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軽井沢の話
「大妻さん!」
わたし、軽井沢薫は今日、ようやく話せた。
昼休み、屋上への階段に、隠れるように彼女はいた。
こちらに帰ってきてから、話すのは初めてだった。
気が付けばあれから数ヶ月も経っていた。
向こうでは、『武闘家のアズサ』として一緒にパーティーを組んでいたのに――。
「軽井沢さんか……見つかっちゃったか――」
彼女はそう言って、照れくさそうに短い髪を掻きむしっている。
わたし、軽井沢薫には話すことがいっぱいあったのに……彼女はずっとこちらに戻ってから、わたしを避けてきた。
わたし達の夏の体験……冒険は決して白昼夢でも幻覚でもなかった。
「キミはまだ付けているの?」
わたしの首元を見て、まるで忘れたいような言い草だ。
首のチョーカーに付けられた天使の紋章は、愛する人から送られた大切なものだ。忘れたくない思い出がたくさんここには詰まっている。
そして、あちらの世界が現実だった証し。
あの日まで彼女、大妻梓さんとは友達の友達……そんな関係だった。
わたしは、勉強ばかりで引っ込み思案。
中々決まらなかったクラス委員長を押し付けられたわたしとは、大妻さんは違うタイプだ。
背が高く、運動神経がよさそうな彼女とは、違うクラスだった。
あんなことがなかったら、知り合いにはならなかっただろう。
――住む世界が違う……そんな感じだ。
それは夏休みの初日のこと。
大妻さんと友達の塩尻美鈴さんの3人は、松本先輩が出してくれた車を使って、山奥のキャンプ場に行った。
キャンプに凝っていた塩尻さんが、「女の子3人では心細い」と松本先輩に声をかけたのだ。
――それが始まり。
先輩は大型車の運転が不慣れだった。
それでも、わたし達に格好付けたかったのであろう。結局、スピードの出し過ぎでわたし達を乗せた車は道を外れ、渓谷に落ちてしまった。
迫り来る崖下が、スローモーションのように流れていく――。
そして、目の前が真っ暗になった。
――これが死?
全身が冷たい感じで力が入らない。痛みも苦しみも感じなかった。
どれだけの時間が経ったのかも解らない。でも、ふと目が開くような気がした。
恐る恐るわたしは目を開けた。
仄かな明かりがわたし……わたし達の周りを照らし出している。
目に映ってきたのは、重たい石の天井だった。
「おお……世界を救う救世主様だ!」
聞き慣れない声が聞こえた。
夏休みの初日。そこでわたし達は、異世界に飛ばされた事を知った。
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