも時間がかかんのか?」 「恋人……?」 「もちろん役だよ」  先ほどの運転席の男は何も言わない。助手席の金髪の男はため息を吐いている。 「俺がアルファなのは分かるだろ」  月城は言った。 「俺の仮初の恋人になってくれ。期間は半年だ。半年間恋人を装ってくれれば報酬をやる。もし断れば車を傷つけた修理費用二千万を払わせる」  玲は茫然と月城を見つめていた。  彼が「何とか言え」と声を低くするので、ようやっと口を開く。 「俺が月城さんの恋人役……?」 「玲ちゃんさ」  月城は見惚れてしまうほど綺麗に微笑んだ。 「月城さんじゃなくて、一成な。報酬三千万やるから一成と呼んでくれ」  「よろしく」と彼は言って、強引に玲の手を握ってきた。その骨ばった手は何故かゾッとするほど冷たい。  玲は唇を噛み締めながら、一成の手を見つめている。  言葉も出ないほど、言葉にできない感情が胸に溢れていた。
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