忘れられない人が居るのは、不幸なの

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忘れられない人が居るのは、不幸なの

何度も繰り返し見るのは、あの日の記憶。視覚が闇に落ちる瞬間、最後に見たのは、自分の膝に触れる彼の手だった。隣の運転席に彼の姿はなく、手だけが澪を守るように、膝の上にあった。彼は、即死だった。センターラインを超えてきた大型のトラックとの正面衝突は、澪の大事な人と視力を奪っていた。 「やめて!」 何度も叫んでも、同じ夢は、繰り返される。奇跡的に澪は、打撲だけで、命の危険はなかったが、視力を失った。彼の左手が、最後に見た映像だった。その後の、葬式の彼の写真を目にする事はなかった。誰もが、澪の生還を喜んだ。彼の両親は、澪だけでも、助かった事を喜んでくれた。このまま、いけば、二人は、結婚できたのにと、彼の両親が涙を流していた。自分も、一緒に死んでしまいたいと思った。自分が生きている事に罪悪感を覚えていた。彼をしなった穴を埋める手立てはなく、文字通り、闇に落とされていた。ただ、一つ、不思議な事があった。時間が経つに連れ、彼の声が聞こえるようになっていた。 「澪?」 最初は、澪を呼ぶ懐かしい声だった。 「どこなの?どこ?」 辺りを見回しても、変わらない闇があるだけだった。 「こっちだよ。澪、よく、目を凝らしてご覧」 懐かしい声は、肩越しに聞こえてくる。振り向こうとすると瞼の中が、熱くなるのを感じた。暖かいオレンジの光が、瞼の中に差し込む。 「澪。探さなくてもいいよ。いつも、そばに居るから」 「本当に?」 「そばにいるよ」 オレンジの光が揺れ、その中には、淡い黄色や、ピンクの色が見え隠れする。 「これは、あなたなの?」 オレンジの光が揺れ、少しずつ、小さくなる。 「光が小さくなる・・・」 「また、会えるから」 「待って」 光は、揺れ、次第に小さくなって消えた。澪が、寂しくて塞ぎ込む時、声が聞こえ、オレンジの光が見える。光は、いつも、オレンジ色で、澪を包み込む。 「どこにも、行かないで」 澪は、彼への想いに縛られていた。次第に、閉じこもりになる澪を両親は、心配していた。輸入雑貨を扱う会社を経営している両親を継ぐとばかり思っていた。華やかだった生活は、すっかり彩を失った。経済的な心配はないが、視力を失った事は、この先の人生に影を落としていた。引きこもりになっていく澪に両親は、盲導犬をプレゼントする事にした。毛並みも美しく賢いゴールデンのアポロンは、澪の励みになっていた。両親は、澪に、世話をさせる事にした。アポロンと歩いて会社に出社し、1日の仕事をこなす。視力は失ったが、社会的な地位は、維持させたかった。  今日も、澪は、アポロンと一緒に通勤する事にした。車で、送って貰えば済む事だが、天気のいい日は、気分転換を兼ねて、歩いて行くことにしていた。  通勤コースにもしている公園は、ランニングする人や、通勤する人、犬の散歩をする人で、そこそこ混んでいる。さすが、アポロンは、盲導犬らしく、他にきを取られず、真っ直ぐ、澪を誘導してくれていた。  が、 「こら!」 突然、向こうから、男性の声がした。澪の瞼の中で、淡いグリーンの色が弾ける。 「そっちじゃない!」 小さく犬の悲鳴が聞こえる。アポロンが危険を感じたのか、急に停止した。 「こらぁ」 声と共に、アポロンに何かが、衝突するのを感じた。
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