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「降参です」
大袈裟に頭を下げる。テーブルが鼻先に迫って酔っているのかなと思った。
「彼女はおじさんに呪いがかかるようにしたの」
「え?」
「メル○リにはそういう呪物がいっぱいあるの。それを自分宛てに送ると親切なおじさんが廊下から自分の部屋に引きずり込んでくれるというわけ」
「具体的にはどういうの使ったの?」
「そういうことを訊いちゃダメなのって友だちは言ってた」
呪いなんてあるわけない、冗談だよねと笑い飛ばそうとしたが、かえって肝が冷えていることを晒しかねないと思い、やめた。それは兎も角、ひょっとして友だちの話というのは虚構で、元カノ自身のことじゃないかという想いがよぎった。だが、それをよぎったままにしてしまった。
「でもね。それはあまりよくなかったの」
「うん」
「それ以来、おじさんの姿は見なくなったし、部屋の前を通っても気配がなくなったんだって」
「うん」
呪いの発動が語られているようなのに、返事らしい返事ができない。元カノは店員の方に首を廻して、
「もう一杯いいですか? え、もうない? どうしよっかなあ」と芝居がかった言い方をした。
「半端でもいいじゃない」
声がかすれている。情けない。
「うんうん、底の底にあるだけください」
元カノの前に最後の桝が来るまで、ぼくらは沈黙していた。
「それからもっと変なことが起きたの」
「もういいよ」
「これからだよ。初めに細長い箱が2個置き配されていたの。もちろん注文した覚えはない。友だちはその箱がずっしりとしているのにうんざりして、疲れてたのもあって、廊下に置いたままにしておいたの」
なんとなく光景が見える気がした。廊下の奥にきちんと2つの細長い箱が並んでいる。ぼんやりとした影ができている。何かに似ている気がするがやはり正解は出てきそうになく、もどかしい。
「次の日にはもっと大きい直方体の箱が1個。ため息と置きっぱなし」
頭の中でその箱と細長い箱を並べてみる。
「3日目には1日目と似た感じの細長い箱が2つ。ただし、最初のより小さい」
「もしかして」
元カノはぼくの言葉を無視して語り続ける。
「4日目にはやや小ぶりの直方体の箱が1つ」
元カノはぼんやりうっとりしたような目で言った。想像の中の最後の箱を大きい箱の上に載せると段ボールのロボットが出来上がった。
「その日は風雨が激しくて廊下まで吹き込んで、箱も濡れていた」
「濡れたせいで箱の中から何か沁み出たとか?」
「正解。血の色って血だとわかるまではとてもきれいなんだって言ってた」
元カノは表情を隠すようにお酒をごぶりと飲み干した。
「呆然と立ち竦んでたんだけど、パンプスまで流れて来たのに気づいて救急車と警察を呼んだんだって。話はそれだけ」
「うんうん。あ、友だちの相談って?」
何かから逃げるように訊いた。
「もう済んだよ。おいしいお酒を飲みたかったんだよ」
この女は前にもこんな声でぼくを難詰したことがあった。
伝票を掴んでよろよろと立ち上がる。店の外で駅はどっちだっけと迷っていたら、もう駅の方へ行ったはずの元カノが言葉を投げてくる。
「あ、そうそう。帰ったら置き配が届いてると思うよ。あたしからのプレゼントってことで、同じ数だけ」
嫌な予感がする。急いで帰らなきゃ、いや帰りたくない、見たくない。今カノに連絡しようと思ってスマホの黒い画面に触れながら振り返ったら、もう誰もいなかった。
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